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song love

好きな歌や音楽についての懐想・悔想・快想など

選挙の投票へ行って参りました。
そんなに使命感もありませんし、期待感もありません。

投票場の小学校が長女の母校であり、思い出もありますので、たまにそういう「聖地」に行くのもわるくありません。それに、自分が投票した候補者や党がどれだけの結果になるのかというエンタメ感もありますし。

どうせ夜のテレビは選挙速報一辺倒になってしまうのでしょうし。以前はテレビ東京だけは足並みを乱していた記憶があるのですが。「テレ東よ、お前もか」なんて。

ところで「選挙」で連想される「歌」とは。

選挙といえば、あの旧態依然の選挙カーで、候補者やアナウンス嬢がひたすら名前を連呼するという「風物詩」が展開されるだけなのですが、選挙で歌が聴こえてきた記憶がふたつあります。

ひとつはかのカルト教団が政治へ進出し、選挙戦で教祖の名前を連呼する歌をバックダンサー付でうたっていたこと。
もうひとつは、新党大地が、シンパである松山千春の「大空と大地の中で」を選挙ソングとしてつかっていたこと。

しかし、アメリカでは選挙に「応援歌」(というかどうか)を用いるのはそれほどめずらしいことではないようです。

リンカーンやルーズベルトらは選挙用の歌をわざわざつくらせたといいますし、80年代、レーガン大統領が選挙戦で、ブルース・スプリングスティーンの歌をつかわせてくれと頼んで断られたなんてエピソードもありました。

で、個人的に「選挙の歌」として思いつくのは「ユー・アー・マイ・サンシャイン」。アムロちゃんのではありませんよ。

アメリカの有名な歌です。中学で習った記憶があり、初めて覚えた英語の歌でもあります。

恋人讃歌の素朴な歌詞と、3コードで弾けちゃうシンプルメロディー。

この歌、アメリカのP.D.だと思っている人もいるかもしれませんが、実はれっきとした(?)カントリーソング。

1940年にレコーディングされたという古い歌で、つくったのはカントリーシンガーであり映画俳優でもあったジミー・デイヴィス。(彼はその歌の版権を買っただけで、作者ではないという説もありますが)

そのジミーさん、1944年に一念発起してルイジアナ州の知事選に立候補。そしてその選挙活動中に、場所場所で持ち歌「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をうたいまくったとか。

そして、そのカントリーソングが功を奏したか否か、見事知事に当選しました。

それ以後、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の認知度もグンと上がったとか。

日本の選挙でも「歌」を活用すればいいと思うのですが。
オリジナルでもいいけれど、既存のヒットソングを許可を得て借用したり。
そうすれば、「ああ、あの候補者はこんな歌が好きなんだ…」なんて親近感が湧いたり(逆もあるけど)。

若者におもねって最新のJポップやアニソンを流したり。あるいは高齢者向けに美空ひばりや演歌を流したり、さらにはエヴァグリンのビートルズやサザンを流したりとか。

候補者の選曲の個性が出て面白いとは思うんですけど、いろいろな選挙カーから、それこそ様々なジャンル、多種多様な歌が流れてくることを想像すると、やっぱりちょっと……無理だろうなぁ。せいぜい集会で流したり、合唱するくらいでしょうか。内うちで迷惑にならない程度で。


めずらしく午前中から日差しが出ていたので、ときどき通る遠回りの道で駅へ向かいました。途中の小さな空地に数本のひまわりがあったので少し驚いた。例年でしたらこの時期あたりまえなんですけど、今年の気候が奇候だけに。で、そのうちの一本は3メートルはあろうかという立派なもの。それぞれ見事な花をつけ、まさに咲き誇っておりました。

ひまわりを題材にした歌はとても多い。もしかすると「桜」に次いで多いのではないでしょうか。

「ひまわり」というストレートなタイトルが多く、思い出すままに、チューブ、松山千春、長渕剛、さだまさし、山崎ハコ、高田渡、丸山圭子、Kiroro、遊佐未森らがうたっています。演歌・歌謡曲でも、福山雅治作曲で話題になった前川清のほか八代亜紀、門倉有希、あべ静江、キム・ヨンジャで聴くことができます。

そのほか「向日葵」では矢沢永吉と高橋真梨子で聴いたことがあります。

ほとんどがアルバムの中の一曲でヒットしていないというのも妙。

ヒットしたということでいえば、チェリッシュの「ひまわりの小径」と伊藤咲子の「ひまわり娘」(洋楽カヴァー)が思いつきます。とくに「ひまわり娘」は当時のガールフレンドがEP盤を貸してくれたという思い出があります。何度聴いてもピンと来ずに、苦しい感想を言ったのを覚えています。
でも三木たかし作曲の「乙女のワルツ」は好きな歌で、恥ずかしながらレコードも買ってしまいました。

