
きのうは井上尚弥―中谷潤人戦を堪能した。
配信は3時からだったのだが、やりすごせない用事があって午前中に出かけ、なんとか2時に戻ってきた。
大き目画面でみたかったので仕事場のディスクトップで観戦することに。
メインイベントは多分夜の7時か8時頃だろうと思ってしばし別室で仕事を。
隣室から実況アナウンサーの叫声が聞こえる。
まだアンダーカードだが、前座大好きのツレが「拳闘の臭い」をかぎつけてやって来たのだ。ツレもアナウンサーに負けないくらいの声援を送っている。いつものことだ。
気が気でないのでわたしも仕事を中断して、観戦へ。
東洋太平洋戦のチャンピオン田中空対八王子の佐々木尽戦から観た。ツレが画面中央に陣取っているので、その横で遠慮しつつの観戦。
3時から観ているツレの横には握りつぶされた缶チューハイが。すでに2本目に入っている。
時はすすみ、井上拓真対井岡一翔のバンタム級世界戦。チャンピオンの井上が2度のダウンを奪って圧勝。拓真は強くなっていると思った。でもそれよりも井岡に全盛の姿はなかった。37歳という年齢とこれまでの烈しいバトルのことを考えればもう潮時なのかもしれない。
この試合がセミファイナルかと思ったら、もう1試合あった。元世界王者の武居由樹と中国のワン・デカンとのノンタイトル8回戦。
武居がなんとか判定で勝ったが、それまでの6試合すべてが判定決着。おかげで時間が押し、井上尚弥と中谷潤人がリングに上がったのが10時近く。
ツレの脇には呑みツブされた空缶が4本。
世紀の一戦は見ごたえ十分、予想を越えた名勝負となった。
結果はご存じの通りチャンピオン井上の判定勝ちだったが、その採点は僅差といってもいいほど。とにかく最強同士が相まみえるとこうなるという試合だった。どちらもミスを最小限に、というディフェンスのプランで臨んだ様子がみてとれた。こうなるとラッキーパンチや不用意なブローを受けたほうが負けるわけで、ふたりは見事にそのプランどおりほぼノーミスの試合を見せてくれた。
アクシデントは10ラウンドだったか中谷が左目付近をカットしたこと。11ラウンドは血が目に入るのか片目をつぶったままのファイトとなった。はっきり優劣がついたのはこのラウンドだろう。
最終12ラウンド、井上は深追いしなかった。中谷も捨て身の攻撃はできなかった。観戦者のわたしはひたすら「どちらも倒れずに最終のゴングを聞かせてくれ」と願っていた。
井上はさすが自身が言っていたような勝つためのボクシングで闘い切った。
全体的な印象でも井上の判定勝ちは納得するところ。攻防のテクニックだけでなく、試合運びや、ラウンドごとのメリハリのつけ方など一枚上だった。拍手。
試合後「ほっとした」「ゆっくり休みたい」と本音をもらしていたが、年内とはいわず1年間でもいいから休んでほしい。
それよりも中谷。
激闘のあと、リング上のふたりの間にレフリーが入り、判定のコール。
「ステイ」のコールと同時に中谷は普段とかわらぬ表情(少し笑顔)で拍手。彼の人柄の良さがにじみ出ている光景だった。
それでも内心「口惜しさ」はあるはずだ。
安心した井上、後悔した中谷。いちばん喜んだのはプロモーターとLeminoかもしれない。おそらく「再戦」必至で、貪欲なファンは「完全決着」を求めるので。
中谷にとってはプロ初敗戦。
しかしあの試合内容を考えれば、彼のキャリアに対するダメージはそんなに大きくないはずだ。最強のモンスターに惜敗したのだから、それはそれで勲章になるという思いもあるが、それは「もうひとりの最強」中谷のプライドが受け付けないだろう。彼がキャリアを終えたときに「価値ある敗戦」だったと思えるような今後のファイトに期待したい。拍手。
ふたりとも好きなボクサーでほんとうは闘ってほしくなかったのだが、勝負の世界はそういってはいられない。
原田―青木、小林―沼田、薬師寺―辰吉、畑山―坂本と日本人同士の「決戦」を観てきたがやっぱりナンバーワンだろう。
