
前回聴いた研ナオコの「さよならを伝えて」について、勘違いがあったので訂正します。
研ナオコの「さよならを伝え」は中島みゆきをカヴァしたアルバムの収録曲ではなく、1978年に楽曲提供された彼女自身の17枚目のシングル盤のB面でした。ちなみにA面は「窓ガラス。
中島みゆきの「サヨナラを伝えて」は、その翌年「おかえりなさい」というアルバムタイトルのセルフカヴァ盤の収録曲でした。ほかにやはり研ナオコの「あばよ」、桜田淳子の「しあわせ芝居」、加藤登紀子の「この空を飛べたら」などが入っている。
「おかえりなさい」は所有していたので、気になって確認してみたらそういうことだった。
ついでといったら何ですが、かの研ナオコの「さよならを伝えて」を聴いていたら、1970年代によく聴いたR&Bが脳内蓄音機で再生された。
1970年に日本でもリリースされた「アー・ユー・レディ」Are you ready?でパシフィック・ガスとエレクトリックPacific Gas & Electric というバンドが演っていた。パシフィック・ガスは人名ではなく、実在のガス会社のことだそうで、リードヴォーカルはチャーリー・アレンCharlie Allen。
ビルボードではその年の14位にランクされたとか。
日本でもそこそこヒットしたような記憶があるが雑誌などのベスト20には入っていないようだ。ちなみにこの年のビッグヒットといえば、ビートルズの「レット・イット・ビー」、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、カーペンターズの「遥かな影」などが。懐かしいかぎり。
なぜ「さよならを伝えて」から「アー・ユー・レディ」がしりとりのように繋がったかというとうたい出しのベースリフがよく似ていたから。よくある音なのかもしれないが、咄嗟に思い浮かんだ。当時何度も聴いた曲で、よほど印象にのこっていたのかもしれない。
歌の内容は「孤独に打ちひしがれることはない。神が手を差し伸べてくれる。神に尽くし、自身のすべてを捧げる用意ができているか。」というゴスペル。
案の定というかこの曲のヒットの翌年、ガス会社からクレームが入ったようでバンド名は変更され、ほとんどのメンバーが脱退したとか。どうりで第二弾がでなかったはずだ。
もうひとついでにいうと、「さよならを伝えて」で耳に残ったベースランニングをはじめ編曲を担当したのは若草恵。ほかに小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」や中島みゆきの「おもいで河」、高田みづえの「そんなヒロシに騙されて」などをアレンジしている。ついでに中島みゆきのセルフカヴァ盤の編曲は、中島みゆきの「しあわせ芝居」、吉田拓郎の「流星」、長渕剛の「巡恋歌」などをアレンジした鈴木茂。
「アー・ユー・レディ」だけでは物足りないので、最後にもう一曲。せっかくなので1970年の洋楽を。
この年カントリーソングでもビッグヒットとなった曲があった。もはやポップスといってもいいその曲を。
彼は本当に軍隊を引き上げる決意をしたのかな。
潮目、風向きはあきらかに変わった。中国のスポークスマンの報道が正論に聞こえるからおかしい。彼に「NO」と言えないのは日本とロシアぐらい。あたりまえだけど彼を退場させることができるのはアメリカ国民だけ。その気運がたかまっているのは喜ばしい。一刻も早く消えてくれ。

昨日、一昨日と絶好の花見日和だった。
近所の公園でも驚くほどの人出。カップル、家族、友人たちと様々だったがなかに50人以上という「会社の花見」と思われる光景も。
で、今日。「祭りのあと」はいかにと、小雨ふる公園を通り抜けた。
桜はまだ満開。人出は通り抜ける5分あまりでふたりとすれ違っただけ。ときおり吹く強風に思い出したようん花びらが舞い落ちていた。満開、散華ひとり占め。
ゴミひとつなく。花の宴から一日経ち、何事もなしという景色。
それでも公園にはほかにタンポポ、水仙、カタバミなど黄色い花が目についた。はるか彼方には菜の花も。花壇にはチューリップが律儀に赤、白、黄色とならんでいたり。
奥ゆかしい桜の花よりも自己主張の強い黄色い花々。桜ばかりが花ではないよとでも言わんばかり。そんな歌のいくつかを聴いてみた。
いろいろあるけど、しぼって1970年代の女性のうたう春の黄色い花を三つばかり。
まずは中島みゆきの菜の花。