とはいえマイ・ベスト「ひまわり」は 1970年公開のイタリア映画「ひまわり」の主題歌。

「自転車泥棒」「ミラノの奇蹟」「屋根」(どれも素晴らしかった)の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカの監督で、当時のトップスター、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという今でいうダブル主演。戦争が惹き起こしたもうひとつの悲劇がテーマの傑作でした。

ただ、わたしのお目当ては主演のご両人ではなく、マルチェロのロシア妻となったリュドミラ・サベーリエワ。
少し前に観たトルストイの「戦争と平和」の主演で、その美しさに魅了されていたのです。

最終的にマルチェロはロシアのリュドミラの元へ帰るという切ない話でしたが、わたしにとってはなぜかホッとした結末でした。

そしてなによりもあのロシアの広大なひまわり畑。「壮観」のひと言で圧倒されました。

さらに作品の質を向上させたのがヘンリー・マンシーニの主題曲。
まだ映画音楽が輝いていた時代で、このサントラ盤もシングルカットされてヒットしました。もちろんわたしも買っていまも所有しております。

当時、洋画のインストテーマ曲に日本語歌詞をつけてレコード化することがめずらしくありませんでした。「ブーベの恋人」とか「夜霧のしのび逢い」とか。
この「ひまわり」に日本語歌詞のレコードが発売されたかどうか覚えていませんが、のちに大木康子がアルバム「サン・フラワー」のなかの「ひまわり」で ♪時が流れる 光の中に……という歌い出しでうたっています。

夫・マルチェロ・マストロヤンニは20年以上も前に亡くなってしまいました。でも妻のソフィア・ローレンとリュドミラ・サベーリエワはまだ健在だそうです。うーん、女は強し。というか、映画でもわかるように、いちばん苦労するのは夫なんだよなぁ。



飽きっぽいわたしは、勤めていた印刷会社を一年半足らずで辞めてしまったのですが、その直前にアパートに遊びに来た松ちゃんに、それまで仲良くしてくれた感謝の気持ちで“逆選別”をあげようと考えていました。まぁ兄貴分の貫禄を見せようかと。

実は松ちゃんが欲しいものを知っていたのです。
わたしは一時カメラに凝って、レンズはもちろん現像道具一式を揃えていました。以前来たときに、それを目にした松ちゃんがとても興味を示していたことを知っていたのだ。そして、持続力のないわたしは、撮影ごっこにいささか飽きてもいたのです。

松ちゃんはとても喜んで受けとってくれました。
そして退職が迫るある日、会社で「お返し」をくれました。

それはハードな紫のジャケットに入ったレコード。ウディ・ハーマン楽団の3枚組でした。ただ残念なことにそのレコードはオールドファンなら知っているSP盤。あの落としたら割れてしまうシェラック盤。
鉄や竹の針を備えた蓄音機もなかったので、それを聴くことはできませんでした。それでも何かとても貴重なもののように思えて、有り難くもらうことにしたのです。

ジャズは好きでしたが、聴いていたのは女性ヴォーカルか、ピアノのコンボがほとんどで、ビッグバンドはせいぜいベニー・グッドマンくらい。

その後、ウディ・ハーマンはもちろん、デューク・エリントン、トミー・ドーシー、ハリー・ジェームズ、カウント・ベイシーといったビッグバンド、スイングバンドを好んで聴くようになり、その楽しさを知ることができました。
それもすべて松ちゃんのお陰。音楽を楽しむうえでその幅を広げてくれました。

ただ松ちゃんはわたしにビッグバンドを薦めたわけではありません。そもそも彼はジャズが好きではなかった。彼が好きなのはソウルでありR&Bなのです。
だからウディ・ハーマンのSP盤は、正確にいえば松ちゃんが買って持っていたものではない。おそらく彼の父親が残していったものなのです。

わたしとの短い交流のあいだ、松ちゃんは父親のことを話したことはなかった。わたしから訊いたこともありません。訊くのを遠慮したということではなく、彼の家族(兄弟がいたのかどうかも知らなかった)に興味が至らなかったということだったと思う。

彼にアメリカ人の父親がいて、なんらかの理由で離ればなれになってしまったのだ。ということを考えるようになったのは、印刷会社を辞め、松ちゃんと会わなくなってからのことでした。それを惹起させたのは、松ちゃんがくれたウディ・ハーマンの紫色のジャケットでした。

松ちゃんの父親はスイングが好きだったんだ、でもなんでデューク・エリントンではなくウディ・ハーマンだったんだろう……、などと。また松ちゃんは父親のことをどれだけ知っていたのだろうか、逢いたいと思っているのだろうか、いやそもそも健在なのだろうか、などと。


