song love

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好きな歌や音楽についての懐想・悔想・快想など

今日は知り合いとの「定例会」で昼食を一緒にする予定だったのだが、午前9時ぐらいから非道い雨が降り始め、さらに隣に落ちたか?と思うほどの爆裂的雷音で、老体は思わず後ずさり。電話で延期を提言しようと思ったが通じず、ラインもしてみたが既読つかず。でも履歴を見てくれるからこちらの意向は伝わっているはず。と高をくくっていたのだが、昼を過ぎても連絡もなければ既読もつかない。

約束の午後1時になってようやく「了解」のラインが返ってきた。もしかすると彼のいた場所、会う場所は雨が降っていなかったのかな。

そんなわけで今日は丸一日の巣ごもり。ならば家でやるべきことはあるのだが、睡魔に誘われて朝食をとってはウトウト、昼食をとってはウトウトとゴロゴロ、ダラダラ生活。きっとこんなことしながら「永きの眠り」とやらにたどり着くんだろうな。

 

午睡から覚めても仕事をしようという気はおこらず、せめてもの罪滅ぼしにブログを書くことに。誰に対して何に対しての罪かは知らないけれど。

 

最近STONESのニュースを見聞きする。「ストーンズ」と書くと最近、日本では紛らわしいようだ。ROLLING STONESのことだ。先日もテレビのニュース番組でSTONESの面々がインタビューを受けていた。

 

それは案の定、ストーンズのニューアルバム[FOREING TONGUES]のプロモーションだった。

[IN THE STARS][ROUGH & TWISTED]の先行シングルを含む全14曲のアルバムで、すでに発売・配信されている。シングルの2曲を聴いてみたが、昔ながらの「中華そば」じゃなくて「ストーンズ」で安心した。前者は典型的なロケンローで後者は「ホンキートンクウィメン」を想起させるブルージーなロックでどちらもいい。アルバム買っちゃおうかな。

 

とにかくミック・ジャガーの、キース・リチャーズの、ロン・ウッドの雄姿というか憂姿というか、映像ながら元気な姿を見ることができてなぜかほっとした。本音をいえば「そうだよなぁ、あれから半世紀以上、歳もとるわなぁ、お互いに」というところなのだが。

 

せっかくのなのでSTONESの古えの曲をなにか、と思って考えた。好きな曲はたくさんあるけれど、どれもいまさらという気分で何か恥ずかしい。そこで最近たまたまYOU-TUBEで見聞きした曲を。

[BOB WILLS IS STILL THE KING]を。この歌は1930年代から50年代に活躍した「サンアントニオ・ローズ」SAN ANTONIO ROSE のヒット曲で知られるウエスタン・スイングの王様、ボブ・ウィルズへの讃歌。と同時に彼の故郷テキサスとカントリ―ミュージックの讃歌でもある。1975年、ウェイロン・ジェニングズによって作られ歌われた。

 

YOU-TUBEは2006年テキサス州オースティンでのコンサートのもようで、STONESのカントリー好きといえばキースだが、ミックがギターを抱いてうたって、ファンにサービスしている。そしてロニーがスチールギターを弾きこなしているのもいい。それとあたりまえだけれどチャーリー・ワッツの懐かしい姿。

 

ほかでもミックとキースが最近およびこれからの音楽のAI事情について語っているニュースもあったし、もうひとつ興味深かったのが、ミックがブルース・スプリングスティーンを批判しているような記事。

つまりブルースの反トランプ発言や活動に対してミックは(記事のままでいうと)コンサートを観にきたファンに「説教」はしない、と。まるでブルースが観客に説教しているような書き方だが、おそらくミックは自分のスタイルを語っただけで、ブルースを批判しているわけではない。それにブルースのコンサートでの政治的発言(説教ではない)を、織り込み済みで彼のファンはコンサートに足を運ぶのだから、はなからそれぞれのステージが異なるわけで、それを記事のライターが対比させようと思っても無理がある。

 

ただあらためて気になったのはミックが政治的にはどうなのかということ。イギリスなので支持するのは保守党なのか労働党なのか、ということ。アメリカの生活も長いわけなので、では民主党なのか共和党なのかということも。つまりトランプ支持なのか、それともアンチ・トランプなのか、ということ。

 

おまけはそのヒントがあるような2012年にホワイトハウスで行われたブルーズコンサートを

先日YOU-TUBEで亡くなった美輪明宏のシャンソンを聴いていた時、サムネイルにあったのが「緑の地平線」。好きな歌なのでさっそく聴いてみたのだが、そこからやがて、暫しの昭和の懐メロ世界へと誘われることになってしまった。