1975年10月、「時代」を歌ってポプコンでグランプリを獲った1ヵ月前のシングルデビュー盤「アザミ嬢のララバイ」。
淋しい女たちへの共感的子守歌のようでも、自身への安定剤的子守歌のようでも。
ちなみに同時に出てくる花、桔梗は青赤紫、アザミは赤紫が一般的。
この歌から2年後の1977年に「わかれうた」で大爆発したのだっけ。
あの頃のミユキ嬢が最高だった。「わかれうた」もしっかり人生劇場でゲットしました。彼女の歌は「陰陽」でいえば「陰」。でも「だったら何だって言うのよ!」と開き直りの強情さがあった。
もい一曲「菜の花」を。
「アザミ嬢のララバイ」と同じ1975年、「飛・び・ま・す」でアルバムデビューしたのが山崎ハコ。
そのデビューアルバムの収録曲がこの「望郷」。
都会に出てきて、夢いまだ叶わない人間がひとりの夜思うのは故郷のこと。帰ろうか、帰るのよそうかな。昭和30年代から40年代にかけてそんな歌が多かった。望郷歌謡曲なんていっていた。
淋しさに耐えきれず故郷へ飛びかえった人、我慢我慢で耐えしのぎ夢をつかんだ人といろいろでしょうが、心の振り子の揺れるまま、気がついたら何十年も経ってあいもかわらぬ生活を営んでいる、そんな人が多いのではないでしょうか。
時代が変わって都会と故郷の距離が極端に縮まった現在、「望郷」なんて言葉はシュレッダーにでもかけられて消えてしまったのかも。
山崎ハコは中島みゆきとデビューがほぼ同時期だが、年齢は5歳下。「織江の唄」とか「白い花」など名曲がある。古い歌謡曲のカヴァもいい。「呪い」なんてコワイ歌も。
中島みゆき同様いまでいう「陰キャ」(昔はネクラといった)だが、山崎ハコの歌には他人の介在を許さな無情さがある。
最後はかわって「水仙」を。
1976年に八代亜紀がうたった「花水仙」。
男と別れ、ふたり暮らしたアパートに残された女の回想と未練。歌謡曲・演歌の定番。デビューから14枚目のシングルで作曲は「舟唄」、「そして神戸」(内山田洋とクールファイブ)の浜圭介、作詞は「二人の世界」(石原裕次郎)、「小樽の人よ」(鶴岡雅義と東京ロマンティカ)の池田充男。路地裏のリヤカーが目に浮かぶ。JPOPでは絶対に出てこないフレーズ。
八代亜紀という歌手とその歌の印象もやっぱり陰キャ。辛い時にたとえるなら、怒る中島みゆき、泣く山崎ハコに対して八代亜紀は静かに笑っているという寂情(こんな言葉はないけど)さがある。
水仙の思い出。
40年あまり昔、呑みともだちのAとBとわたしの三人で夜の街へ。飲み屋横丁の小さなスナックへ。Aの行きつけでわたしは初めてで、BはAと連れ立って以前何度か行ったようだ。気になったのはBが駅から降りてきたときから持っていた小さな花束。
店に入りカウンターに座った。ほかにも何人か客もいた。Aがカウンターの中のママに初めてのわたしを紹介してくれた。その挨拶が終らないうちにBがあの花束をママに差し出した。地元から摘んできたスイセンだと笑った。ママも素直にうれしそうだった。
話はそれだけなのだが、そのあと三人であのスナックへいくことはなかった。その後Bに訊ねると彼もあれ以来あの店には行ってないと。「Aは今でも行ってんのかな」と訊くと「さあ、どうだか」と。その後三人は相変わらず呑み歩いた。あの横丁でも何度も徘徊した。あのスナック以外で。Bが亡くなるつい数年前まで。
おまけは中島みゆきをもう一度。
1979年のアルバム「おかえりなさい」の収録曲「サヨナラを伝えて」を。
♪黄色いローズマリー 伝えてサヨウナラ
とある。ローズマリーが春咲くのか、黄色い花なのかはわからないが好きな歌。残念ながら動画になかったので、中島みゆきのカバーでは定評のある研ナオコ盤で。
明日から新年度だって。
新年度 ほぼ意識せず 五十年
大谷よ早く一発打ってくれ、落ち着かないから。

千秋楽を待たずに霧島3度目の優勝です。
豊昇龍対琴櫻戦の仕切りから豊昇龍敗退、霧島優勝の予感が。
いや、霧島が安青錦に負けたときから、豊昇龍が負けるという啓示があった。まぁ典型的なファンの思い込みといえばそれまでですが、今回は裏目裏目ではなく表目表目で無事優勝。
今回最大の驚きは、霧島が優勝インタビューで娘のことを引き合いに出し涙ぐんだこと。あの冷静沈着な霧島が感情をあらわにした。優勝、大関復帰(多分)が決まり、娘との約束も果たすことができ、よほど嬉しかったのだろうな、とこちらも嬉しくなった。
