
8月になった。きのうよりは幾分過ごしやすいが、それでも外出すると汗がにじんでくる。颱風が接近しているようで雨もパラパラ。
12年前の8月、藤圭子が亡くなった。62歳だった。
ほぼ同年代で、デビューから聴いていたので当時胸にくるものがあった。
1969年、昭和でいえば44年。夏はいつだって暑いけれどその年は学生運動の季節でもあり、喧騒と殺伐と虚無がまざりあってことさら熱い夏だった。
そんな夏が終ろうとする頃、忽然とあらわれ、あっというまにヒット曲を連発して「演歌の星」となったのが藤圭子。
いまでこそJPOPの対岸にあってなんとか存在感を示している「演歌」だが、昭和30年代には流行歌が「演歌」と呼ばれることはなかった。
美空ひばりの島倉千代子の三橋美智也の春日八郎の三波春夫の歌を、その時代演歌とはいわなかった。歌謡曲もしくは流行歌である。
「演歌」のきっかけをつくったのは作家の五木寛之だが、演歌というバリケードで従来の伝統的歌謡曲を守ったのは当時のレコード会社のプロデューサやディレクタたちだろう。彼らはトレンドになりつつあったカヴァポップス、GS、和製フォーク、ニューミュージックなどのポップスの怒濤に危機感を感じ、なんとか歌謡曲を守り、区別しようという思いがあったのだろう。
藤圭子の出現によって「演歌」という言葉が定着したことは間違いない。では演歌歌手第一号が藤圭子かというと、都はるみのほうが少しだけ早かった。
都はるみは藤圭子より5年はやい1964年にデビューしている。もちろん「アンコ椿は恋の花」や「涙の連絡船」がはじめから「演歌」と呼ばれたわけではなく、1969年あたりから都はるみ=演歌というイメージが定着してきたような気がする。
実際都はるみは、藤圭子がデビューする数か月前、LP「演歌ひとすじ」をリリースしている。藤圭子が初のアルバム「新宿の女“演歌の星”藤圭子のすべて」をリリースして自ら演歌歌手宣言したのはデビューの翌年、1970年3月のこと。
軌道修正。
藤圭子の話でした。さっそく我的3曲を。
1曲目はデビュー2枚目のシングルでオリコン第一位になった「女のブルース」。
1970年の2月にリリース後8週連続オリコン1位となり、藤圭子の名前を全国に浸透させた。作詞はデビューからの育ての親で、やがて事務所をつくり本格的に藤圭子をプロデュースしていくことになる石坂まさを。作曲は水原ひろしの「君こそ我が命」をはじめ「港町ブルース」「おふくろさん」など森進一のヒット曲を手がけた猪俣公章。まさに演歌の達人。この歌と3枚目のシングルでやはりオリコン1位になった「圭子の夢は夜ひらく」でデビュー1年足らずにして国民的シンガーになった。もちろん歌のうまさの裏うちがあったのだが。女のニヒリズム満載の一曲
以後、「命預けます」、「さいはての女」、「京都から博多まで」と小ヒットを続けるが徐々にヒット曲から遠ざかっていく。そんななか久々にオリコンベスト100以内に入ったのが1975年に発売された26枚目のシングル「はしご酒」。
作詞の、はぞのななは、松山恵子の「未練の波止場」や井沢八郎の「男傘」、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」を書いた松井由利夫の別ネーム。作曲は赤坂通。いかにもペーネームくさいが、その実体は不明。
東京のいわゆるご当地ソングだが、それまでの銀座、赤坂、六本木ではなく。錦糸町、小岩、金町、浅草など下町や川向うをうたった歌詞が新鮮。♪よってらっしゃい 々 お兄さん は新しい詞ではないけれどなぜか耳に残る。哀調を帯びた宴会ソングで個人的には久々のビッグヒット。
最後は、その「はしご酒」の2か月前にリリースされた「さすらい」。
オリコン100位にも入らなかった曲だが、いまとなってはもっとも藤圭子にふさわしい歌だったのではないだろうか。75年の紅白歌合戦でもうたっている。