 

「緑の地平線」は、まさに美輪明宏が誕生した昭和10年に楠木繫夫がうたって大ヒットした。作詞・作曲は佐藤惣之助・古賀政男で、いわゆる古賀メロディー。いまでも男女を問わず演歌歌手にカヴァされることが多い名曲。

かつて流行歌の鮮度は長持ちした。ヒット曲は何年も人々に聴かれ、口ずさまれた。おそらく臣吾少年(幼名)もこうした流行歌を聴いていたのではないか。

楠・古賀・佐藤のトリオでいえばほかに昭和13年の「人生劇場」がある。楠木繁夫以外では、ディック・ミネの「人生の並木路」(12年)や二葉あき子&霧島昇の「新妻鏡」(15年)も佐藤・古賀の作品。

万人に愛され、今でもうたい継がれる名曲をうたった楠木繁夫だが、戦後はヒットに恵まれず、不幸な晩年だった。

 

あとの2曲はわたしも持っている彼の「昭和の名曲を歌う」というアルバムにおさめられた歌を。いずれも松島詩子のカヴァで、戦前戦後の歌一曲ずつ。美輪さん、松島詩子のファンだったのかもなぁ。

 

まずは戦前、昭和12年の「マロニエの木蔭」

オリジナル同様タンゴで。作曲は細川潤一。ほかでは三橋美智也の「古城」(34年)が知られている。また作詞の坂口淳は戦後の童謡「小鹿のバンビ」で有名。また戦後から訳詞も多く手掛けていて、ハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」をカヴァした雪村いずみ盤は彼の訳詞。当時なぜかタンゴまで国から目を付けられ「敵性音楽」となったくらいで、この歌も発売があと数年遅れたら生まれてこなかっただろう。

 

戦後になると彼女は水を得た魚のようにポップス系の歌、とりわけシャンソン風のオリジナルソングを多く歌った。

2曲目は昭和29年の「スペインの恋歌」に続いて翌30年にヒットした「喫茶店の片隅で」。モダンな風俗として広まりつつあった喫茶店でのデート。まだ貧しさと純情が残る日本の戦後がうたわれている。

喫茶店での逢瀬をうたった歌は戦前にも「小さな喫茶店」(中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーオイズ、11年)や「一杯のコーヒーから」(霧島昇・松原操、14年)があるし、戦後でも「学生街の喫茶店」(GARO、47年)などがある。まさに昭和の光景だが、昭和に青春を送った人たちには思い出の喫茶店がひとつやふたつはあるはずだ。きっと。いまでもスターバックスやタリーズを舞台にしたラヴソングがあるのだろうか。

 

作曲は戦前ジャズのボーイズでメインヴォーカルをつとめた中野忠晴。戦後作曲家に転身し、「赤い夕陽の故郷」(昭和33年)など三橋美智也の歌を中心にヒット曲を書いた。ほかでは若原一郎の「おーい中村君」(33年)も。

作詞はキングのディレクター出身の矢野亮で、先の「おーい中村君」ほか三橋美智也の「夕焼けとんび」(33年)、「りんご村から」、「お花ちゃん」(斎藤京子とのデュオ・ともに31年)のヒット曲がある。ヒットはしていないが高倉健の「男の裏町」も矢野の作品。

 

この歌が世に流れていた頃、丸山明宏は銀巴里に出入りしはじめていた時代で、その2年後に「メケ・メケ」で衝撃的なデビューは果たす。

 

松島詩子についても少し。山口県出身で、戦前、小学校教師からの転身デビューという異色の歌手だった。純和風というよりは洋楽テイストつまりいまでいうポップス系の歌が多く、そうした嗜好のファンには絶大な支持を得た。演出家で亡くなった久世光彦が著書の中で、鬱屈した青春と喫茶店とこの歌の思い出を書いている。

戦前戦後と活躍した松島だが、平成8年、美輪明宏と同じ91歳で亡くなっている。

 

ワールドカップはベスト8へ向けていよいよ佳境。

とにかくベスト16へ出てくる国はどこもそれなりに上手いし強い。そんなハイレベルなテクニックを観みられるのはワールドカップならでは。だから全部は無理だけれど、できるだけ観たいと思っているのだが、困るのはどちらの国を応援するかという問題。勝負事はニュートラルでみるよりもどちらかに肩入れしてみたほうがおもしろいし、入り込める。まぁ、基本的には判官びいきで格下チームを応援するのが楽しい。勝てる確率は低いけれど勝った時の刺激は大きい。だから負けてしまったけれどカーボベルテの健闘(アルゼンチン戦のあの粘り)は気持ちよかった。

明日はベスト8をかけてかのブラジルがノルウェーと対戦する。はじめから観るのはきびしいが後半あたりから観ることができれば。もちろんハーランドに決めてもらってバイキングロウを見たい。

 

オマケは動画で。めずらしい美輪明宏のラテンを。

 

いよいよ明日ブラジル戦。

決勝トーナメント進出でベスト32?