まだ1日残っているけれど明日(対戦相手未定)も勝ってほしい。13勝2敗と、12勝3敗では1勝ちがいだけど優勝の重みがまるで違う。まぁ、優勝決定なのだからそんな厳しいこといわなくてもいいか。でもできたら明日勝ってくれると嬉しいのですが。
同郷の奥さんと愛娘がいて、あたりまえだけれど家族Loveだね。
あとはじっくり横綱をめざしてほしい。
前親方の先代・霧島(大関)も現親方の音羽山(元横綱・鶴竜)も好きだった。見た目だけだけれど穏やかな印象でね。いかにも本物の勝負師という感じで。感情むきだしで、もの凄い形相で勝負に挑むのも観客をおあおり、盛り上がるかもしれないけれど。栃若をはじめ、柏鵬、北の湖、武蔵丸、白鵬などなどと、静かな勝負師が印象に残っている。
まぁ、アスリート全般にいえることだけれど、とりわけ相撲ではケガには気をつけて玉鷲のように丈夫で長い力士生活を送ってほしい。ケガさえしなければいつの日か横綱間違いない。
ではなにか歌を。
先代霧島はもちろん鹿児島県出身。現在の霧島市。
その霧島がでてくる歌といえば、民謡の鹿児島おはら節。
また植物では「霧島つつじ」が知られている。その霧島つつじがでてくる歌謡曲といえば西郷輝彦のこの歌。
スッキリしない昨今。本日は、テレビで豊昇龍が仰向けになった瞬間思わず「おおーっ」と声が出てしまいました。久々の快哉。
あすは彼岸の墓参り。おふくろは相撲がすきだった。昭和30年代とくに贔屓にしていたのが「清水川」。関脇までいったのかどうなのか。そんな力士だった。 わたしも子供ながらに清水川のことは認知していて、いまでもその顔をうっすら憶えている。そのときプロレスも好きだったのでダニー・プレッチェス(知らないよね)に似てるなと思ったことを憶えている。
霧島のおかげで昔の相撲の事を思い出した。ちなみに当時わたしの好きだったお相撲さんは、大内山とか大起(おおだち)。とにかく大きくて弱い力士に感情移入していた。なぜだか。
オマケは力士つながりということで、やっぱりこの元大関のこの歌を。

WBCはあっけなく終了。
なんとなく優勝は厳しいと思っていたけれど準々決勝でとは。
期待していたアメリカとの試合は泡と消えた。でもなぜかWBC終焉の喪失感はない。
こうなったら決勝はベネズエラがアメリカを打ち負かすというドラマを見てみたい。
プロ野球も、メジャーリーグもこれからスタートなのだ。
残る楽しみは大相撲。
贔屓にしている霧島の調子がいいのでぜひ優勝して来場所で大関に返り咲いてほしい。綱を締めることのできる器なのだから。今日は高安に勝った。1分以上の大相撲で、見ごたえもあったし、力も入った。うまかったなぁ、霧島。解説は「まわり道」の琴風。霧島戦を「この一番見れただけで今日のお客さんは満足だと思いますよ」と言っていた。同感。
先日ドク・ワトソンを聴いて、ここ数日ギターインストを聴いている。
60年代のエレキから始まって、フォーク、ジャズ、ロックとまさに琴線にさわるようなギターの音色はからだにしみついているので、アコースティックでもエレキでも時に無性に聴きたくなる。
きょうは以前、ジャンゴスタイルを探してYOU-TUBEを泳いでいた時にみつけたドイツのジャズギタリスト、ヨショ・ステファンJoscho Stephan を。
ヨショは1979年生まれというから40代なかば。あぶらののりきっている頃で、ドイツの音楽アワードでもしばしばノミネートされているというギタリスト。
まずはボサノバを。
フランスのギタリスト兼ヴァイオリニストのドハド・シュミッツが書いた「ボッサ・ドハド」Bossa Dorado 。
ドハドもヨショと同じくジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリのロマスタイルのジャズを演奏する。
途中になぜかローリング・ストーンズがはいっていて、それも結構長く。もちろんオリジナルには挿入されていない。ヨショのアレンジなのだろう。マイナーチューンなのでインサートしたのかもしれないけれど、個人的にはGOOD。
ジャンゴの曲も何曲かレパートリーにしているようで、そんななかから「マイナー・スイング」Minor Swing を。
名曲で映画「ルシアンの青春」や「ショコラ」(ロマに扮したジョニー・デップが弾いていた)でも流れていた。ブルーグラスでもフラットマンドリンのデヴィッド・グリスマンがジャンゴの相棒、ステファンをフィドラーに招いて名演を披露している。