ふたりの素晴らしい戦いにふさわしい歌をと、考えてみたがなかなか思いつかず、最後に思い至ったのは昭和30年代の日活アクションの挿入歌。至極まじめな選曲ですが。
結局試合が終わったの11時近く。そのあと残りの仕事をするはめになったので就寝は午前2時ちかくになってしまった。
もうひとつ付け加えると、ツレはなんとメインイベントの途中で酔いつぶれてしまった。途中で気が付いたので何度か肩をゆすってあげたのだが、ハッと起きてまた10秒もたたずに寝落ちを繰り返すのでもはや諦めた。もちろん試合後ようやく目を覚ましたのだが、近来稀なスーパーファイトを見逃して、怒ること怒ること。「なんで起こしてくれなかったのよ!」と言われてもねえ。
わたしは世紀の一戦に酔ったが、ツレがほんとうに酔っぱらうとは。

いちばんいい季節。値上げと地震がなければ。
きょう今年初めてアゲハ蝶を見た。やがて蝉の合唱がはじまりまたあの暑い季節がやってくる。キツイんだよなぁ、歳をとると。
それでも夜な夜な睡魔に襲われながら音楽の海を泳いでおります。
最近よく聴いているのがいまさらながらの山口百恵。
21歳で引退してから46年だそうです。
あっという間だなぁ。彼女が現役を続けていれば67歳。還暦過ぎてそろそろ古希を迎えようとする百恵ちゃんなんて想像できないなぁ。
なんて言ってるけれど「山口百恵ど真ん中」かといえば、そうでもない。ストライクゾーンでいえば「インロー」?といったところ。とはいえデビューから引退までリアルタイムで聴いていたことは間違いない。
山口百恵の歌でよくいわれるのが、その短い歌手生涯(女優でもあったが)が前期と後期のふたつに別れるということ。わかりやすくいうと前期が少女で後期が女。さらにつけ加えれば、作詞作曲の宇崎竜童・阿木燿子夫妻の作品以前・以後という言いかたも。
1973年のデビュー曲「としごろ」から1976年の「愛に走って」まではほぼ曲:都倉俊一、詞:千家和也(1975から作曲に三木たかしが参加)のコンビである。
その代表的なヒット曲が以下のとおりで、
「青い果実」1973 ♪あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ
「禁じられた遊び」1973 ♪あなたが望めば なんでも捨てる
「ひと夏の経験」1974 ♪汚れてもいい 泣いてもいい
「冬の色」1974 ♪突然あなたが死んだりしたら 私もすぐあと追うでしょう
山口百恵のうたう少女は従順無垢で、マゾヒスティックで男尊女卑も極まれりという印象が一聴というか一目瞭然。もはやウーマンリブ登場から数年経っているというのにこの状況である。
もちろんプロデューサーをはじめとする男たちが山口百恵という少女を借りて自らの願望を発信しているのである。そしてなによりもヒットした。つまりリスナーである若者たちがそれを受け容れた。ファンは男中心だったのだろうが、同世代の少女たちがいたこともたしかである。
それが1976年阿木燿子という女性作詞家が登場して徐々に女へと変わっていく。もちろんこれもプロデューサーの意図するところで、「イイ女」でありかつ「自立した女」に仕立て上げていこうというプロモーションがうかがえる。
♪あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ と言っていた少女がわずか数年で♪馬鹿にしないでよ そっちのせいよ と相手を罵る女に変貌するのである。
「んなヤツいねえよ」ではなく、それが「山口百恵育成ストーリー」なのである。
なんて、ここで「山口百恵論」を展開するつもりは毛頭ないのであって。
改めて山口百恵を聴いてみたのは、そのアレンジの素晴しさを堪能しようと思ったから。
1970年代から90年代にかけて日本の歌謡曲(ポップスでもいいですが)を牽引したトップクリエイターといえば、作詞家なら阿久悠、作曲家なら筒美京平だろう。そしてもうひとりつけ加えたいのが編曲家の萩田光雄。
