song love

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好きな歌や音楽についての懐想・悔想・快想など

きのう久しぶりに青い空に白い雲という秋晴れだったのに、今日はまたどんより。それでも出かけて帰ってくるまで雨に見舞われなかっただけよかった。

 

日曜日の公園らしく、平日以上の人出。

いつものところにあった木がすべて伐採されたため、今年は金木犀の香りをかがずに秋が終わりそうだ。そんなことを考えながら、気候のせいか老人の足取りも軽く口笛も出たり。

 

♪すったもんだと言ったとて 嫌いは嫌い好きは好き

 

 

宝田明の昭和32年(1957)のヒット曲「美貌の都」。69年前って考えると厭になっちゃう。

時は「もはや戦後ではない」と言われた頃で、多くの国民は戦後の食糧難を中心とした塗炭の苦しみからひと息つけた頃。お金持ちの家や近所のお蕎麦屋さんには魔法の箱・テレビジョンが置かれ始めていた。多くの家庭ではまだラジオが友だちで、そこから流れてくる流行歌に耳をかたむけ、興がのれば口ずさむほど日本人の心に余裕が生まれ始めていた頃でもあった。

宝田明は東宝の二枚目俳優で、ゴジラ作品の出演俳優として知られている。個人的には「放浪記」(成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演)でのいけすかない元夫役が印象に残っている。

 

「美貌の都」は上原げんと作曲、西條八十作詞というコロムビアゴールデンコンビの作品。その年の同名映画主題歌で、宝田明は主演と主題歌歌唱と二足のわらじを履いた。じつはこの頃まさに主演俳優がその主題歌をうたうという、いわゆる「歌う銀幕スター」ブームがあった。

歌う映画スターの嚆矢は戦前の高田浩吉だろう。戦後になってその弟子の鶴田浩二が美声でファンを魅了した。そして石原裕次郎の登場で、歌もうたえてこそ映画スターという風潮が定着し、しばらくは昭和の映画界の「約束事」にさえなった。

ジャズまでこなす勝新太郎はともかく、三船敏郎、仲代達矢、さらには大川橋蔵までレコードをリリースしている。女優だって負けてはいない。戦前からの高峰三枝子は別格だが、山本富士子、高千穂ひづる、前田通子、中田康子などなどが遅れをとるまいと歌う女優の仲間入りをしている。その後は日活の浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子と続いていくことに。

 

今回は昭和30年代前半に巷によく流れていた銀幕スターの歌謡曲をいくつか聴いてみたい。

 

最もヒット曲をだしているのは石原裕次郎だが、前回何曲も聴いたので今回はスルー。

まずは「美貌の都」の前年にヒットした鶴田浩二の「好きだった」。作詞・作曲は宮川哲夫・吉田正で、鶴田浩二の大ヒット曲「街のサンドイッチマン」(28年)、「赤と黒のブルース」(30年)も同じコンビ。翌年に和田弘とマヒナスターズがこの歌をカヴァしている。

 

次も昭和32年のヒット曲で、やはり吉田正の作品「哀愁の街に霧が降る」を。作詞はこのふたりでどれだけヒット曲を世に出したかと感心する佐伯孝夫。ムード歌謡前夜といってもいい歌。うたっているのは松竹で俳優デビューを果たした山田真二。映画で共演したビクターの雪村いづみの紹介での初レコードがこの「哀愁の街に霧が降る」。ラテン系を思わせる甘いマスクと声で大ヒットとなり、その年の紅白歌合戦にも出場している。映画は歌のヒットを受けて山田真二主演でつくられた。前回とりあげた「紅の流れ星」にも出演している。

 

最後は裕次郎とならぶ日活の歌うスター、小林旭の「ダイナマイトが150屯」。

アキラの映画初主演は昭和32年。翌年の「女を忘れろ」で歌手デビュー。「ダイナマイトー――」が2曲目で、この映画と歌から「マイトガイ」が誕生した。

作曲はのちに演歌の巨匠となる船村徹。作詞は「皆の衆」(村田英雄)や「涙の連絡船」‘都はるみ)がある関沢新一。二人のコンビでは舟木一夫ほかの「夢のハワイで盆踊り」や「太陽にヤァ」がある。

 

