世界の始めには天地も陰陽も分かれず混沌として、まるで鶏の卵のように、ほの暗い中に何かが生まれる兆しが含まれていました。
その明るく清(す)んだものはたなびいて天となり、重く濁ったものは地となりましたが、
清んで細かいものは群がりやすく、重く濁ったものは固まるのが難しいので、
天が先に出来上がり、地があとに出来上がりました。
そうして神がその中に生まれました。
そこでわが国では次のように伝えられています。
天地開闢の始め国土が浮かび漂う様子は例えば泳ぐ魚が水上に浮かんでいるようでした。
その時、天地にひとつ葦の芽のようなものが生まれ、これが神となりました。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)です。
次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
その次に豊くむぬのの尊(とよくむぬののみこと)がお生まれになりました。
合わせて三柱の神は、陽の働きだけで生まれたので男神のみでした。
【説明】
最初から2つの伝承があり、一方は「そこでわが国では」とありますが、
日本書紀は、神代から第41代持統天皇までの時代を収めた歴史書で、中国・朝鮮といった外国に対外的にアピールする目的もあったため漢文体を用いているという事はご存じの方も多いと存じます。
そうした事から対外的に我が国の成り立ちと歩みを意識させようとするために、
世界の始まりにおいても天地や陰陽という中国の人々になじみの深い言葉を使用して天地開闢の様子を一般的に示したものだと考えられています。
ですから、日本の古い伝承では、葦の芽のようなものから神が現れたという事を書かれていました。 (神話のおへそ『日本書紀編』 神社検定公式テキストより)
【私のつぶやき】
とよくむぬのの尊は全部漢字変換できなくてすみませんでした。
それから日本では人を「青人草」人民を「民草(たみぐさ)」という言葉がありますが、
それがこの日本神話の世界の始まりからきていたということで、
日本人が古来世界の発祥をどう考えてきたかという悠久で壮大な物語を感じつつ、
最近SNSなどのコメントの語尾で笑うことをWWで表し、
ついには「~していて草」と、「草」がすなわち笑う意味になっている現状を見て、
日本人はやっぱりどこかで自分たちは「草」にゆかりのある民族なんだって知っているのか、無意識で草に繋げようとする何かがあるのか、私も面白くって草♪なのであります。
それから、このほか、天地開闢 第一段本文の他に、一書(そのほかの説)が第6まであって、
神様のお生まれになった順番も名前も違ったパターンがありますが、それはまた別の記事で。