ということは次のブラジル戦に勝ってベスト16ってこと? キビシイ。

もしかすると初敗戦でワールドカップ敗退なんてことに? トーナメントである以上一発勝負はやむを得ないのかもしれないけれど、惜敗したチームには敗者復活戦というルールがあってもいいのでは。でないと組み合わせによる不利がでてくる。まぁそれも含めてワールドカップなのかもしれないけれど。

 

念は遅れなくて残念だけど、代わりに音楽を聴いて応援しよう。

なんでも、日本のキャンプ地はテキサス州のナッシュビルだとか。ナッシュビルといえばカントリーミュージックの聖地。当地のラジオ番組でありカントリーシンガーが憧れる殿堂「グランド・オール・オプリ」Grand ole opryがある。

当時流行だったフィドル中心のダンス大会(バーン・ダンス)ではじまり、やがてカントリーミュージック中心のショウに発展していく。ダンスもあれば寸劇もあるオペラのようなもので、オプリはオペラの訛りあるいは誇張といったもの。

 

ワールドカップは今年で100年記念というが、「グランド・オール・オプリ」も昨年100周年を迎えた。どちらも歴史のあるエンタメなのである。

 

そんなわけで好きな古いカントリーを何曲か聴いてみた。

 

まずは今の季節にふさわしい雨の歌。「雨の別離」Blue eyes crying in the rain 。

音楽出版のオーナーでもあり、ハンク・ウィリアムズを発掘し育てたフレッド・ローズの作品。初吹込みはエルトン・ブリットだったが、その後すぐ共同経営者のロイ・エイカフがうたってヒットした。その後1970年代にウィリー・ネルソンがこの歌でグラミー賞を獲るなど再評価され、エルビスをはじめ、チャーリー・プライド、オリビア・ニュートン・ジョン、エヴァ・キャシディ、シャナイア・トゥエインなど男女を問わず多くのシンガーがカヴァしている別れの歌。

 

2曲目は失恋してもなお、「もう一度君の魅力でメロメロにしてほしい」と懇願する未練節「アンダー・ユア・スペル・アゲイン」Under your spell again 。

1959年バック・オウエンスの共作でつくられ、彼の歌でヒットした。この歌もカヴァするシンガーが多い。女性のカヴァではスキータ・デイヴィスがポップで聴きやすい。バック・オウエンスといえばヒット曲も少なくない。日本で来日コンサートをしたこともあり、日本女性とのラヴアフェアーをうたった[Made in Japan]という歌もある。またビートルズの「アクト・ナチュラリ」はバックのカヴァ。

 

3曲目は一昨年の9月に亡くなったクリス・クリストファーソンの究極のラヴソング「ヘルプ・ミー・メイク・イット・スルー・ザ・ナイト」Help me make it through the night 。邦題をつければ「夜をあなたと」という感じ。

クリスのファーストアルバム「クリストファーソン」の中の一曲で、アルバムは不調だったが、のちに女性シンガー、サミ・スミスがヒットさせた。そして元カノ、ジャニス・ジョプリンに送った「ボビー・マギー」Me and Bobby McGee  同様多くのカントリー、ポップスシンガーにカヴァされることになった。どのカヴァも聴きごたえがあるのだが、今回は彼もメンバーだった「ハイウェイメン」で。ジョニー・キャッシュもウェイロン・ジェニングスもなくなり、もはやウィリー・ネルソンが残るのみ。光陰矢の如し。わが齢を思えばさもありなん、です。

 

おまけはカントリーではおなじみのゴスペルあるいはセイクレッドソング「スウィート・バイ・アンド・バイ」In the sweet  by and by を元気なオーク・リッジ・ボーイズで。まだ元気かな。

 

ふたたびワールドカップの話。

正直、ブラジルもそうだがフランスやコロンビアなど強豪国の試合を見ていると、果たしてこうしたチームに日本が勝てるのだろうかという気持ちになるのは否めない。まぁ、チームの相性ということもあるのでジャイアントキリングの可能性ゼロではないと思うけれど。

