今日から夏休みが始まりましたので、平日のブログアップが朝縛りから解き放たれましたので、いつ書き上がるかはそのとき次第です。
美里山倶楽部が住んでいる上伊那郡宮田村は、いわゆる宿場町です。
今後「河原町鉄道」を作っていく上でも頭の片隅にこのことを入れながら作業していくことになるので、先日「河原町を比較」のときに河原町周辺にスポットをあてて紹介しましたが、宮田村の宿場町を紹介します。
鉄道模型というものは、つい鉄道が敷かれた後だけを振り返りがちですが日本人の歴史は、もっと古くからあるわけですから鉄道以前から発展して衰退していった街並みもレイアウトを作る上では参考になるはずです。
宮田宿を走る三州街道は長野県塩尻市と愛知県岡崎市を結んでいます。
中山道から分岐した三州街道は庶民向けの道で、当時貴重だった塩や海産物の輸送、お伊勢参りや善光寺参りへ向かう参詣客が通った道でした。
●喜多屋(きたや)
伊那街道の運送業と醤油醸造業を営み、町役も務めた名家。一度中に入ったことがありますが、塩梅が昔の商家の趣きたっぷりでした。
●柏屋(かしわや)
江戸時代の旅籠建築です。多分お隣も同じような建築物だったんでしょうが、取り壊されたために壁がトタンで貼られています。
二階の格子窓が美しいですね。
●井桁屋(いげたや)
この宿場内で一番古く、1760年頃に作られた江戸時代の旅籠跡。
格子には貴重な宿の看板跡も残っています。
●増屋(ますや)
宮田村最初の造り酒屋で宝永元年(1704)から名主を務め、年貢米等を入れる土蔵があります。
黒っぽいのは黒漆を使っているそうですよ。
蔵兼住宅。
●宮田宿本陣跡
本陣まであるなんて立派な宿場町でしょ。
三州街道は、中山道、東海道の脇道的存在だったため関所もなく、主に飯田藩の殿様行列や、旗本等が宿泊したそうです。
この石碑がそれを示していて4km離れた文化会館前に移築したと書かれています。
●宮田宿本陣(新田地区)
ということで本陣に来てみました。
とても趣がある建物です。
中は以外と広くて馬を置く所や、当時殿様しか入れない場所も見ることが出来ますが、今日はやってませんでした。
たまに無料開放されます。
●仲町交差点
明治23年に大火があったときに大火による延焼は仲町信号辺りまでで、その北側(写真左方面)からは紹介したような江戸期の建物が残っています。
●銭屋(ぜにや)
宿場の中心にある立派な建物です。
ここから南側は明治23年の大火で焼けてしまったため、以後に建てられ防火のための土蔵造り瓦葺になっています。
江戸時代は旅籠屋、明治期は肥料製造業を営んでいたそうです。
●郵便局跡
橋上駅をバラバラに分解して、次回は塗装作業を始めましょう。
次回は上手くいけば
塗装作業を
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