作曲は昭和の大作曲家・遠藤実。昭和30~50年代にかけて数多のヒット曲で歌謡曲ファンを楽しませてくれた。いまさらだがそのいくつかを並べてみると、お月さん今晩は(藤島桓夫)、若い二人(北原謙二)、ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹)、高校三年生(舟木一夫)、星影のワルツ(千昌夫)、新宿そだち(津山洋子・大木英夫)、純子(小林旭)、くちなしの花(渡哲也)、すきま風(杉良太郎)などなど。
作詞は反対にまったくの無名のよしかわかおり。それもそのはず、彼女?は当時阿久悠がスポーツ新聞紙上で連載していた作詞講座の公募でで入選した素人。その入選作が「さすらい」。
曲もさすがリスナーフレンドリーだが、詞がいい。♪知らない街の 街の色 とか♪鉄道線路 とかチープな歌謡曲には欠かせない「重ね言葉」が心地よく耳に残る。
いま流行りの言葉でいえば藤圭子は唯一無二の歌手だった。
「歌手に二代目無し」のジンクス?を破りビッグな二代目シンガーを生んだこともさすが。ジャンルは違うけど、願わくば宇多田ヒカルの「はしご酒」を聴いてみたい。いますぐとは言わない。もう少し歳をとってからでいいから。
暑き戦いの参院選もおわりました。
個人的には支持政党はないのですが、まあまあ共感できる政党はいくつかあり、パーソナリティも含めて毎回決め、投票しております。
今回は比例の政党は議席を減少し、個人(別の政党の)は落選しました。 まあはじめから増減、当落ともギリギリかなと思う政党、思う人を選択したので、みごとにハズれてしまいました(競馬じゃないよね)。
一部の野党大勝ですが、物価、治安、防衛それぞれうまくいくのでしょうか。多数派(まとまるんかよ)となった野党の責任は重い。
唯一小さな喜びがあったのは投票はしなかったけれど「チームみらい」の安野貴博さんが比例で当選したこと。メディアでしか見たことがないけれど岸田元首相にAIをプレゼンしたり、都知事選に出馬したり、おもしろい男だなと思っていた。「正直者」のような気もするし。海千山千の政治の世界で苦戦するだろうけれど、共闘できるよき「仲間」をみつけてその能力で社会貢献してもらいたい。
あとはTVの選挙報道をチラチラ見ていたのだがこれが面白かった。とりわけテレ朝系の別々の番組の男と女のキャスターはそれぞれ土性骨がすわっていて感心した。
大のトランプ嫌いと思われる男のキャスターが某政党代表に「トランプ大統領は好きですか」と訊いていたのは有卦た。とにかくトランプの影響下にあるポピュリズム政治を実行している政治家あんど政治家予備軍が少なくないからね。
女性キャスターは某政党代表の将来的核武装志向をしつこいぐらいの質問で引出していた。質問のスキルも見事だし精神力が半端じゃない。
二人の共通点はともにNHK出身の民放キャスターということ。たんなるキャスターではなくジャーナリストだという矜持が感じられてお見事。
爆笑問題の太田光も前回自民党の中堅議員をムッとさせる質問させたような、歯に衣着せぬ発言・質問で今回も視聴者の溜飲を下げてくれた。
ただ玉に瑕が某政党代表に何度も肯定的に発していた「大和ごころ」はいただけない。300万を死に至らしめたかの戦争で、権力者が国民に強要した精神的武装、行動規範が「大和ごころ」だった。
彼はそれを当時の為政者たちが悪用した言葉であり、本来は源氏物語に元を発する日本人の優しさ、他人を思いやる気持ちなのだと弁明していたが、もしそうであったとしてもその「大和ごころ」は当時の貴族の精神形態であって大多数を占めていた農民や庶民たちのそれではなかったはずだ。
まあ、「大和ごころ」にアレルギーがあるのはせいぜいわれわれ戦争追体験者くらいまでで、もはや美しい日本の言葉になってしまっているのかもしれない。