テレビでの元Jリーガーの解説者はほぼブラジル戦での日本の勝利を予想している。日本が負けるという人はほぼ見当たらない。まぁ「日本が負ける」なんて言う人はテレビの解説に呼ばれないのだろうが。

テレビ局もワンパターンの「日本絶対勝利」ばかりを叫んでいないで、両国それぞれを勝利と予想する解説者二人を出演させその根拠を戦わせれば、番組としてももっと面白いエンタメになると思うのだけど。

結局正しかったのはセルジオ越後氏だけだった、なんてことにならなければよいのだが。

 

ワールドカップからふと目を離すと株価の異常高騰、円安地獄、体幹の弱い消費税減税、イラン侵略戦争休止の危うさ、相変わらずのトランプ悪政、地震・台風の災害の脅威などなど、社会は相変わらず重く暗い雲に覆われている。光はいつどこからさしてくるのかという気持ちになる。それでも束の間のエンタメ、ワールドカップは楽しみたいと思うのだけれど。

午前2時、起きている自信はあるけど、2時間あまり起きていられる自信はない。

 

美輪明宏さんの訃報である。

 

記憶だけで書くと、彼のことを初めて知ったのは子供の頃、昭和30年代前半だったと思う。はじめは丸山明宏の名でシャンソン歌手として登場した。「メケメケ」という歌もタイトルと「バッキャロー」と直接的な歌詞で強く印象に残った。また、なによりも彼に対する報道が「シスターボーイ」という表現されることも子供の心に記憶された。「シスターボーイ」とは直訳すると「お嬢少年」。いわゆるその後公然化される「ホモ」であり「オカマ」のことである。

 

いまではLGBTとして社会的にも普通人として扱われるようになったが、70年余り昔の日本では差別や好奇心の対象だった。それを臆することなく、「私はゲイです」と主張することもなくただのシャンソン歌手として活動していた。

もはやテレビも普及しはじめ、我が家にも遅ればせながら新しい家族として闖入してきた頃だった。今考えると歌謡曲少年だったわたしは、よくTVの歌番組を見ていたが、残念ながら丸山青年をみた記憶はない。自己規制だったのだろう。それでもその容姿を覚えていたのはおそらく芸能ニュース番組などで見たのではないだろうか。報道ならOKだったのだろう。

 

それから数年後に自身でつくったオリジナル曲「ヨイトマケの唄」で再ブレイク。このときのこともうっすら覚えている。たしか「木島則夫モーニングショー」?の歌のコーナーだった。はじめて聞いてそのリアルリズムに強い印象を受けた。昭和30年代の後半だったと思うが、その頃までたしかに町中で道路工夫たちの姿を見ることは少なくなかった。

歌はときどき時代の栞になることがあるが、「ヨイトマケの唄」もいまでは見られない昭和20年代、30年代の社会の風景や風習が表現された貴重な歌なのだと思う。

 

彼のその後の舞台、映画でのシンガー、俳優としての活躍はつい「昨日」まで伝えられていた。それが突然の訃報である。91という享年を考えれば仕方のないことかもしれないが、ご苦労さま、ありがとうございました、と言いたい。

 

また、いまでこそゲイ自認のシンガー、俳優あるいはタレントがテレビに出演するのはあたりまえのことだが、昭和30年代にはガラスより壊れにくいアクリルの天井があった。丸山明宏はよくいう「ファーストペンギン」であった。エンタメ界でのゲイたちの「地ならし」をした功績はきわめて大きいと思う。「国民栄誉賞」を受賞してもおかしくない。高市首相だったらやってくれそうだが。

 

「メケメケ」や「ヨイトマケの唄」はテレビで何度も聴くことができそうなので、彼の原点であるシャンソンを聴いて偲びたい。なかでもいちばん好きなのが多くの日本人シャンソンシンガーがカヴァしているリュシエンヌ・ドリールの「サンジャンの恋人」。何度聴いてもどのカヴァよりも、さらにいえばオリジナルよりも美輪明宏の歌がその声も表現力もいちばんドラマチックに聴こえるのである。

とうとう6月に入った。そしてきのう関東もとうとう梅雨に突入した。

「とうとう」にとくべつ意味はないが、地味で鬱陶しい季節になったということである。

いかに地味かは、祝日がないことが示している。なにせ祝日がないのはこの6月と12月だけ。12月は祝日なんかいらない。後半にビッグイベント「クリスマス」に「大晦日」があるのだから。6月のイベントといえるのはせいぜい1日の「衣替え」くらい。それだって気候変動とやらで5月のうちにとっくに上着は脱いでいる。

 

