天穂日命(あめのほひのみこと)は、葦原中国(あしはらなかつくに)の平定に遣わされましたが、
三年になっても戻ってこないので、その子の大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし)またの名を武三熊之大人(たけみくまのうし)を遣わしました。
が、やはり父に従って報告しませんでした。
そこで、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、また神々を集めて遣わすべき神を尋ねられました。
神々は「天国玉(あまつくにたま)の子である天稚彦(あめわかひこ)は勇壮です。お試しください。」と申し上げました。
それを聞くと高皇産霊尊は、天稚彦に天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽羽矢(あめのははや)を授けて遣わされました。
が、しかし、この神もまた忠誠でなく、到着するとすぐに大国主命の娘である下照姫(したてるひめ)またの名を高姫、または稚国玉(わかくにたま)を娶って留まってしまい
「私もまた葦原中国を治めようと思う」と言って、ついに報告に戻りませんでした。
高皇産霊尊は、永い間報告が無い事を怪しみ、無名雉(ななしきざし)を遣わして様子を探らせました。
その雉は飛んで降りて、天稚彦の家の門の前に植えてある清浄な桂の木の枝にとまりました。
すると、天探女(あめのさぐめ)が、これを見て天稚彦に
「不思議な鳥が来て桂の枝にいます」と言いました。
天稚彦は、高皇産霊尊から授かった弓矢で雉を射殺してしまいました。
その矢は雉の胸を貫いて高皇産霊尊の御座まで届きました。
その矢を見た高皇産霊尊は、
「この矢は昔、私が天稚彦に授けた矢である。なんと血がついておる!これは国つ神と戦った証であろう!」とおっしゃって、矢を投げ返されました。
その矢は落下して、新嘗祭を終えて寝ていた天稚彦の胸に当たり、たちまち死んでしまいました。
これが世の人が「返し矢恐るべし」という事の由来です。
妻の下照姫は嘆き悲しみ、その泣き声は天にも届きました。
それによって、天稚彦がすでに死んだことを知った父の天国玉は、疾風を遣わして亡骸を天に運び上げました。
(つづく)