「大和ごころ」なんてナショナリズムを刺激するだけの言葉で、「日本ファースト」の地固めをしたいのだろうが、わたしには軍服姿のあのA級戦犯たちが甦ってくるような幻影を見るようで不気味でならない。創作としての「大和ごころ」を描くのはいいが現実生活では幻想でしかありえない。
選挙完敗でいささか熱くなってしまいました。
最後に「選挙」の歌を内外で1曲ずつ。
まずは邦楽。ポリティカルソングをうたった数少ないロッカー・忌野清志郎の「目覚まし時計は歌う」。
今回芸能人がずいぶんSNSなどで「選挙に行こう」と呼びかけていた。なかには自身の「推し党」を表明していた者もいたが、ほとんどは支持政党や支持政治家についてはふれなかった。もうそろそろ日本でも自分の正直な思いを発信してもいいのではないだろうか。まだ「大和ごころ」がじゃましてるのかな、なんて。
洋楽は1930年代につくられたという「ユー・アー・マイ・サンシャイン」YOU ARE MY SUNSHINE 。
歌手のジミー・デイヴィスがルイジアナ州の知事選に立候補し、自身のこの歌をキャンペーンソングとしてうたいまくり当選している。ただ作者はジミーらではないという話もある。内容は選挙とは無関係だが、選挙ソングはこうした気分をたかめる雰囲気ソングのほうが良いのかもしれない。
ポスターも 当落決まり にが笑い
一昨日コニー・フランシスが亡くなった。
87歳だったそうだ。
1950年代後半から60年代中盤にかけて全米だけでなくヨーロッパ、アジアを含めた全世界のティーネイジャにヒット曲を届けたアイドルシンガーだった。
コニーがいなかったら、1960年代前半に日本であれほどガールズ・カヴァ・ポップスが盛り上がることはなかったと思う。
とにかく男ならニール・セダカとポール・アンカ、女ならコニー・フランシス一択でその楽曲が日本でカヴァされた。
当時あった5、6社のレコード会社がいかに彼女の歌った楽曲をカヴァするかを競っていたような気がする。レコード会社だけでなく、それぞれに所属するシンガーたちがそれこそコニーの奪い合いで、なんとか自分がカヴァしたいというライバル意識でバチバチだったという話も。
ほんとに半世紀以前、われわれに新鮮なガールズ・ポップスの魅力・楽しさを教えてくれたのがコニー・フランシスだった。
感謝と哀悼の意味を込めて我的3曲を聴いてみたい。
1曲目は「大人になりたい」TOO MANY RULES
1961年の曲で、門限やめて、彼氏からの電話も許可してとルールが多すぎることを嘆く少女の素直な気持ちをうたっている。
日本では翌62年伊東ゆかり、森山加代子、後藤久美子がカヴァした。3人は別々のレコード会社で、ふつうそれぞれの専属訳詞家が日本の歌詞を担当するのだが、この曲にかんしては漣健児の詞で統一されている。伊東ゆかりのカヴァがいちばん印象として残っている。
2曲目は「夢のデイト」SOMEONE ELES'S BOY
タイトルどおり友だちの彼氏とデイトした夢を見て動揺するという、これも日本でもありがちなティーネイジャの気持ちをうたった61年の曲。
日本ではやはり伊東ゆかりのカヴァが耳に残っている。
他のカヴァ曲でもよくつかわれていた「ウォウ ウォウ ウォウ」とか「イェイ イェイ イェイ」というフレイズは当時の日本では新鮮だった。
ほかにも日本ではさほどヒットしなかったけれど1958年にシングルで全英1位になった「フーズ・ソーリー・ナウ」WHO'S SORRY NOW とか60年に全米1位になった「恋にはヨワイ」EVERYBODY'S SOMEBODY'S FOOL、あるいは日本のカヴァポップス大爆発のきっかけとなった1962年の「可愛いベイビー」PRETTY LITTLE BABY、「ヴァケーション」VACATION、あるいはみナみカズみ時代の安井かずみが訳詞した「カラーに口紅」LIPSTICK ON YOUR COLLAR、さらにはニール・セダカが作った「間抜けなキューピッド」STUPID CUPIDと「ボーイ・ハント」WHERE THE BOYS AREなど名曲はいくつもあるのだが。