今回の主眼、アレンジャーにたどりつくまでに大分長くなってしまったので、さっそく宇崎・阿木・萩田コンビによる山口百恵の3曲を。
まずは「横須賀ストーリー」1976年。
この歌が宇崎竜童・阿木燿子夫妻による山口百恵ヒットソングの第一号。そしてアレンジは萩田光雄で、このトリオが山口百恵の完成型をつくっていく。山口百恵の地元を舞台にしたこの「横須賀ストーリー」はもともとアルバム用に作る予定のものをあまりにもアレンジが素晴らしいのでディレクターが急遽シングル用に替えたという曲。ディレクターは萩田にイタリア映画の「太陽の下の18才」の主題歌のようなツイスト風にというリクエストをしたとか。個人的にはそれよりは同じイタリア映画でもアントニオーニが監督した「太陽はひとりぼっち」のように聴こえる。すこし脱線しました。
とにかくそのイントロのベース、ドラムス、ストリングスが圧倒的。Aメロのところと間奏、アウトロのサックスもイカしてるし、全体を盛り上げている。
2曲目は♪ごめんね 去年の人と またくらべてる と毎年男を変えているような完全自立の女がうたわれている「イミテーション・ゴールド」1977年。
アレンジャーの腕の見せどころのイントロはヴァースではじまる。そのイントロと間奏のイメージはこれまた映画の「007」だとか。そういわれればなんとなく「シークレット・エージェントマン」が聴こえてきそうなギター。次の歌もそうだがこの歌も宇崎竜童のリクエストなのかギター中心で、ドラムスとベースのリズムというロック調。ひんぱんに出てくるエレキの引っかけるような音が耳に残るし、「フッフッフ」も含めて女性コーラスも効果的。コーラスもアレンジャーの仕事なのだ。
最後は22枚目のシングルで、歌詞にジュリーの「勝手にしやがれ」が出てきて驚いた「プレイバックpart2」1978年。
やはりイントロからのギターが印象的で、♪馬鹿にしないでよ から使われ、♪ちょっと待って で前面に出てくるシンセサイザーのような音がおもしろい。その音が止まって瞬時の静寂が生まれるのはプロデューサー(酒井政利)のアイデア。ほかでは控えめなストリングスもここちよい。詞曲ができあがるまでに時間がかかったようで、そのシワ寄せがきて萩田光雄はこのアレンジを半日で仕上げたとか。さすが職人、いや名匠。
このあと「絶体絶命」、「曼珠沙華」(マンジュシャカ)、「ロックンロール・ウイドウ」、「美・サイレント」とヒット曲が続くのだが、萩田光雄もこれらの山口百恵の楽曲をアレンジすることで名を売り、さらに腕を磨いていくことになる。
それにしても思い返せば山口百恵の引退は衝撃的であるとともに不可解だった。ビッグスターの座を捨てて愛を、結婚を選択した潔さが喧伝されていたが、引退後、事務所との確執や独立問題があったことが漏れ聞こえてきて、もしかしたらできることなら歌手を続けたかったのではないかなんて思えてきたり。
少なくとも令和の時代だったら、どんなかたちであれ歌手を続けることができたのでは、と思う。
山口百恵はあの時代が産んだビッグスターだったが、まさにその時代の壁によって引退を余儀なくされた悲劇のディーヴァだったのかもしれない。オマケは動画を。

先日聴いた「桜三月散歩道」で連発されていた「狂う」という言葉。アン・ルイスも「六本木心中」のなかで何度も叫んでいた。ほかでもこんな歌がある。
のっけから♪気が狂いそう と叫ぶ。これは1987年の歌だが、その20年あまり以前の
「気が狂いそう」とうたったのはビリー・バンバンの「ミドリーヌ」。
かつて歌のなかでもしばしば出ていた「狂う」は、いまや流行歌の中で放送禁止、あるいは発禁(発声禁止)なのだろうか。
日常会話でもむかしほど使われなくなったような気がする。古い人間はいまでも「ギャンブルに狂う」とか「女に(男に)狂う」とか、「人生、狂わされた」なんて言っているのだろうが、若い人は「ゲームに狂う」とか「インスタに狂う」なんて言うのだろうか。