いつ聴いても古き良きヨーロッパへのノスタルジーを感じてしまう(行ったことないのに)。
最後はラテンポップスの名曲「スウェイ」Sway。
もともとはラテンミュージックの「キエンセラ」¿Quién será?で、1953年メキシコのルイス・デメトリオによってつくられた。翌年ディーン・マーティンが英語版の「スウェイ」としてレコーディングし、以後ローズマリー・クルーニーなど多くのジャズ&ポップスシンガーに取り上げられることになった。最近(でもないかな)ではカナダのマイケル・ブーブレ盤がヒットした。
日本でもラテンのスタンダードとして、古くはザ・ピーナッツ、アイ・ジョージなどレパートリーとしたシンガーは数知れない。
映画ではアメリカのリメイク版「シャル・ウィ・ダンス」でもダンスシーンつかわれていた。
3曲で腹いっぱいぎみだが、欲張ってデザートを。
これまたラテンといえばいえる「キャラバン」Caravanを。バンマスのデューク・エリントンとトロンボーンのファン・ティゾールによってつくられ、1936年に発表された。以後多くのバンドが演奏するほど浸透したジャズのスタンダード。カントリー畑でもチェット・アトキンスの名演で知られている。
日本でもジャズファンなら知らない人はいないほどの名曲だが、一般的にはザ・ベンチャーズで知るところとなった人が多いのでは。
動画はジョショとトミー・エマニュエルTommy Emmanuelのツイン・ギター。
トミーはオーストラリア出身で、カントリーシーンにもしばしば登場するギタリスト。そのソロはギターのボディをはじめ多くの部分をつかって多彩な音をだすので「ワンマン・バンド」といわれている。
きょうはいくらか暖かかった。
桜もチラホラ。でもなんだか浮かない。WBCが負けたこともあるけれど、やっぱりあの男の動向が気になり、スッキリしないのだ。それと日本の首相が彼との会談で、またなにか口を滑らせるのではないかと思うと、心中穏やかではいられない。欧州ではいくらか風向きが変わってきているようで、くれぐれも気がついたらあの男とわが首相だけが残った、なんてことにならないように。
誤爆とはいえ米軍が子供たちを殺したことはほぼ間違いないようなので、あの時のように「ノーベル平和賞をあげたい」なんて言わないとは思うけれど。

寒かった。手袋、マフラーは正解だった。今日で冬が終わるというけどほんとかな。
今日は先輩と昼食の約束ででかけた。
5分前に着いて駅前の四辻で待つことに。
長い付き合い。こうして月一で昼食を食べるようになってからでも何十年。
考えてみるともう数百回もこうした待ち合わせをしていることになる。いつも先に着いて待つのはわたし。後輩だから当然、というわけではない。わたしは相手を待たせては申し訳ないという考えだが、わが先輩はゆるい。それもかなりルーズで、10分15分待たせるのは平気。
随分前、まだ若い頃、30分以上待たされたことがあった。まだケータイなどない頃で、さすがに先輩といえども怒った。「どういうつもりなの?」。出る直前に仕事の電話が入り切ることができなかったとか何とか言い訳していた。
彼は2歳年上だが、ふたりは気の置けないというかほぼため口に近い関係なので、若い頃はよく口撃するたこともあったが、先輩はいわゆる「暢気」な人間で、言い訳のあとは済まなそうな顔で沈黙するだけ。
そんな関係が数十年も続けば、鈍感なわたしでもさすがにわかった。「ああ、こういう性格なんだ。悪気はないんだ。それが彼の生きるスタイルなんだ」と。なによりもそういう欠点?を補って余りある「楽しい人間」なのだから仕方がない。
彼の話によると「時間にルーズ」なことは他の人からも言われるようだし、ときとして家族からも攻撃されっらしい。自覚はあるようなのだが。
そんなわけで今では待たされてもまるで腹がたたなくなった。ケータイもあるし。約束の時間が1分でも過ぎると必ずケータイが振動する。先輩からだ。
四辻で待つこと10数分。ふと坂道を見上げると先輩が巨体をゆらしながら駈け下りてくる。「走るなよ」心の中でつぶやいた。そして彼が目の前に到着したとき「走っちゃだめじゃん」と笑顔で言ってあげた。彼いわく「いつもだから大丈夫だよ」。
半分人と会うのが仕事の彼は、忙しい時には一日に何度も走って会合の場所へいくのだとか。たしかに若い頃は山男で今でも健脚ぶりは並んで歩いていてもわかる。
