
今日スーパーで買い物をした。
珈琲が切れたのでいつも買う缶入りの徳用サイズのヤツを。値段を見てびっくり、前回買ったよりも5割ちかく値上がりしていた。ものみな上がる2025年ということは知っていたがスーパーへ行ってまさに実感。
ついでに報道で5キロ4000円台になっているという米のコーナーへも行ってみた。
驚いた。4000円どころか、ほぼ税込みで5000円という高値。
いまさら何を、かもしれないけれど以前(いつだ?)2000円ちょっとで買った記憶があるから魂消た。
そもそも米の値段が安すぎたからこれが正常値だなんていう人もいるけど、1年足らずで2.5倍はちょっとヤリすぎ。われわれ低所得層にはたまったものではない。
米は日本国民の主食。どんな貧しい生活を強いられている人間にも腹いっぱい食べる「権利」がある。それができないのは農政の失態。言い訳ばっかりしている無農水大臣は即刻安価な米が誰にも行き届くような政策をうってもらいたい。クルマにガソリンを満タンにさせるのも大事だけれど、まずは人間の腹に米だよね。
ボヤキになってしまいましたが、気になったテレビCMがまだあった。
ハミングは洗濯につかう消臭剤だそうだ。
最近は洗濯にも洗剤とは別に柔軟剤だとか消臭剤などをつかうらしい。ウチでもそうで、洗濯したてを着たときに鼻につくことがたまにある。ツレには言わないけれど。いや言えないけれど。それはどうでも。
CMでながれていた歌は「ステキなタイミング」。かれこれ60年以上昔のアメリカのポップスでジミー・ジョーンズがうたった。日本でカヴァしたのが当時19歳の坂本九で昭和35年(1960)の11月のこと。当初タイトルは「グッド・タイミング」だった。あのCMは「すてきなハミング」というヘタな洒落。
エルヴィスに憧れて音楽の世界に飛びこんだという坂本九だが、当時カヴァポップスの有力なヴォーカルはほぼバンドの専属になっていて、彼もザ・ドリフターズを経て34年にパラダイスキングに移籍している。
そしてその年の10月にバンドボーイの悲哀と夢をうたったオリジナル曲「題名のない歌だけど」でレコード・デビュー。
デビュー曲は不発だったが、初めてのヒットとなったのがその翌年のことで、「ステキなタイミング」の2か月前にリリースした「悲しき60才―ムスターファ」。
「悲しき60才」はアメリカンポップスではなく、フランスのボブ・アザムのヒット曲。元歌はアラブのP.D.だといわれている。
内容は若い娘に恋をした貧しい青年が一生懸命働いてやがて大金持ちになり、彼女を迎えに行ったのだが、なんとお互いに60歳になっていたという浦島咄。その元歌の骨子を残して独特の語彙で訳詞したのが、当時新進気鋭の放送作家だった青島幸男。
ニキビ面で人懐っこい坂本九のキャラクターとオチのあるストーリーであっという間に大ブレイク。一夜にして「九ちゃん」も全国区に。
おそらくカヴァポップスで初めて日本を席巻したのが坂本九とその「悲しき60才」だったのではかなったかな。
平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎のロカビリー三人男がどれだけジャズ喫茶や日劇を湧かしても、坂本九にはかなわなかった。
坂本九のキャラクターと歌唱、エキゾチックなメロディー、青島幸男のシャレたリリックがうまく時代にハマったということなのだろうけど、それをさらに助長したのがテレビの普及だろう。坂本九こそ戦後日本が、そしてテレビが生んだ初の男性アイドルシンガーなのだ。
前述したように坂本九はパラダイスキングの所属で、当然メインはバンドだから、「悲しき60才」がヒットチャート1位に輝いたときにも、演者のクレジットは「パラダイスキング」になっていた。
それが、坂本九の大爆発とともに雑誌やテレビでもすぐに「坂本九とパラダイスキング」に変更。それほど坂本九のネームバリューは九浸透、いや急浸透していった。
ちょっと前置きが長くなりましたが、その2ヵ月あまりのちにリリースされたのが「ステキなタイミング」。まさにグッドタイミングで、坂本九の勢いにのってすぐにヒットチャートイン。
元歌は「僕が君と出会えて仲良くなれたのはタイミングがよかったからだよ」というシンプルなハッピーソングだが、坂本九のカヴァは「教師の目を盗んでカンニングするにも、恋人にみつからないように浮気するのも、頑固オヤジの箱入り娘をデートに誘うのもすべてタイミングが必要なんだ」というまったくの「作詞」。そんなC調のストーリーをつくったのが、カヴァポップス訳詞(作詞)の帝王・漣健児。
ちなみのこの曲は当初B面で、A面はブライアン・ハイランドの「ビキニスタイルのお嬢さん」。こちらのほうはもうひとりのヴォーカル石川進(佐野修もいた)がメインを担当した。