オマケは女優で。

前述したように何人も歌手デビューしているが大映の野添ひとみの「月のしずく」を少しだけ。中原ひとみと姉妹を演じた映画「姉妹」の主題歌。映画も観たし(もちろん後追いで)、歌もフェヴァリットソング。作詞・作曲は「東京キッド」(美空ひばり)や「懐かしのブルース」(高峰三枝子)の藤浦洸と万城目正のコンビ。

 

口笛が出るにはワケがある。だいたい何かに影響されて出てくるのだが、半分近くはその何かがわからないまま。しかし今回の「美貌の都」はちょっと考えたのち判明した。

昨今どのテレビ局でも亡くなった倉本聰に関するエピソードを紹介しているが、昨日もあるニュースショーで「北の国から」のワンシーンを放映し、その場面に出ていた女優・伊佐山ひろ子へのインタビューを行っていた。ファンというわけではないが、恥ずかしながら若いころ神代辰巳の「一条さゆり・濡れた欲情」ほか何本か観せてもらったし、とうに引退したものだと思っていた。だからとても懐かしかった。彼女は文筆もするようで何冊か本も出している。残念ながら読んだことはないが、そんななかの一冊に「嫌いは嫌い好きは好き」といエッセイ?がある。それを覚えていてきょうの口笛につながったというわけだ。

 

♪いっしょになろうよ みじかいいのち

 

アジア大会かぁ。アジア大会なぁ。オリンピックじゃないしなぁ。世界大会じゃないしなぁ。なんて思いもあったけれど、やっぱりテレビ見ちゃうよなぁ。男子卓球団体、200m平泳ぎの世界新記録金メダルの大橋信。陸上がはじまって女子棒高跳びの諸田実咲。ほかでは見てなかったけれどフェンシングとか体操とかスケボーとか日本はアジアでは中国と並ぶスポーツ大国らしい。

 

アジア大会ばかりではない。きのうは大相撲の千秋楽。結びの大の里と安青錦の「優勝決定戦」は盛り上がった。結果、大の里の久しぶりの優勝で決着。協会としてはヤレヤレだろう。個人的には贔屓の霧島が薄氷の勝ち越しで溜飲をさげた。綱取りにはもう少し時間がかかるのかな。それと今場所から気になっていた藤凌駕も千秋楽で勝ち越し。昔の力士のような面構えがいい。

さらに相撲とかぶってボクシングの世界戦の配信もあった。メインはバンタム級で井上拓真と那須川天心のリマッチ。井上がダウンを食らいながらも判定勝ち。那須川にとっては3度目の正直と考えるかもしれないけれど、ファンとしてはもういい。

セミファイナルの西田、アマ世界王者の坪井はともに負け、決定戦の松本流星だけが世界王者となった。正直「いい試合だった」と思えるカードはなく、次の試合が見たいと思わせるボクサーもいなかった。質より量という感じの興行だった。

とにかくきのうはスポーツ三昧の休日だった。

 

陸上、相撲、ボクシングといろいろあったけれど、最も印象に残った名勝負は陸上女子の100mハードル。同い歳という福部真子が日本チャンピオンの中島ひとみを0.04秒差(何センチ?)で抑えて金メダル。大接戦で次やったらどっちが勝つかわからないという名勝負。パターソンvsヨハンソンみたいな。

 

話は変わるけれど、ここひと月あまりで女優さんの訃報をテレビでずいぶんみた。

寿美花代、小川真由美、岸惠子、水谷八重子(良重)、白木マリ(真理)。

みなさん映画、テレビで楽しませていただいた方々。映画に限ればやっぱり白木マリが最も「心に遺る女優」だった。日活アクションには欠かせないバイプレイヤーで、映画はほぼ「後追い」で観たのだが、キャバレーのダンサーとか、ヤクザの情婦とか、ヒロインの恋敵という役が多かった印象だった。その後のTVの必殺仕掛人シリーズは見ていないが、初心な若者にとっては心奪われるセクシーなお姐さんだった。

 

日活アクションといえば舛田利雄も亡くなった。98歳だそうで、女優のみなさんと同様、天寿をまっとうしたといえるのだろう。

 

