国譲りと天孫の天下り/天孫降臨章 第九段 本文(第3話) | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

天国玉は、息子の亡骸を天に運び上げ、喪屋を造って「殯(もがり)」を行いました。

殯とは、葬送までの儀礼で現在のお通夜にあたります。

 

そして、葬送の後に喪屋を掃くほうきを持つ者として川雁を、スズメをつきめ=米をつく役としました。

 

或いは鶏を持傾頭者(ささりもち)とし、川雁を持箒者(ははきもち)、スズメをつきめとしたとも言われています

 

そのほかの説では、

川雁=持傾頭者、ソビ=ものまさ(神霊の代わりに祭りを受ける者)とし、スズメ=つきめ、ミソサザイ=哭者(なきめ)、トビ=造綿者(わたつくり)、カラス=穴人者(ししひと)

という風に様々な鳥に役を任せたともいいます。

 

そうして八日八夜、大声で泣き、悲しみつつ歌いました。

 

そこへなんと!死んだはずの天稚彦が現れたのです!

遺族の皆々は「我が君はまだ生きていた!」と驚き、衣服にすがり付いて喜んだり泣いたりしました。

すると、にわかに顔色を変えて怒り出し

「私は味すき高彦根(あじすきたかねひこ)だ。天稚彦と葦原中国で親しくしておったゆえ、友として弔うために、穢れもはばからずに遠くから弔問に来たのに、どうして私を死人と間違えるのか?」と、その帯びていた剣の大葉刈(おおはかり)またの名を神戸剣(かむどのつるぎ)を抜いて、喪屋を斬り倒されてしまいました。

 

これが落ちて山となったのが、今(日本書紀編纂当時700年頃)の美濃の国の藍見川の川上にある喪山です。

今、世の人が生きている人を死者に間違える事を忌むことの由来です。

 

この後、高皇産霊尊は、改めて神々を集め、葦原中国(あしはらなかつくに)に遣わすべき神を選ばれました。

(つづく)