最後はいちばん好きな「想い出の冬休み」I'M GONNA BE WARM THIS WINTERを。
スキー場で出逢った彼と恋に落ち、抱かれてキスされて外は雪で寒いけどわたしの心は恋の炎で暖かい、というハッピーソング。「ゲレンデがとけるほど恋したい」に先行すること○十年。
これは弘田三枝子ヴァージョンがヒット。ほかに伊東ゆかりや沢リリ子がカヴァしていた。
スタンダードポップスやカントリーの曲もうたっていたし、自分の歌の日本語ヴァージョンというのも少なくなかった。あらためてすごいシンガーだったなぁと思う。
いまのガールズJポップスの原点といってもいいのではないでしょうか。
以前は来日した時の三人娘と共演したテレビ番組のYOU-TUBEがあったのですが、どうやら消されたようです。すべて音源だけだったのでおまけで動画の「間抜けなキューピッド」を。
あらためて素晴らしい歌をありがとう!
本日には和泉雅子さんの訃報も。
77歳は若い。映画では浦山桐郎の「非行少女」が印象に残っている。
ほかでは日活青春路線で舟木一夫とよく共演していた。「絶唱」とか「高原のお嬢さん」、「あゝ青春の胸の血は」、「友を送る歌」、「北国の街」などなど東映の本間千代子ともども楽しませてもらいました。
チャキチャキの江戸っ子・銀座生まれで、歌手としての唯一のヒット曲がベンチャーズがつくり山内賢とのデュエットでの「二人の銀座」。
お世辞にも歌はうまくなかったけど、可愛いだけでいいんです。とにかくヒット曲が残ったのだから良かったのでは。
いろいろありがとうございました。冥福をお祈り申し上げます。
吉永小百合、松原智恵子、そして芦川いづみのお姉さま方、長生きしてくださいね。

いまでも口笛をふく。上手くはないけど。
とりわけ自転車なんかに乗ろうものなら、軽快なホイッスルが風を切る。エンドレスで。
子供の頃からのクセ。というより以前は大人も子どももよく口笛をふく人間をみかけた。鼻歌派もいたけど。
いまはほぼ見ない、というか聞かない。たまにすれ違いざまに口笛マンをみつけると、しばしそのうしろ姿を見送ってしまったり。
口笛ピープルが少なくなったのはカラオケとウォークマンのせいだと思っている。たしかにそのふたつがあれば口笛なんかいらないのかも。
それはともかく今日も歩きではあるがどしゃぶりの前の公園で出た。口笛が出た。
だいたい口笛には意味がある。理由がある。つまり口笛にのってあるメロディーが奏でられるのは、近々にそのメロディーを聞いていることが多い。たとえばテレビとかラジオとか有線だとかを聞いて、それにツラれてなぞってしまうことがよくあるのだ。
でもたまにはなんでこの曲? というメロディーが出てくることもある。
今日の口笛もそんな感じで、キッカケがよくわからなかった。実際は何らかの刺激があったのだろうが覚えがない。
で、今日の口笛だが、それがなんとロック。
ロックといったって「ハイウェイスター」みたいなゴリゴリのロックはなかなか口笛には乗りにくい。やっぱりバラード系でなくては。
前置きが長すぎましたが口をついて出た笛は「ルビー・チューズデイ」。
これなら下手くそでもふけないことはない。
ストーンズの中では「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」と並んで好きなバラード。
なんで火曜日はルビーなのか。