昔というと大ざっぱだけれど、少なくとも20世紀までは差別・ヘイト用語は日常的につかわれていた。「狂う」もそうだが、「キチガイじみてる」とか「アタマおかしい」なんて平気でつかわれていた。
それが精神疾患をもつマイノリティに対する侮蔑的、攻撃的な発言であり、相手がそうでなくとも(そうした場合の方が多い)、障害者への冒涜であるという意味で社会から排除されてきている。
そうした言葉の「浄化」を徹底させたのが新聞やテレビ、ラジオなどのオールドメディアだろう。そして多くの読者、視聴者は概ね了解した。表現の自由を盾に反対する人間もいるがそれこそ少数派で、時代は逆転してそのことを明言しにくい状況にあることもたしか。
最近目にしたのはネットニュースでトランプのことを「狂ったふりか、それとも本当に狂っているのか」というヘッドライン。答えは明らかなので深追いはしなかったが。
規制にゆるいネットでは平気でつかわれているようだ。オールドメディアはおそらくそうした表現はとらないだろうが。
なにか話があらぬ方向へ行きそうな勢いなので、狂った、いやズレた軌道を修正して。歌の世界へ。
もはやカオスだった戦前は置いといて、昭和20年代、30年代(1945~1964)のヒット曲では、
♪心も狂う 未練の言葉 「フランチェスカの鐘」二葉あき子 1948年
♪狂おしく泣きぬれて 「恋の曼殊沙華」二葉あき子 1948年
♪狂おしの いく夜ごと 「君忘れじのブルース」淡谷のり子 1948年
♪踊り狂えば 夜が更ける 「オロチョンの火祭り」伊藤久男 1953年
♪狂うリズムを きざむ太鼓は 「ブラジルの太鼓」伊藤久男 1954年
♪狂いつつ うれてゆく 「狂った果実」石原裕次郎 1956年
などがある。
時はすすみ40年代、50年代。西暦でいうと1970年代、80年代で、さらに多く現れている気がする。
70年代では、
♪私あなたに 恋狂い 「恋狂い」奥村チヨ 1970年
♪好き好き好きで燃えて 狂わせたいの 「狂わせたいの」山本リンダ 1972年
♪今 ぼくは 狂おしく 「傷だらけのローラ」西城秀樹 1974年
♪ステキな恋に 狂いたい 「まるで正直者のように」友部正人 1972年
♪泣いて狂った あたしを抱いて 「同棲時代」大信田礼子 1973年
♪狂った果実には 青空は似合わない 「狂った果実」アリス 1980年
♪狂おしく抱きしめた あなた旅人 「ボヘミアン」葛城ユキ 1982年
♪灼けつく日差しが 俺たち狂わせる 「Marionette」BOOWY 1987年
まぁ、総じていえるのは本当に「狂う」のではなく、平静でいられないほど、自分を見失うほど感情が昂るという意味で「狂う」という表現をつかったもの。つまり冒頭の甲本ヒロトがうたっているように「狂った」のではなく「狂いそう」なのである。
そんななかでホントに狂ったのか? と思わせるのが森田童子の「逆光線」1976年。
♪ぼくはひとり やさしく発狂する
これも大袈裟な喩えといえばそうだが、やさしく発狂するのが怖い。
「狂う」はあったが、さすがに「キチガイ」はないだろうと思うと、これがあった。
三上寛の「気狂い」1972年。
もはやストレートなタイトルが放送禁止。内容はひたすらうたわれる狂人が見るサイケな世界。ラストでは「狂ったように」タイトルを連呼する。ただ同時代を生きてきた人間にとっては、あの時代特有の演劇的な衒いの言葉の羅列で、「常識人が創造する狂人の世界」に聴こえてしまう。だからそれほど狂気は感じない。
以上、「むかしの歌は狂っていた」という話でしたが、JPOP事情はどうなのだろう。もはや「狂った」は自己規制でつかわれていないのではないだろうか。ましてや「発狂」「気狂い」だなんて。でもどんなに言葉で浄化したところで「狂気」はいつの世でも存在することは誰でも知っている。