「さて、きょうは何を食いたい?」。わたしに笑顔で返事を求めた。
きょうも前回に続きブルーグラスを聴いています。
まずはトラッドで「柳の下に埋めておくれ」Bury me beneath the willow 。
日本のブルーグラスファンにも知られた歌で、多くのバンドやシンガーがレパートリーにしている。わたしが初めて聴いたのはカーター・ファミリー盤だった。
歌の主人公が男の場合、女の場合があるが、APカーターは女歌として詞を書いた。
結婚まで約束した彼に去られた娘が、失意の中「私が死んだら柳の木の下に埋めてください。彼はきっとその柳の木に会いに来てくれるかもしれないから」という悲嘆の歌。
なぜ柳の木なのか。もし彼が逢いに来てくれたら、私は柳の木の影から姿をあらわし…、というのは日本的発想で、アメリカには柳に幽霊という発想はない。
そのかわりというのか、泣き柳weeping willow という言いかたがあるように、柳には失恋とか泣くというイメージがあるようだ。ジャズにもビリー・ホリディなどで聴ける「柳よ泣いておくれ」Willow weep for me があり、やはり恋を亡くした私のために泣いてください、とうたわれている。あの細く長い柳の枝が風に吹かれて、虎落笛のような音をだし、それが泣いているように聞こえるのかもしれない。ヒュー、ヒューってね。日本だったらヒュー、ドロドロドロで、うらめしやなんて。
動画はフラットマンドリン&ヴォーカルが若きクリス・シール。すきなブルーグラッサーで、今は亡きドク・ワトソンと共演している。ロングショットで指使いがみえないが、間奏でドクのなめらかで心地よい音色が聴ける。また冒頭のナレーションは多分ドクだね。
次は「丘の上の小さな家」Little cabin home on the hill。
タイトルだけをみると故郷のわが家に思いをはせるノスタルジックな歌のように思うが、内容は「君が去ってから僕は泣いている。いまもひとりこの貧しい家で外の雨音を聞いている。いまでも君のことを思っている。もしできるならもう一度……」という世界共通の失恋男の未練節。モテモテ男にはわからない歌。わたしにはわかる。
1959年 のビル・モンローとレスター・フラットによってつくられた。ビルが率いるブルーグラス・ボーイズがうたった。1901年にウィル・S・ヘイズがつくった「小径の小さな古い丸太小屋」The little old log cabin in the laneが元歌といわれている。
動画はアイリッシュのカントリーシンガー、ダニエル・オドネル。バンドを率いてのアメリカ公演の様子。おそらくバンドもアイリッシュから来たメンバーで、雰囲気がどことなく本場のブルーグラッサーよりジェントルマン。
最後はもう一度クリスに登場してもらってこれもよく知られた「転がりこむんだあの娘の腕に」Roll In My Sweet Baby's Armsを。
この歌もトラッドで、イギリス民謡やカウボーイソングにルーツを持つといわれている。
刑務所にはいったこともある男が働きもせず、小さな駅舎で郵便列車を待っている。その列車には可愛い彼女が乗っているはずで、着いたら抱きついてじゃれあうんだ。彼女は浮気女だけれど着いたら抱きついてやるんだと。今風にいえば生活破綻者の身勝手ソング。
1950年代にフラット&スクラッグスのフォギー・マウンテン・ボーイズがシングルリリースして知られるようになった。以後カントリーやブルーグラスのスタンダードとしてうたい継がれている。
今回はギター&バンジョーではなく、ギター&フラットマンドリンで。クリス・シールの相手をつとめるのはこれまたギター名人のマイケル・ダヴス。ニューポートのフォークフェスでのライヴ。ジャズも有名だけどフォークも歴史がある。名コンビの卓越したワザを。
話は戻りまして、今日は中華を。話題はやっぱりWBC。先輩はNetflixに入ったそうだ。わたしは久々にラジオのリスナーに。食後いつもならお決まりのオールドファッションの喫茶店で小一時間ひと月分の話をするのだが、きょうはこのあと先輩は仕事があるらしくパス。
それでもすぐには去りがたく、並歩?で次の駅まで歩いた。これも長年の会食で培った暗黙のルール。10分あまり歩いて「また今度」「おう」で別れた。
やっぱりオマケを。
久々にドク・ワトソンを聴いたのでインストで彼の十八番を。