東京駅より歴史が古い新潟駅開業120周年! | 美里山倶楽部

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 新潟駅は今年開業120周年を迎えましたがなんと開業の歴史は東京駅よりも古く1904年(明治37年5月3日)です。

 

 東京駅開業が1914年(大正3年12月20日)なので10年も先に新潟駅が開業しているんです。

 

 鉄道マニアの方はご存じのように最初は新橋がターミナル駅として1872年に開業してます。東京駅はそれから42年後に分散していた各方面別のターミナル駅を集中させるために開業した訳です。

 

 話を元に戻して新潟駅120周年に関する記事が地方新聞に連載されました。

「思い刻んで 新潟駅開業120年」 

 この連載に美里山倶楽部も参加したので簡単に抜粋録をまとめてみました。

 

 こんな感じで4回に渡って連載されました。

 

・第一回 田園跡「原っぱみたい」(移転) N.A.さん

 新潟駅は1904年5月3日、新潟-直江津を結ぶ旧北越鉄道の駅として開業。駅舎は現在の駅から北西に300m離れた弁天公園のあたりにあった。1935年に同じ場所で改築された二代目駅舎が完成。

 

 Aさんは沼垂駅を通過し新潟駅へ大きくカーブしていく風景や蒸気機関車の音や煙が印象に残っている。

 

 そして1958年に沼垂駅を経由しない現在の場所へ移転。駅構内に県内初の商業施設を設けた「民衆駅」となった。

 当時田園を切り開いて建設された新潟駅は「原っぱみたいな場所」だったという。

 現在の新しくなった新潟駅舎については「信じられないくらいにぎやかになった」と驚く。

 Aさんは現在は町歩きのガイドを務めているそうです。

 

 「原っぱみたいな場所」の感覚はあるあるです。現在の東海道新幹線「新横浜駅」に新幹線が開業してから4年経った頃に行ったことがありますが、新幹線と横浜線以外に何もなかったという感じでまさに「原っぱ」だったのを思い出しました。

 菊名や小机の方がまるで都会でしたから。

 

・第二回 1週間並んで一番列車 (上越新幹線) Y.M.さん

 1982年11月15日、新潟大学の学生だった現在宮田村に住むMさんは一番列車に乗車した。

 新大(新潟大学の略)のサークル「鉄道研究部」のメンバーだったMさんは最初のあさひ190号に乗車するために1週間前から仲間達と新潟駅待合室のベンチに陣取って、自由席乗車券の発売を待った。

 11月15日午前4時半に窓口の先頭で1番目の切符を入手。新幹線に乗り込んだ。長岡までの30分あまりは一瞬だった。

 Mさんは特急には愛着があったが新幹線は「特急とは別物」

の加速を感じていた。

 就職で新潟を離れたが、現在でも鉄道模型を集め自宅でジオラマを製作する。各地で過疎化が進む中どうしたら鉄道利用者が増えるのかを考える「駅は思い出が詰まった場所。普段使う人には使いやすく、観光で来た人にはわくわくする場所であってほしい」と願っている。 

 

 ・第三回 玄関口の味作り続ける (駅弁業者) T.E.さん 

 米と日本海産の魚介が豊かな新潟県は、全国的にも駅弁の一大”産地”だ。駅弁業者は全国二位の規模を誇る。

 そのなかの一つ新潟三新軒1956年の会社設立後新潟駅で販売する駅弁を作ってきた。

 人気の一品は甘酢に漬けた「小鯛寿司」

 

 新潟駅は1964年6月の新潟地震で被災。駅近くの跨線橋の一部が落下し列車を押しつぶすなどの被害があった。駅の作業員たちは新潟三新軒の弁当を食べ復旧に汗を流した。

 

 上越新幹線開業時は車内で駅弁を食べる人が減るのではないかという一抹の不安があったが、むしろ百貨店などで各地の駅弁を売り出すなど、販売先の裾野が広がって売り上げは増加した。

 

 Eさんにとって忘れ難いのは。自身が入社した2002年に開催された日韓共催のワールドカップ杯だ。

 新潟市では日本開幕戦さど3試合が行われた。新幹線の深夜便やシャトルバスが運行された新潟駅は熱気に包まれ、外国のサポーターや報道陣が弁当を買い求めた。

 

 今の人気商品は2代目の父が亡くなる直前まで構想を練りEさんが2008年に商品化した「村上牛しぐれ」。

 時代と共に進化する味、祖父や父の頃から変わらない味の両方を大切にしている。

 

 新潟三新軒の「村上牛しぐれ」よく売れるのでなかなか手に入りませんで2回だけ買えました。しっかりした味なのでお酒を飲みながらでも食べられる駅弁です。

 

 ・第四回 利用者目線原点へ回帰 (JR発足) S.M.さん  

 JR新潟駅にこの春、新しいバスターミナルと商業施設「CoCoLo新潟」がオープンした。在来線が高架化し、駅を南北に通り抜けられるようになった。「駅にこれだけの人があつまるとは」。新潟駅長を務めたMさんは新施設のにぎわいに目を見張った。

 1960年に国鉄に入社し酒田駅で車両の連結業務を担当し、試験を受けて車掌にもなった。

 新潟で働くようになったのは1963年。翌1964年には新潟地震が発生。新潟駅構内にも段差が出来たのを覚えている。

 

 国鉄が分割民営化する1987年から2年間、新潟駅総務助役を務め、1994年から2年間JRでは4代目の新潟駅長に就く。

 「ほほ笑みに勝る化粧なし」と社員に笑顔で働こうと呼びかけた。

 駅に親しみを感じてはしくて構内でジャズなどの演奏会を開いたり、利用客の意見や困りごとをスタッフが聞くカウンターを設けてサービス向上に努めた。

 新潟駅は1999年にISO9001を取得。鉄道駅のサービス部門で全国初だった。

 

 「新潟から佐渡へ、村上へ、弥彦へ。各地に足を運んでもらいたいね。そういう基点の役割を果たしてほしい」JR発足のの原点を知るOBからのエールだ。 

 

 国鉄からJRへ変わる時に大変なご苦労があったと思います。役人からサービス業への転換の基点となった方だと思います。

 

 この新聞の連載記事は、駅を日常利用する人、駅をハレの場で利用する人、駅で商売する人、鉄道側の立場の人などの視線からまとめられていて新潟駅120周年に沿った面白い内容でした。
 
この内容は
いつかまとめたかった
長いし固い内容なので
読まれた方は
お疲れ様でした
 

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