監督としてのデビューが昭和33年(1958)だそうで、まさに石原裕次郎のデビュー直後で、以後10年にわたる日活黄金期をささえる監督のひとり。

個人的には裕次郎や白木マリがよく出ていた小林旭の渡り鳥シリーズはすべて後追いで、リアルタイムで観たのは渡哲也の無頼シリーズや前科(まえ)シリーズからで、舛田利雄もシリーズ初回の「大幹部・無頼」ほか何作のメガホンをとっている(いまどき言わないよね)。

 

そんなわけで舛田利雄にちなんだ流行歌をいくつか。

 

当時はヒットした歌謡曲の映画化というのがよくあって、舛田利雄もデビュー2作品目にフランク永井の「夜霧の第二国道」、そのあとにも「羽田発7時50分」のヒット曲を監督している。その後も坂本九の「上を向いて歩こう」、水原弘の「黒い落葉」や水前寺清子の「艶歌」を手掛けている。

 

そんななかから石原裕次郎のヒット曲の「錆びたナイフ」を。舛田利雄の監督3作目の初のヒット作品。共演は北原三枝。レコードは昭和32年のリリースで、その翌年映画化された。発売時はB面だった。作詞・作曲は萩原四朗と上原賢六。この二人は日活映画主題歌の常連で、とりわけ上原賢六(上原げんとの弟)には、「俺は待ってるぜ」「風速四十米」「夕陽の丘」「草笛を吹こうよ」などがある。

 

次は昭和37年のヒット曲で、オリンピックイヤーの39年に発売された「赤いハンカチ」。この作品も後追いで観たのだが、歌は巷にながれており、わたしも近所の兄貴連が口ずさんでいるのを聴いていて覚えている。映画の共演は浅丘ルリ子。

これも萩原・上原コンビの作詞作曲。

 

最後はずっと飛んで昭和47年の「剣と花」。

これは渡哲也主演なのでリアルタイムで観ている。

立原正秋原作の文芸作品で、没落士族の家庭に生まれた剣道の達人の不良青年とその母親違いの妹の愛を画いたもの。映画は娯楽作品なので原作の破滅的な結末ではなく主人公がひとり家を出ていくというゆるいエンディングになっている。

森雅之(「浮雲」がよかった)の遺作で、相手役の妹は新藤恵美。それよりもバーのママ役で主人公の愛人だった赤座美代子(藤田敏八の奥さん)が印象に残っている(八月の濡れた砂もそう)

石原裕次郎がうたう「剣と花」はこの映画の主題歌ではない。ヒットしたのは浅丘ルリ子のセリフが入るB面の「地獄花」で、この歌の内容も小説・映画の「剣と花」を思わせる近親相姦のにおいがする。

レコードリリースは映画公開の前年の昭和46年で、もしかするとこの段階では石原裕次郎主演の映画「剣と花」が企画されていたのかもしれない。

作詞・作曲は「地獄花」ともども萩原・上原コンビ。

 

「追悼・舛田利雄」の付録は映画予告編と主題歌を。

舛田作品のなかでもいちばん好きで何度か観た映画「紅の流れ星」(劇画チックなタイトルもいい)を。昭和42年の公開で、石原裕次郎主演の「赤い波止場」(33年)のセルフリメイク。それまでの渡哲也の硬派のイメージから軟派なキャラクターを感じさせるストーリー、役作りで新鮮だった。ゴダールの「勝手にしやがれ」(沢田研二の同名ヒット曲はここから取っている)を意識した作品といわれているが、たしかにラストシーンや主人公の軽みはそんな感じもする。ジェンカを踊る渡哲也イカシてる。

残念ながら「紅の流れ星」という歌はなく、この映画の主題歌は奥村チヨの「北国の青い空」(曲・ベンチャーズ、詞・橋本淳)。神戸が舞台なのになんで北海道という気もするが、たしかに劇中のキャバレー(日活の常套)で奥村チヨがうたっている。

北海道といえば今日のテレビは倉本聰の訃報でもちきり。山田太一と並んで好きな脚本家だった。倉本聰までとはいわないが、舛田利雄だってひと言ふた言ふれてもいいんじゃないですか、テレビ局さん。

 

定型ながら舛田利雄様、名作の数々をありがとうございました。

興味のある方には「映画監督 舛田利雄」(舛田利雄ほか著、シンコーミュージック刊、HOTWAX編)という分厚い本がある。

きょうもきょうとて働き蜂。そんな勢いはないな。せいぜい羽音も聞こえぬ秋の蚊かも。

でも働き蚊といわずに、ワーキング・モスキートなんていうとどこかかっこいい。タイ辺りのボクサーみたいで。

 