会社を辞めた直後は、いつでもまた松ちゃんと会えるから、と考えていました。
ところが、様々ないきさつから東京を離れることになり、それから彼と会うことはありませんでした。それから40年近くも経ってしまいました。


松ちゃんとは仕事中もよく音楽の話をしていました。
皮肉屋だった係長はそんな若(バカ)者どもの話に沈黙を守っていましたが、多分ムダ話に苦虫を噛み潰していたことでしょう。

当時(今もだけど)わたしはカントリーが好きで、当然カントリーロックも。なかでもその時代ウケていたCCRはレコードを買うほど好きでした。
とくに「雨を見たかい」とか、「雨を汚したのは誰」のB面だった「トラヴェリン・バンド」とか「プラウド・メアリー」、あるいはアルバム収録の「コットン・フィールズ」、「ハロー・メリールウ」なんかはよく聴いていました。

松ちゃんはCCRにはあまり興味がないようでしたが、「プラウド・メアリー」に反応。彼曰く「プラウド・メアリー」はアイク&ティナ・ターナーが最高。とりわけティナは松ちゃんのスーパーアイドルでした。

ティナ・ターナーをよく知らず、ましてや「プラウド・メアリー」をカヴァーしていることも知らなかったわたしは、当然オリジナルの良さはカントリーであって、ソウルやR&B(当時はそう言っていた)じゃないな、という感じでした。いささか論争となり、それはなかなか心地よい異論反論でした。

その後、おそらく松ちゃんはCCRを聴かなかったでしょうが、貪欲なわたしは松ちゃんの好きなアイク&ティナ、そして「プラウド・メアリー」がどんなものなのか気になり、知り合いからレコードを借りて聞いてみました。

正直ぶっ飛びました。ティナのパワフルなヴォーカルがそれまで聴いていたニーナやエラ、ダイナといったジャズヴォーカリストたちとは違う爆発力で、圧倒されました。
それからかなり後に、自伝映画「ティナ」を見たり、コンサートのビデオ映像を見たり、また自伝本を買ったりと、完全にティナにハマってしまいました。

とにかくティナはカッコいい。カントリーでいったらドリー・パートンみたいなものです。
東京でのミックとの競演もよかったし、ビヨンセとのデュオもよかった。

松ちゃんと出会わなければ多分こんなにティナ・ターナーを聴くことはなかったでしょうし、いいプレゼントをもらったと感謝しています。

では「プラウド・メアリー」のベストはCCRかティナ・ターナーか。
やっぱりいまとなってはティナでしょう。
でも「ハロー・メリールウ」はリッキー・ネルソンよりも、弘田三枝子よりもジョン・フォガティだと思っているのですが。


今日の午前中小雨のなかを出かけました。

電車の窓から見下ろす町並みは、霧雨にかすんでいました。なかなかいい景色ではありました。

こういう風情をわれわれを含め昔の人は「雨にけむる」と表現したもの。いまの若い人にもその言葉は受け継がれているのだろうか。あまり耳にしないけれど。
吊革につかまりながら、そんなことを考えていました。

「雨にけむる」。
……そういえば、そんな歌詞の歌があったような。
そう思うとどうにも気になって、頭の中のレコードケースをとり散らかしながら探して見ました。そして、多分…と思ってその一枚を脳内蓄音機にセットし針を落としてみました。

それが甲斐バンドの「裏切りの街角」。

目をつぶり(眠気もあったし)、脳内で再生されたポップスを聴いていると、あるシーンが蘇ってきました。

1970年代の中ほどあたり、わたしはお茶の水の印刷会社で刷版工としてはたらいていました。
ある日の、いつものように残業で焼付け作業をしていると、ラジオから新しい曲が流れてきました。とてもイカしたメロディーで、何よりもボーカルのハスキーヴォイスが印象的です。

ぼくは「誰がうたってるの?」と職場の誰にともなくたずねると、松ちゃんが「ショーケンだよ」と教えてくれました。
あまりにもサラッと言われたので、ぼくもすぐに納得。
実は、萩原健一ではなく甲斐バンドの甲斐よしのりだということは後で知ることに。

同僚の松ちゃんはぼくより2、3歳年下ですが、職場では数年の先輩。

彼は黒人とのハーフで、中学時代、陸上の100mで都大会優勝したとか。その後、脚を故障して陸上をやめたと話していました。髪はベリーショートでギョロっとした目が印象的。ちょうど今活躍中のケンブリッジ飛鳥をニュースなどでみると松ちゃんのことを思い出します。

移り気なぼくはその会社に一年ちょっとしか居ずに辞めてしまいましたが、その間、松ちゃんとはずいぶん遊びにいったり、ぼくのアパートに訪ねて来たりと、密度の濃い交流を続けました。まぁ、ウマが合ったというのでしょうか。とりわけ「裏切りの街角」もそうですが、音楽に関する思い出のいくつかが記憶に定着しています。