はじめのニュースの「狂気かふりか」というアメリカ大統領の頭の中。
暴力のみならず、経済の大混乱で世界を脅かしている(アフリカの飢饉もそのために加速されているとニュースで)アメリカ大統領のやっていることは、どんなに逆立ちしても正気の沙汰とはいえない。
高市総理もアジア、中近東。ヨーロッパの首脳と会って「早く終息してもらいたい」なんて波風立たない緩いことを言っていないで、直接あの男に「止めてくださいよ」ぐらい言ってくれなくては。あの阿り笑いででもいいから。
「安定的な皇位継承問題」、「インテリジェンス機能の強化」そして「憲法改正」へと国内では高市自民党のやりたい放題(消費税はやらないみたいだけれど)。ほんとうに自民党大会で自衛隊員が正装で国歌をうたうことに問題がないのかな。自衛隊は自民党のものではない。誰のアイデアか知らないが、総理がノリノリだったことは想像できる。ロックバンドや人気モデル?との顔合わせや対談だとか、以前からの高市ポピュリズムが目につく。
そういえばかの自民党大会で、世良公則が「燃えろいい女」を“総理”のために名前を差し替えてうたった(結婚式のように)ことも支持率維持の人気取り以外のなにものでもない。まぁそれに乗って拍手喝采をしてしまう人が多いのだから仕方ないのだけれど。
♪恋の季節かがやかせては 狂わせる俺の心 「燃えろいい女」世良公則&ツイスト 1979年

昨日は久々にボクシング観戦へでかけた。両国国技館での那須川天心の世界戦挑戦者決定戦。
一昨日急遽知人から「チケットが2枚あるんだけど行かない?」と言われ、わたしはもはや会場へ行かなくなって10年以上経つほどフットワークが鈍っているので、やはりファンであるツレに誰か誘って行けばと打診したのだけれど、あれこれあって結局同行することになってしまった。
井上―中谷だったら四の五の言わずに二つ返事だったのだが、世界戦なしの那須川戦メインでは足どり軽快というわけにはいかない。ただアメリカから逆輸入の無敗日本人ボクサーが出るというので重い腰をあげた次第。
試合はすでに報道されたとおりで、正直メインイベントを含め、わがボクシングマインドが滾ることはなかった。かの逆輸入ボクサーもディフェンスにみるべきところがあったが、世界の頂点に立つのは難しいという感想だった。
セミファイナルの帝拳期待の元アマ世界チャンプの坪井は、2ラウンド開始早々相手の負傷で引分けというなんとも超物足りない結果。
そしてメインの那須川戦も元2階級世界王者のエストラーダが戦意喪失でTKO負け。
9ラウンドが終り、わたしはトイレへいったのだが、戻ってみると試合は終わっていた。たしかにエストラーダがバッティングでダウンするというアクシデントはあったが、そんなにダメージがあったのか、という印象。そもそもかのメキシカンは35歳で元チャンプとはいえすでに峠は越えた選手。スタミナ切れが正直なところではなかったか。那須川はこれで再度世界挑戦の権利を得たわけで、次が正念場となる。
とにかく昨日は見どころのない試合ばかりだった。
意外だったのは那須川戦ということもあってか若い女性の観客が目立ち、いわゆる「黄色い声援」が絶え間なく会場を支配していたこと。それでもマス席がツレとの2人用でゆったり見られたことは快適だった。以前はひとマス4人だった。誰の試合だったかは忘れてしまったが、むかし、亡くなった作家の立松和平と同席したことを思い出した。彼もボクシングのエッセイを書くほどのファンだった。
ツレは声をあげ、起ち上って拍手をするなどかなりエキサイトしていて充分満喫したようだった。彼女は一時は後楽園ホールに通うほどのファンで、その熱量はわたし以上なのだ。
まぁ、ツレが満足したのなら何も言うことはない。
おそらくこれが最後の生観戦かも、なんて話をしながら帰路についた。
1試合飛んで4時間あまりの観戦だったが、さすがに疲れた。