あだしごとはさておき、いつもの景色の公園をいつもの服装でいつもの歩調でいつもの仕事場へ歩いていく。違うのはふとでた口笛の音色。

知らず知らずに吹いていたのは「孤独の影」Games people play 。

1968年、シンガーソングライターのジョー・サウスがヒットさせた曲。どこが孤独で、どこが影なんだよとツッコミたくなる曲調だが、いろいろカヴァされたりCMで使われたりでタイトルはしらなくても聴いたことがあるという人は多いのではないだろうか。とくにサビのところなどは。

でもわたしが吹いている「孤独の影」はジョー・サウスのものでもカヴァーヒットさせたスピナーズのものでもなく、ドリー・パートンのヴァージョン。ドリーのこの歌がすきなのです。

 

きょうもドリーの歌声が脳内蓄音機で鳴り続けております。

そんなわけで今夜もドリーの命曲を四つばかり。

 

まずは「ボビー・マギー」Me and Bobby McGee

クリス・クリストファーソンが書き、元カノのジャニス・ジョプリンがヒットさせた名曲。駅舎で出会ったひとり旅をする女と男。意気投合で楽しいふたり旅。そして別れの時。目ざす「場所」が違うのだ。そんな70年代前後のアメリカのヒッピーの時代を象徴する歌。動画はドリーの弾き語り。途中でギターをくるっと背中に回して歌を続ける。昔、日本でもいたよなぁ、ああいうギターパフォーマンス。いまは、見ないなぁ。カッコいいとおもうけど。

 

つぎはブルーグラスで「ミュール・スキナー」Mule skinner blues を。

カントリーの祖といわれるジミー・ロジャーズのクラシック。「ミュール・スキナー」とはラバ使いのこと。スキナーというラバの話という解釈もあるが。1930年代のアメリカでよく歌われた労働者と使用人のやりとりが面白おかしくうたわれている。

その後ビル・モンローがとりあげブルーグラスの代表曲となった。かのウディ・ガスリーもレパートリーに。

ドリーのブルーグラスも希少で、それも本家とのデュオは保存もの。何よりもあの笑い声が聴けるのがいい。

 

 

ブルーグラスをやるならロケンローも。

というわけで3曲目は「火の玉ロック」Great Balls of Fire を。1957年のジェリー・リー・ルイスの大ヒット曲で、その後多くのロッカーがカヴァしたロケンローのスタンダード。

ドリーは当時、日本でいう小学校5,6年のローティーン。すでにラジオなどでカントリーをうたっていたというからそこそこマセていたはずで、ロケンローにも夢中だったのでは。どんな少女だったのかなぁ。会ってみたいなぁ、なんてバカなことを。

 

最後はThose were the daysを。

ごぞんじ1968年のメリー・ホプキンのヒット曲で邦題は「悲しき天使」。

動画はシャープじゃないし、無理やりドリーのほかの動画をあてはめた劣画で、AIでもつかえばもっと気の利いたものができたと思うのだけど、いいんだ。音源はまごうことなきドリーだし、彼女のめずらしいブルーグラステーストのマイナーチューンが聴けるのだからそれでOK。ピン甘の動画であっても彼女のめずらしいフィドラーぶりがみられるのもいい。本家のメリー・ホプキンがバックでコーラスやハーモニーをつけているという贅沢録音。

2005年リリースのアルバム[Those were the days]の表題曲で、ほかに「風に吹かれて」「悲惨な戦争」「ターン・ターン・ターン」などのフォークを中心にレノンの「イマジン」やジャニスの「ボビー・マギー」など60年代、70年代の名曲がそれぞれ特別ゲストの参加で収録されている。

 

オマケは少し長めだが、1988年のドリーのテレビ冠番組にポーター・ワゴナーがゲスト出演し、「ラストシング・オン・マイ・マインド」ほかをメドレーする場面。思えば20年あまり前、当時人気だったポーター・ワゴナー・ショーに出演してからドリーのメジャーのキャリアがはじまったといってもいい。それを当時のテレビで振り返っているのもおもしろい。ほんとにあの頃からがドリーの輝ける日々が始まったわけで、いまは空の上でそうしたthose were the days をのんびりと反芻しているのではないでしょうか。なんて。