ところが「悲しき60才」と坂本九の大ブレイクで状況一変。すぐに「ステキなタイミング」がA面に。ラジオ、テレビでも前面に押し出しという変貌ぶり。
もちろんすぐにチャートインとなり、昭和35年末のポップスヒットチャート1位、2位は坂本九の「悲しき60才」と「ステキなタイミング」という快挙。
坂本九のオリジナル曲「上を向いて歩こう」がナンバーワンになるのはその翌年のことで、アメリカのビルボードで1位になるのはさらにその翌年のこと。
とにかく安保騒動が終息した年の秋ごろから「Kyu Sakamoto History」がはじまり、テレビの「ザ・ヒットパレード」などとともに短くも熱いカヴァポップスブームが到来したのだった。
もちろんアンポなんて知らなかった小学生のわたしも坂本九そして森山加代子、さらには飯田久彦、木の実ナナに夢中になって観たり聴いたりのミーハー時代だった。
坂本九が憧れのエルヴィスのカヴァ「GIブルース」(安井かずみ=みナみカズみの初仕事)をレコーディングしたのが昭和36年の1月。その曲を含んだ九ちゃんとパラキンのカヴァポップスを(オリジナルもあるけどね、この曲も好きだった)。
いい天気だったなぁ今日は。少し風が強かったけど、まさに初夏の風だった。
昨日今日と公園を横切っても、駅前を歩いても、電車に乗っても、やけに人が多い。連休が始まったんだな。わたしは病気やケガで寝込まないかぎり年中無休のしごとをこなすだけ。
少し前、気になるテレビコマーシャルがあった。
赤くて不自然なくらいの長さのドレスを身にまとった女性が塔をのぼっていくという映像で、CMに流れる歌に聞き覚えがあった。
CMソング
CMはエールフランスのもので、女性の歌声もフランス語だった。
だがその歌のタイトルが思い出せない。直観的にフランス映画の主題歌ではないかと想った(イージー)。
1960年代あるいは70年代ころまでフランス映画は輝いていた。
あの甘いメロディーはまさにフランス映画……、と壊れかけてる脳内アーカイブスを検索してみるのだが、みつからない。シェルブールの雨傘、雨の訪問者、白い恋人たち、冒険者たちとなつかしきメロディーが再生されるのだが、すべてハズレ。
そんなことがあった数日後、何の前触れもなく突然脳内アーカイブスが答えを出した。
「風のささやき」。
そうだ、そうた、そうだった。エールフランスとフランス語に騙された。
あれは当時のわがアイドル(推しというのかな)メジロマックィーンではなく、スティーヴ・マックィーンの「華麗なる賭け」のメインテーマだった。フランス映画ではなく、れっきとした? アメリカ映画だ。
1968年公開だそうで、振り返れば邦・洋まじえて最も劇場で映画を観た頃だ。ビデオなんてまだ普及してなかったしね。
マックィーンは「大脱走」と「砲艦サンパブロ」で、マイ・ヒーローになったし、フェイ・ダナウェイはその前の年だったか「俺たちに明日はない」で衝撃を受けたマイ・ヒロインだった。さらに言えばノーマン・ジェイスンも「夜の大捜査線」でシドニー・ポワチエを名優に育てたアカデミー監督。おまけは音楽が「シェルブールの雨傘」のミシェル・ルグランとくれば劇場へ足を運ばないわけがなかった。
ただ、ほぼすべてにおいて期待外れの作品で、残ったのはルグランのあの甘いメロディーだけだった。
当時はインストであっても映画音楽がヒットパレードのベストテンにいくつもランクインするほど輝きを放っていた。アルバムもシングルもサントラ盤が幅をきかせていた時代だった。
その頃、好きだった映画音楽をもう一曲。
今日の風はささやいてはいなかったけど、ときどきひとり言をつぶやいていた、心地よかった。
最近、ブログでもやってみようかな、なんて軽い気持ちで某ブログをはじめてはみたものの、やはり脳みそが硬化していてやり方がよくわからない。
そんなわけでまごまごしているうちに、なんとそのブログが年内に「店じまい」するとのこと。思わず心中で「ヨーカ堂かよ」とボヤいて引き上げることに。
まぁ、ブログはほかにもあるだろうということでネットでさがしてみた。そしてなんとなく聞き覚えのあるamebaに登録してみることに。
しかしアカウントを取得する段階でうまくいかない。何度か試したがダメ。
ブログではないけど、何かのサイトでアカウント登録をするときに「不可」となったケースがあったのを思い出した。多くの場合は「すでに登録済み」というのがその原因。
まさかと思って「新規登録」ではなく、「ログイン」から入り、パスワードも「常連」をいくつか試してみたところ、無事ドアが開いた。
