【江戸で禅を聴く会に行ってめえりやした】
渡世人は先週、江戸で禅を聴く会に行ってめえりやした。
いつも行く禅寺の和尚に招待券を頂きやしたもんで。
何と申しやしょうか。大概、講演会とかいうのは若い綺麗なお姉さん
が受付でパンフレットとかくれるじゃござんせんか。![]()
けど、ホールの前は墨染の僧衣を着た若いお坊さんたちが、ずらっと
ならんでいらっしゃいませ。とかやっているんでござんすよ。![]()
ちょいと、異様な感じがいたしやすね。 ![]()
会場はやはり年配の方が多かったでござんすね。
震災で被災した気仙沼のお坊さんがボーカルを務めるバンドの
演奏、建仁寺の管長の栄西の功績のお話でござんした。
気仙沼のお坊さんは被災地の方々の心に寄り添い、勇気づける
活動をしてなさる。津軽三味線と般若心経のコラボは不思議な
感じがしやした。 ![]()
葬式しかしねえお坊さん。ベンツに乗りまわし、檀家さんからお金
をせびりとっているとしか思えねえお坊さんもいる中で、立派だ。
やっぱりお坊さんは葬式だけでなく、傷ついた心、悲しみ、苦しみ
に打ちひしがれた人々の心に寄り添う活動をして欲しい。
でござんすね。 あのお坊さんのように。 ![]()
第二部の講演はちょっとピンとこなかったというか、自分の求めて
いたテーマと違ったからあまり印象には残りやせんでしたかな。![]()
【CDの中の立松和平に逢う】
で、会場で気仙沼の海産物や禅の本、説法のCDが売られており
やした。その中に故立松和平さんの講演のCDがあったんでそれ
を買って、けえってから聴きやした。
話慣れているというのもあるんでしょうし、さすが物書きだ。![]()
こちらの方が、あっしら在家の人間にわかり易い。
立松さんの講演のテーマは「山で逢った観音様」
記事の取材で日光男体山に登った時、山を甘く見て懐中電灯も
持たず出かけた。普通なら日が暮れる前に、登って降りてこられる
コースだが体調が悪く歩けなかった。歩くと苦しくて立ち止まる。
(後にこのことで心臓の病気と分かる。) また立ち止まる。
こうしているうちに日が暮れ、周囲が全く見えなくなった。取材に
同行した編集スタッフやたまたま同行した彼の奥さんも彼を見捨て
ることなく、ずっと付き添っていた。
一歩先がどうなっているのか全く見えないので、不安と恐怖の時間
だった。スイッチを入れれば明るくなる生活に慣れ、暗かったら明り
をつければいいという感覚が皆。あったのか、誰も懐中電灯を持っ
ていない。
遭難した。彼は思った、真っ暗な中を一歩一歩確かめながら進むの
に恐ろしく時間がかかる。皆絶望的な気持ちになっているはずなのに、
彼を見捨てずずっと彼に付き添い見守ってくれる。
歩けない自分がブレーキなので申訳ないきもちで、先に行ってくれ
といもいうが皆彼に付き添い見捨てない。 観音様のように。
はるか遠くには町の明かりが見えるのに一歩先が見えない。便利さ
に慣れ切ってしまった現代人は、野生の中でなんと弱いかと感じた。
そんなとき、遥かかなたに一つのあかりが見えた。 ![]()
そのときの安ど感といったら表現できないほど安堵したそうだ。
あそこまで行けば何とかなる。![]()
近づいてみると、年配の女性(おばあさん)が力尽きてうずくまっていた
そうだ。おばあさんは、この時間もう。誰も来ないだろう。
もう疲れて一歩も歩けない。
このままここで凍死するだろうと思っていたという。
歩けないおばあさんをスタッフが交代でおぶり山をありた。
おばあさんの懐中電灯があるので、安心して足元を確認して降りれる。
タクシーでおばあさんの宿舎まで送り届けた。
おばあさんは涙を流し合掌し感謝した。彼らを観音様だと合掌し、頭を
下げ何度も何度もお礼を言ったそうだ。彼らも事情を話し、おばあさん
の懐中電灯で助けられたんだと説明しても聴き入れない。涙を流し、
彼らに合掌して感謝したそうだ。 どちらも観音様。
心に何もない。純粋に。
お互いに感謝しあう気持ちのある時に観音様が姿を現すのかな。
おばあさんは観光で日光に来て男体山があまりに神々しいので、どうし
ても登りたくなり懐中電灯一つ持ち登ってきたそうだ。
最近の自然ブームいいことだ。でも、その奥というかもっと深いところに
山はこうして人々を惹きつける何か不思議な霊力というの。当たり前を
こえた何か不思議な力。存在。があるように思いやす。
昔から山は信仰の対象だった。最近は山を征服するという気持ちで登る
人もいるだろう。でも、懐中電灯もねえ。合羽もねえ。登山靴もねえ草鞋
で登った昔だからこそ、より、神、仏というものを感じたんでござんしょうね。
有難く涙がでるような神々しいさ。観音様もね。
立松さんのCD聴いてこう。思いやした。
立松さんは後半には仏教関連の随筆、小説も書いておりやしたし、
仏教をかなり信奉されてたようでござんす。
無くなる前は、道元、良寛、という仏心をもったお坊さんの小説をライフ
ワークのようにして書いていた。そして亡くなった。
なんか、今回。CDの中で立松さんに逢ったような気がいたしやした。
立松さんの本も読んでみてえ。こう思った次第でござんす。![]()
鎌倉円覚寺の木彫りのお地蔵さま。
彫った人の思いも感じやす。
じゃ。ごめんなすって。 (^-^)ノ~~