ドリー・パートンが亡くなった。8月25日のことだ。テネシーで生を受け、テネシーで生涯をまっとうした。

誰でもいつかは、なのだけれど80歳はやっぱり早いと思ってしまう。

カントリーを聴き始めた頃、女性としては、パッツィ・クラインやコニー・スミスとともによく聴いたシンガーだった。

 

あの主張の強いビジュアルと本物のベビーヴォイス。とりわけあの独特の笑い声は思わず誘われ笑いをしてしまうほどだった。また女優としても主題歌もヒットした「9時から5時まで」や「マグノリアの花たち」では期待どおりにそのキャラクターにあったコミカルな役を演じてくれた。シンガーであり女優であり、なによりも卓越したソングライターだったドリー・パートン。

[I will always love you]や [Jolene]もいいけれど、どこかできっとながれているだろうから今日は個人的に好きな歌を何曲か聴いて彼女を偲びたい。

 

まずは「コートはカラフル」The coat of many colors

1971年のヒット曲で、貧しかった少女の頃の思い出と母親への愛情をうたっている。カラフルな上着とは母親が文字通り色々な端切れを合わせてつくってくれたもので、クラスでも嘲笑の的だった。それでもドリーは母への感謝と誇りを忘れなかったと歌っている。12人兄妹で、ハイスクールへ行けたのはドリーだけという典型的なプアホワイト。アメリカだって貧しかった1950年代がうたわれている。

 

2曲目は1960年代後半から70年代にかけて、彼女をみいだしたポーター・ワゴナーとのデュエット曲を。トム・パクストンの[The last thing on my mind]からはじまってチャーリー・プライドでヒットした[Before I met you]とかドリーのソングライトによる [Daddy was an old time preacher man]など名デュエットは数多あるけれど今日は「メイキング・プラン」Making plansを。

自分の元を去っていく恋人に、「傷心に備えなくては」「あなたを忘れないようにしなくては」「あなたのいない孤独にたえなくては」と心の準備を吐露する健気なハートブレイク・ソング。1960年代にウィルバーン・ブラザーズWilburn Bros. がヒットさせたもの。

とにかく曲調がオールドファッションで胸にしみてくる。

 

最後はデュオからトリオへ。

1980年代後半、ドリーはエミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタットと組んでアルバム[Trio]をリリースした。彼女たちのオリジナルや名曲をカヴァしたもので、そのなかから元はリンダの持ち歌だった「ザ・スウィーテスト・ギフト」The sweetest gift を。

罪を犯して刑務所に入った息子に面会にゆく母親の話。母親は息子を攻めず、刑務所の関係者たちに賄賂をつかうこともなく、恩赦を請うこともなく、満面の笑みで息子に会い、できるだけの愛情をそそぎ、帰っていくだけだった。そんな彼女も天に召され、息子は自分にとってあの笑顔が最も素晴らしい贈り物だったと知る。1975年ジェームズ・コーツによって書かれた。

その10年後にはふたたびエミル―、リンダと組んでニール・ヤングの名曲「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」After the goldrush を含んだアルバム[Trio Ⅱ]をリリースしている。

 

オマケは「スウィート・バイ・アンド・バイ」In the sweet by and by を。

つい最近聴いたような気もするが、わたしにとって、Dollyのこの歌はいつどこで聴いても胸にジンと来る小島の秋のような歌なのだ。

19世紀半ば、ウエブスターによってつくられたセイクレッドソングで、「われわれはいつか素晴らしい世界をみることができるのです。そしていつの日か美しい水辺できっとめぐり逢えるのです」と信仰によって永遠の魂を得て、仲間たちと邂逅するのだ、とうたっている。

ドリーの歌声は最高のエンジェルヴォイスで、歌詞のとおりわれわれも悠久の世界を生きているのだというような気持にさせてくれる。歌が終わると、耳にあのケラケラ笑いが聴こえてきて思わず口元がゆるんでしまった。

 

ミック・ジャガーやポール・マッカートニーもDollyの死を悼んでいる。

thank you, and goodbye, Dolly.