ボクシング、ボクサーが出てくる歌は少ない。
矢沢永吉の1975年のアルバム「マリア」の収録曲で「都会の風よ」では♪老いぼれたボクサーのように 思い出はまだ語れない とうたわれている。もちろんこれは比喩的につかわれたもの。残念ながらYOU-TUBEでは「永ちゃんモドキ」ばかりで音源はなかった。
最も知られたものはアリスの「チャンピオン」(1979年)だろう。
♪年老いた 悲しみをみた というようにやはり引退間際のロートルボクサーのことをうたっている。実際は沢木耕太郎の「一瞬の夏」で描かれたカシアス内藤をモデルにしたともいわれている。
たしかに老いぼれボクサーにはドラマがあるのだが。あの矢吹丈だって若さとパワーで強敵たちを倒していっても最後はまるで老人のように真白になってしまったし。ボクサーの結末はネガティブというのが相場なのか。
あまり歌にうたわれることのないボクサーだけど、知っているなかで唯一ポジティブというかネガティブではないボクサーがでてくるのがあいみょんの「さよならの今日に」(2020)。行き詰ったとき、伝説のボクサーにその知力能力を学びたいとうたっている。
帰宅後テレビでUKのロックバンド、ディープ・パープルが来日し、高市首相と面会した場面が流れていた。ファンだという首相のリクエストらしい。
今日は自民党の党大会で世良公則が「燃えろいい女」を♪燃えろサナエ の歌詞を加えて首相の前でうたったこともニュースになっていた。
高市首相が元パンクロッカーだったことはよく報道されている。パンキッシュも年月を経れば超保守的になってしまう、といことのようだ。
それでも、ニュースで見たイアン・ギランは歳を重ねていたがそれなりにカッコよかった。リッチー・ブラックモアはバンドから離れてしまったけれど、彼らの代表曲をオマケに。
まあ昨日の試合は消化不良だったけれど、来月には真の伝説のボクサーが誕生する。もしかしたらふたり?。

小雨の中、傘を差していつものように仕事場へ。
公園の桜はほぼ3分残し。ゆるやかな風が吹いて桜の花びらが舞っている。ときおり風はつよくなり、雪のように大量に降りかかってくる。まさに花吹雪。まるで歌舞伎役者にでもなったようで気分がいい。
仕事場に着いて、中へ入ろうと傘をすぼめると桜の花びらが二ひら貼りついていた。いつもなら雨滴をきるため傘を振るのだが、そんな野暮なことはしない。傘だって花びらなら厭な気持はしないのではないか。少なくとも鳥の糞よりはましだろう。
「桜の歌」はほんとに多い。JPOPでもコブクロ、森山直太朗、河口恭吾がそれぞれ「桜」をヒットさせている。
それぞれ聴いたことがあり(聴こえてきた)、それぞれいい歌だと思うが、やっぱりここでは古い歌を。
「ひらひら」であれ「ふぶき」であれ、桜の花びらが散る様子をうたった名曲を4曲。
まずは演歌をふたつ。
はじめはタイトルに桜が入っている坂本冬美の「夜桜お七」。
1994年坂本冬美12枚目のシングルで、作曲は三木たかし、作詞は林あまり。編曲は前回も「さよならを伝えて」(研ナオコ)でふれた若草恵。
作詞の林あまりはエロスを詠む歌人でもあり、この和風ハートブレイクソングにもその片鱗がうかがえる。
お七といえば「八百屋お七」が連想される。江戸時代に好きな男に逢いたいがために放火して15歳?の若さで処刑(火あぶり)されたという八百屋の娘お七のことで、実際にあった事件で、その後いろいろな作家が「八百屋お七」を書いている。
「夜桜お七」もその激しい恋情を江戸娘に重ね合わせてかかれたものだろう。
2曲目は毎度毎度の八代亜紀。
1975年11枚目のシングルの「ともしび」
作詞作曲は彼女の初ヒット「なみが恋」の悠木圭子・鈴木淳夫妻。編曲は「舟唄」「雨の慕情」も手がけた竜崎孝二。
余命少ない許婚に献身的に尽くす女という演歌の真髄。昔ながらの「お涙頂戴ストーリー」なのだが、歳をとるとどうも沁みてくる。悠木圭子は女優出身の作詞家で、鈴木淳とは再婚。今年の3月90最で亡くなっている。動画がスゴイ。久々の三波伸介。