なんと6年前の2019年に登録していたのだ。
すでにamebaのブログに登録していたことも驚きだが、さらに数本の記事を書いていることになっている。いくつか記事を読んでみると、たしかに自分が書きそうなことというより、書いたような記憶もある。
しかし、amebaのブログ(アメブロというらしい)を始め、記事を載せたこと、そしてあまりにも早くやめてしまったこと、すへて記憶にないのだ。「認知症なのでは?」と言われれば「そうかもしれない」と応えるしかないのだが。
とにかく足がかりはできたようなので、いつまで続くかわからないが、気の向くままにやってみよう。
言い訳がましい話になってしまったので、手短に今日印象に残ったことを。
人気のない雨の公園を歩いていると、さくらとバトンタッチしてあちこちで「つつじ」が咲いていた。つつじは珍しくないが、今年はほかの場所でもそうだが、白が目立つ。
つつじの多くは赤紫かピンクで、白は無かったわけではないが少数派だった。それがなぜか今年は白がやけに目立つ。仕掛人でもいるのかな。
それと雨のせいか、公園の鳩どもがほとんど見えなかった。そんななか雨に打たれて一羽の鳩が置物のように静止していた。その姿はまるで孤高の哲学者のようで見とれてしまった。ふつう鳩は番いか集団でいるもので「ひとり鳩」はめずらしい。
わたしは彼(雌かもしれない? いやあれは間違いなく雄だ)の1メートルあまり傍を通っていったのだが微動だにしない。
鳩と人間の「友好関係」がしばらく前から確立されていることは知っていたが、かくも無警戒とは。
10メートルあまり行き過ぎてから、わたしは思いついてバッグのなかからスマホを取出し彼の勇姿を写真に収めることに。
半分ほど戻ってシャッター(じゃないか)を切ると、なんと彼は気配に気づいたのか、こちらに向き直り、ゆっくりと近づいてくるではないか。
〈孤高だと思っていたけれど、人並みいや鳩並みに淋しがり屋なのか。孤独に耐えて佇んでいただけなのか〉
たじろいだわたしは彼に背を向けて足ばやに家路についた。
〈君が思ってた以上に淋しがり屋っていうことはわかったけど、わたしは君とこれ以上親しくなるつもりはないんだ。君にふさわしい人間ではないんだよ〉
いちおうこのブログでは「歌に関連した」ことを書こうと思っているので、最後にとってつけたような一曲を。
泣くな孤鳩よ、なんて。
可愛い(とは思えないけど)女の子の容姿で、歌い出すと野太い声の男になるというギャップが受けているのだとか。でも、こういうスタイルはすぐに飽きられるパターンで、一発屋予備軍と見受けました。性格が良さそうなので期待を裏切ってください。
名前は「りんごちゃん」だそうです。青森生まれらしい。
いいなぁ。昔は「りんご」の歌がたくさんありました。
それこそ敗戦直後の「リンゴの歌」にはじまって、「りんご村から」「りんご追分」。歌詞に出てくる歌だって「あゝ上野駅」もそうでした。
彼女(彼か)が歌う「贈る言葉」を聴いていたら、昔好きだったそんな歌と歌手を思い出しました。
昭和30年代の歌でタイトルはズバリ「リンゴちゃん」。
うたったのは当時アイドル的人気のあった神戸一郎。
わたしに神戸一郎を推薦してくれたのは、小学校の級友のお姉さん。
級友の家は鉄工場で、まさに高度経済成長初期の中右肩上がりの勢いに乗っておりました。近所でいちはやくテレビを設置したのもその家。
わたしは、テレビの魔法に魂を奪われ、毎日のように級友の家へ。級友がいようがいなかろうが居間に陣取りテレビの画面とにらめっこをするという怠惰な日々を。
ただ残念ながらチャンネル権はなく(当たり前だね。あったらインベーダーだよ)、その権利を握っていたのが級友のお姉さん。
そのお姉さんは女子高生。ちなみにわたしは小学2年生。
お姉さん、無類の芸能好きで平凡、明星の愛読者。当時は禁止されていた映画鑑賞も平気で行っちゃうアプレぶり。よくそうした“不良仲間”の女ともだちが来ておりました。
ところがお姉さん、両親はもちろん、姉妹・兄弟のなかにも理解者がいない。そこへ訳の分からない弟の級友が家に入り浸るようになったのです。いいカモと思ったかどうだか、その闖入者に向って芸能雑誌やテレビから得た「芸能ニュース」を吹き込みまくること際限なし。
わたしもチャンネル権者には逆らえず、ひたすら聞き分けのよい子に徹しておりました。
その中で彼女の一押しだったのが神戸一郎。その頃は「銀座九丁目は水の上」とか「別れたっていいじゃないか」が流行っておりました。
そして彼女の言った言葉で今でも頭にこびりついているのが、
「ねえ〇〇ちゃん、神戸一郎って鶴田浩二と宝田明を足して二で割ったみたいだよね」
「ほんとにそうだね」