今日は知り合いとの「定例会」で昼食を一緒にする予定だったのだが、午前9時ぐらいから非道い雨が降り始め、さらに隣に落ちたか?と思うほどの爆裂的雷音で、老体は思わず後ずさり。電話で延期を提言しようと思ったが通じず、ラインもしてみたが既読つかず。でも履歴を見てくれるからこちらの意向は伝わっているはず。と高をくくっていたのだが、昼を過ぎても連絡もなければ既読もつかない。

約束の午後1時になってようやく「了解」のラインが返ってきた。もしかすると彼のいた場所、会う場所は雨が降っていなかったのかな。

そんなわけで今日は丸一日の巣ごもり。ならば家でやるべきことはあるのだが、睡魔に誘われて朝食をとってはウトウト、昼食をとってはウトウトとゴロゴロ、ダラダラ生活。きっとこんなことしながら「永きの眠り」とやらにたどり着くんだろうな。

 

午睡から覚めても仕事をしようという気はおこらず、せめてもの罪滅ぼしにブログを書くことに。誰に対して何に対しての罪かは知らないけれど。

 

最近STONESのニュースを見聞きする。「ストーンズ」と書くと最近、日本では紛らわしいようだ。ROLLING STONESのことだ。先日もテレビのニュース番組でSTONESの面々がインタビューを受けていた。

 

それは案の定、ストーンズのニューアルバム[FOREING TONGUES]のプロモーションだった。

[IN THE STARS]と[ROUGH & TWISTED]の先行シングルを含む全14曲のアルバムで、すでに発売・配信されている。シングルの2曲を聴いてみたが、昔ながらの「中華そば」じゃなくて「ストーンズ」で安心した。前者は典型的なロケンローで後者は「ホンキートンクウィメン」を想起させるブルージーなロックでどちらもいい。アルバム買っちゃおうかな。

 

とにかくミック・ジャガーの、キース・リチャーズの、ロン・ウッドの雄姿というか憂姿というか、映像ながら元気な姿を見ることができてなぜかほっとした。本音をいえば「そうだよなぁ、あれから半世紀以上、歳もとるわなぁ、お互いに」というところなのだが。

 

せっかくのなのでSTONESの古えの曲をなにか、と思って考えた。好きな曲はたくさんあるけれど、どれもいまさらという気分で何か恥ずかしい。そこで最近たまたまYOU-TUBEで見聞きした曲を。

[BOB WILLS IS STILL THE KING]を。この歌は1930年代から50年代に活躍した「サンアントニオ・ローズ」SAN ANTONIO ROSE のヒット曲で知られるウエスタン・スイングの王様、ボブ・ウィルズへの讃歌。と同時に彼の故郷テキサスとカントリ―ミュージックの讃歌でもある。1975年、ウェイロン・ジェニングズによって作られ歌われた。

 

YOU-TUBEは2006年テキサス州オースティンでのコンサートのもようで、STONESのカントリー好きといえばキースだが、ミックがギターを抱いてうたって、ファンにサービスしている。そしてロニーがスチールギターを弾きこなしているのもいい。それとあたりまえだけれどチャーリー・ワッツの懐かしい姿。

 

ほかでもミックとキースが最近およびこれからの音楽のAI事情について語っているニュースもあったし、もうひとつ興味深かったのが、ミックがブルース・スプリングスティーンを批判しているような記事。

つまりブルースの反トランプ発言や活動に対してミックは(記事のままでいうと)コンサートを観にきたファンに「説教」はしない、と。まるでブルースが観客に説教しているような書き方だが、おそらくミックは自分のスタイルを語っただけで、ブルースを批判しているわけではない。それにブルースのコンサートでの政治的発言(説教ではない)を、織り込み済みで彼のファンはコンサートに足を運ぶのだから、はなからそれぞれのステージが異なるわけで、それを記事のライターが対比させようと思っても無理がある。

 

ただあらためて気になったのはミックが政治的にはどうなのかということ。イギリスなので支持するのは保守党なのか労働党なのか、ということ。アメリカの生活も長いわけなので、では民主党なのか共和党なのかということも。つまりトランプ支持なのか、それともアンチ・トランプなのか、ということ。

 

おまけはそのヒントがあるような2012年にホワイトハウスで行われたブルーズコンサートを。