後半は1970年代の和製フォークを2曲。
まずは1972年の「赤色エレジー」(あがた森魚)。
ガロに連載された林静一の劇画「赤色エレジー」をベースにしてシンガーソングライターのあがた森魚がつくった。リリースしてしばらくしてからメロディが昭和25年に伊藤久男がうたった「あざみの歌」に似ているとクレームが起き、作曲が八洲秀章に変更された。許容範囲だと思うけれど。
ジーパンに下駄ばきで昭和浪漫をうたうあがた森魚の出現が強烈だった。また当時の「同棲ブーム」も反映されている。
この歌を聴くと当時の友人を思い出す。以前書いたような気がするので重複するかもしれないが。彼はカメラマン志望で一時は「東京キッドブラザース」を追いかけていたが、あるとき突然ニコン一式をわたしにくれて、北海道の或るコミューンへ行ってしまった。それからしばらくは年に一度くらい会っていたのだが、会うたび彼が随分先へ行ってしまった気がして、そのうち疎遠になってしまった。はたしていま生きているのか死んでしまったのか。いい男だったしいい思い出でもある。
最後はその翌年1973年の名曲。これもファンの多い井上陽水の「桜三月散歩道」。
伝説のアルバム「氷の世界」の収録曲。わたしも買いました、いや貰いました(誰からもらったのか忘れてしまっている。完全に)。
先にシングルとしてリリースされていた収録曲の「心もよう」が大ヒットし、その勢いもあってアルバムも初めて100万枚突破というミリオンヒットとなった。
♪どこへ行こうと勝手なんだが というある意味傲慢な表現が当時、ある種のフォークの主流だった。自立したラヴソングでいい歌だと思うのだが、メディアにとりあげられなかったのは歌詞のなかで「狂った」を連発しているからかもしれない。
作詞は陽水ではなく漫画家でもある長谷邦夫。
当時漫画家がポップスやフォークの詞を書くということがたまにあり、たとえば真崎守が浅川マキの「翔べないカラス」や「死春記」を、上村一夫が大信田礼子の「同棲時代」や「今日子と次郎」などを書いている。
アレンジはアルバム全般で星勝。
この歌もまた思い出がしみついている。ギターのイントロから♪ねえ、君 と始まると半世紀前の場面が甦る。
はじめてのひとり暮らし、はじめてのアパートの記憶。
そもそもわたしがそのアパートを選んだの「桜三月散歩道」の詞に♪川のある土地へ行きたいと 思っていたのさ とあるようにすぐ傍に小さな川が流れていたから。歌をなぞったわけではなく、ひとり暮らしにあたっての以前からの必須条件だった。
そのアパートには20代前半から3年あまり住んだ。ほんとにいろいろなことがあったが、桜の思い出は残念ながらない。引っ越したのは9月、秋だった。
秋だからこその視覚ではなく嗅覚にまつわる強烈な思い出がある。
そこは1階が大家さん一家で2階に3部屋の貸間があるというアパートで、わたしは真ん中の部屋。引っ越し疲れでグッスリ寝て起きた朝、窓を開けると強烈な匂いに見舞われた。
大家さんの庭に植えてある金木犀の香り。とわかったのは後日で、はじめは異臭以外のなにものでもなかった。なにしろそれまで金木犀など見たことも嗅いだこともない歳月を生きてきたのだから。
はじめは「ここでしばらく暮らすのか」という思いもあったが、棲めば都で徐々に慣れてきて苦痛ではなくなっていった。あれから半世紀あまり、今では好きな匂いなのだから人間変われば変わるもの。残念ながら現在の住まいの周辺に金木犀はない。ただ仕事場へ行く途中の公園に数本の金木犀が植えられているので、秋になるとわざわざ遠回りして季節を満喫しに行くというほどの変わり様。
桜の花からはなれてしまいましたが、オマケは桜吹雪にもどして。
作詞湯川れい子、作曲NOBODY(相沢行夫・木原敏雄)、うたうはアン・ルイスといえばこの曲。SHOW YAとのライブ版で。