
ブライアン・ウィルソンが亡くなった。82歳だったそうだ。
ビーチ・ボーイズも我がラジオデイズを彩ってくれたバンドだった。
私の中で洋楽、といってもほぼオールデイズだけど、分岐点になるのがビートルズ。つまりビフォアビートルズかアフタービートルズかということでそのシンガーやバンドを考えてしまう。それほどビートルズのインパクトが強かったということなのだが。
ではビーチ・ボーイズはどちらか。
わたしの記憶では、なんて言ってはみたもののこれがからっきしあてにならない。
どちらもリアルタイムで聴いていたのだが、印象でいうと、ビートルズが先ですこし遅れてビーチ・ボーイズなのだが、実際に日本の洋楽TOP20に入ってきたのはビーチ・ボーイズのほうがはやかったようだ。つまりビーチ・ボーイズはビフォア・ビートルズなのだ。
はじめて聴いたのが「サーフィンUSA」だったのは覚えている。この歌が1963年の夏ごろ日本でも流れていたので、実際には翌年の2月ごろから日本急襲のビートルズより早かったのだ。
ちなみに1963年という年、先日亡くなった長嶋茂雄はデビュー6年目で、首位打者と打点王に二冠に輝いている。ホームランは3本差でタイトルを逃している。長嶋の三冠を阻止したのはもちろん王貞治。
話がそれました。まだ引きずっているようで。
軌道修正。
「プリース・プリーズ・ミー」、「抱きしめたい」で始まったビートルズ旋風は、ほかの曲を蹴散らしてベスト10の上位を独占するようになるのだけれど、それでもビーチボーイズの歌は遠慮がちではあるが聴こえていた。「ファン・ファン・ファン」とか多分当時いちばん流行ったのではないかと思う「リトル・ホンダ」(ホンデルズ盤もあった)や「ダンス・ダンス・ダンス」さらには「ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス」とか、そのあと我がラジオデイズが終っていしまっても、いまでも好きな「アイ・ゲット・アラウンド」とか「ヘルプ・ミー・ロンダ」などがどこからか聴こえていた。それは多分その頃、耳からあふれんばかりに洋楽を聴いていたからだろうと思っている。
もし、ビートルズが誕生していなかったらビーチボーイズはもっと。いや、つまらないたとえ話。なぜならビートルズがいたから「ペット・サウンズ」が誕生したのだから。
ブライアン・ウィルソンが心の旅路をたどっていたことは知っていたが、よくここまで頑張ってきたと思う。ようやく安らかな眠りについたといっていいのではないでしょうか。
最後にビーチ・ボーイズでいちばん好きな曲を。
かの「ペット・サウンズ」の収録曲でオリジナルではなくバハマの民謡をブライアンがアレンジした難破でもなんでもない「ジョンB号の遭難」Sloop john Bを。
このあと多くのフォーキーがとりあげた楽曲だが、やっぱりはじめて聴いたビーチ・ボーイズが今でも最高なのだ。