そのときわたしは、鶴田浩二も宝田明も知らなかったんですけど。
残念ながらそれから一年足らずで、わたしの一家は食いつめ、遥か遠方へ引っ越すことに。
半年余りで完全に洗脳されてしまったわたしは、その級友よりもお姉さんと別れることのほうが辛かった。
それから数年後、わたしは引っ越し先の場末の町を徘徊するような悪ガキになっておりました。そしてある日、そんな町の古本屋で一冊のうた本(芸能雑誌の付録)をみつけました。その表紙には神戸一郎と女性歌手が(人気歌手の男女ペアが定番だった)載っておりました。たしか5円か10円だったと思いますが。思わす買ってしまいました。
そのうた本のなかに神戸一郎の数曲の詞がのっていて、その頃よくラジオで聴いていた「リンゴちゃん」もありました。
ただ、神戸一郎のレコードを買えるようになるまでには、まだ数年かかりましたが。
いまでもこの歌を聴くと、あの級友のお姉さんの顔が浮かんできます。残念ながら級友の顔はすっかり忘れてしまいましたが。
そのお姉さんみたいに赤いほっぺの純情娘だったかって? 残念ながらよく言えば垢抜けしておりました。わるく言えば都会の垢にまみれていたということに。でも、色白で三つ編みのお下げ髪が似合う、わたしにとっては大人の女性でした。なによりも切れ長の目が幼心にとても色っぽかった。
そんなに使命感もありませんし、期待感もありません。
投票場の小学校が長女の母校であり、思い出もありますので、たまにそういう「聖地」に行くのもわるくありません。それに、自分が投票した候補者や党がどれだけの結果になるのかというエンタメ感もありますし。
どうせ夜のテレビは選挙速報一辺倒になってしまうのでしょうし。以前はテレビ東京だけは足並みを乱していた記憶があるのですが。「テレ東よ、お前もか」なんて。
ところで「選挙」で連想される「歌」とは。
選挙といえば、あの旧態依然の選挙カーで、候補者やアナウンス嬢がひたすら名前を連呼するという「風物詩」が展開されるだけなのですが、選挙で歌が聴こえてきた記憶がふたつあります。
ひとつはかのカルト教団が政治へ進出し、選挙戦で教祖の名前を連呼する歌をバックダンサー付でうたっていたこと。
もうひとつは、新党大地が、シンパである松山千春の「大空と大地の中で」を選挙ソングとしてつかっていたこと。
しかし、アメリカでは選挙に「応援歌」(というかどうか)を用いるのはそれほどめずらしいことではないようです。
リンカーンやルーズベルトらは選挙用の歌をわざわざつくらせたといいますし、80年代、レーガン大統領が選挙戦で、ブルース・スプリングスティーンの歌をつかわせてくれと頼んで断られたなんてエピソードもありました。
で、個人的に「選挙の歌」として思いつくのは「ユー・アー・マイ・サンシャイン」。アムロちゃんのではありませんよ。
アメリカの有名な歌です。中学で習った記憶があり、初めて覚えた英語の歌でもあります。
恋人讃歌の素朴な歌詞と、3コードで弾けちゃうシンプルメロディー。
この歌、アメリカのP.D.だと思っている人もいるかもしれませんが、実はれっきとした(?)カントリーソング。
1940年にレコーディングされたという古い歌で、つくったのはカントリーシンガーであり映画俳優でもあったジミー・デイヴィス。(彼はその歌の版権を買っただけで、作者ではないという説もありますが)
そのジミーさん、1944年に一念発起してルイジアナ州の知事選に立候補。そしてその選挙活動中に、場所場所で持ち歌「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をうたいまくったとか。
そして、そのカントリーソングが功を奏したか否か、見事知事に当選しました。
それ以後、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の認知度もグンと上がったとか。
日本の選挙でも「歌」を活用すればいいと思うのですが。
オリジナルでもいいけれど、既存のヒットソングを許可を得て借用したり。
そうすれば、「ああ、あの候補者はこんな歌が好きなんだ…」なんて親近感が湧いたり(逆もあるけど)。
若者におもねって最新のJポップやアニソンを流したり。あるいは高齢者向けに美空ひばりや演歌を流したり、さらにはエヴァグリンのビートルズやサザンを流したりとか。
候補者の選曲の個性が出て面白いとは思うんですけど、いろいろな選挙カーから、それこそ様々なジャンル、多種多様な歌が流れてくることを想像すると、やっぱりちょっと……無理だろうなぁ。せいぜい集会で流したり、合唱するくらいでしょうか。内うちで迷惑にならない程度で。