「ジューン・ブライドがあるじゃないか」と言われても、万人のイベントではない。ほんとにこの蒸し暑い時期にみんな集まってお仕着せのセレモニーをやるのかなぁ。ホスト、ゲストとも汗だく梅雨だくの祝典。せめて短パンTシャツOKにしてもらいたい。でなければ葬儀に倣って少人数の家族婚とかね。

 

あだしごとはこのへんで、何の変哲もない6月を鼓舞する(というか鬱陶しい日々を生きる自分をだな)ために「彼ら」の歌をたからかにうたい揚げよう。

ということで6月の歌を。

 

まずはかのバレンタイン・デイと同じ匂いがする前述の「ジューン・ブライド」

1964年の初回東京オリンピックの年、ザ・ピーナッツがうたった。作詞は女流のさきがけ岩谷時子、作・編曲はピーナッツの座付き作者・宮川泰。この頃から「6月に結婚すると幸せになれる」なんて言われていたようだ。

余談だけれどピーナッツの「ジューン・ブライド」を聴こうと思ってYOU-TUBEを検索したビックリ。SHOW-WA&MATSURI (2組?))という若者グループの「ジューンブライド」が延々とでてきてなかなかピーナッツにたどりつかない。せっかくなので聴いてみたらこれが昭和歌謡的。作詞が秋元康というからそういうコンセプトなのだろう。古いわたしがいうのも何だが、昔ながらのプロポーズソング。嫌いじゃないけど。

 

気をとりなおして次の6月の歌を。

すぐに思い浮かぶのは一昨日思わず仰いだ青空のように、6月の空をうたった好きな歌。

シンガーソングライター、荒木一郎が詞・曲はもちろん編曲までやった「君に捧げるほろ苦いブルース」。1975年のヒット曲、といえるかどうか。「空に星が…」や「いとしのマックス」ほどヒットしなかった印象がある。

ブルースとはうたいながらバンジョーとクラリネットをつかったデキシー風のアレンジがとてもgood。印象的な「バイバイ」を連発するフレーズはアリスの「帰らざる日々」でもつかわれている。どちらも死のにおいがする歌で、荒木一郎が「アリスがパクった」みたいなことを言ったという記事を何かで読んだことがあった。それをいうならエヴァリ・ブラザーズの「バイバイ・ラブ」が本家だと思うのだけれど。

でも、この3曲のバイバイソング、みんな好きな歌。

 

軌道修正。そういえばもう1曲「6月の空」が出てくる歌があった。

毎度毎度の森田童子。1977年の「G線上にひとり」

この歌も死のにおいがする。彼女のベスト盤「僕たちの失敗」に入っていた。編曲は若草恵。

(いまタイミングよくカスケーズの「悲しき雨音」Rhythm of the Rain が流れてきた。YOU-TUBEの音楽を聴きながらこのブログを書いているのです)

 

最後は6月の朝が出てくるチェリッシュの「海の見える部屋」1978年。

チェリッシュも一時代を築いたグループだった。1971年の「なのにあなたは京都へゆくの」からわずか4年の間に「ひまわりの小径」「若草の髪飾り」「避暑地の恋」「てんとう虫のサンバ」「白いギター」「恋の風車」とヒット曲を連発した。

「海の見える部屋」はヒットが途絶えた頃の歌だが、作曲がかのムード歌謡を定着させた吉田正という異色の組合わせ。前述のヒット曲群はほぼ筒美京平と馬飼野俊一という旬の作曲家による。作詞はヒット曲から引き続いての林春生で、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」や渚ゆう子の「京都の恋」などを書いている。

この歌には死臭(いやな言い方だな)はしないけれど、別れのうたなので湿った梅雨にはふさわしいといえるかも。

 

あたりまえのようにオマケを。ちなみにいまYOU-TUBEから流れているのは「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」。ペギー・マーチではなくウーピーの映画のワンシーンで。それはともかく、久々にチェリッシュを聴いたのでヒット曲の中からもう一曲。個人的には「避暑地の恋」とか「若草の髪かざり」が好きなのだけれど、いい動画がなかったので「白いギター」を。これもずいぶん流れていたなぁ、当時。

 

そうでした。ひとつ忘れていました、6月のビッグイベントを。

今年に限ってはサッカーのワールド・カップがありました。今年は史上最高のチームということで森保監督も選手たちもしばしば「優勝」を口にするほど。それにしても交戦国同士が同じピッチになんてことにはならないのだろうか。まぁWBCのこともあり、日本には過度な期待はしていないがベスト16はクリアしてほしい。低ハードル高結果でひとつ。