なんて歌ではなく、ルビー・チューズデイという「僕」に自由ってなんのかを教えてくれた不思議な女の子の歌。男の子にとって女の子(とりわけ好きな)っていうのはどこか神秘的で自由を感じさせてくれる、といのが今も昔も。ただ多くの場合はやがてそれが幻想だと気づくのだけれど。
しかし、口笛とはいえ久々に「ルビー・チューズデイ」を聴いた。というかストーンズの歌だって最近聴いていない。さらに最近ミックの記事を何かで読んだという記憶もない。強いて言えば一週間あまり前、ブックオフでキースの本をみかけたことぐらい。手に取ったわけでもなく、背表紙を見ただけなのだが、もしかしたらそれが1週間経って染み出てきたのかも。キースは彼が好きだったグルーピーのことを想ってこの曲を書いたといわれているし。
とにかくロッククラシックを聞けて?うれしかった。
でもルビーって娘は不思議で気ままなばかりではない。(ルビー・モレノって娘もいたけど)。
なかには怒りんぼで、男がどんなにとりつくろっても、怒り心頭で許してくれない爆発娘もいる。もちろんその火種は男にあるのだけれど。
おまけにそんなルビーをもてあます男をうたった「ルビー、怒ってんのかい?」Ruby, are you mad? というブルーグラスを。
これは口笛ではちょっとムリだ。

「ほんとに6月かよ」って言ってる人かなり多い。たぶん。
夜なんかなかなか寝つけなくって。ついつい電脳の海へ乗りだす。そんな波間に聞こえてきたのがお千代さんこと島倉千代子の「ほんきかしら」。
お千代さんが亡くなってもはや12年。75歳だった。先日亡くなった長嶋監督が89歳だったのを考えても若すぎたよなぁ。
わたしの歌謡曲というか、流行歌の原点のひとつは島倉千代子のデビュー曲「この世の花」(昭和30年)。
小学校低学年の頃で、紙芝居を只見していたとき近所の家の便所の格子戸から流れてきたのが、かの哀しきメロディーとあのか細い声。とにかく歌詞は理解できなかったけど、あの声を含めた音色が子どもの抒情をいたく刺激したのだ。たぶん。
時は西暦でいうなら1950年代が終ろうという頃だった。当時のヒット曲というのは今と違って数年間は巷に流れていたものなのだ。
お千代さんならベスト3どころかベスト10、いやベスト15くらいまではいける。まずはその初恋ハートブレイクソングを泣き節で。
「この世の花」の作曲は万城目正。
戦前なら映画、主題歌とも大ヒットした「愛染かつら」の「旅の夜風」。戦後なら並木路子の「リンゴの唄」や美空ひばりの「悲しき口笛」を作った大作曲家。
そもそもこの歌はお千代さんのコロムビアの先輩コロムビア・ローズがレコーディング予定だったとか。どういういきさつかは不明だが、これもまた運命のなせるわざ。
作詞は戦前の「旅の夜風」や「純情の丘」でコンビを組んだ西條八十。昭和10年代から30年代にかけて最もヒット曲をてがけた作詞家で、純粋詩の詩人でもあり、ランボオの研究者でもあり、早稲田大学の教授でもあったというモダンボーイ。
美少女好きで(男は誰でもそうか)、数かずの流行歌にその世界を反映させている。
「この世の花」も乙女の初恋失恋物語。乙女のイメージは中原淳一というよりは勝山ひろしかな。当時流行歌の世界をわたしに伝授してくれたお姉さんの部屋には、そんな画家たち描く美少女が載った雑誌がいくつもあった。
「東京だよおっ母さん」もベスト3を考えたときどうしても外せない歌。「リンゴの唄」や「青い山脈」と同様、「あの頃」を反映した歌で、時代が生み出した歌といってもいい。
反戦歌といってしまうといささか強引だが、親孝行の東京見物という外見の内に戦争の悲劇と鎮魂が描かれているのがわかる。
わかる、といってもそれは当時の人びとやその界隈の人たちには解り得ても「今」の人たちに理解できるかどうか。
なんで兄さんは九段坂にある桜の下で、自分たち母娘を待っているのか。そして逢ったらどうして泣いてしまうのか。わかんねぇだろうなぁ。もはや。
YOU-TUBEはお千代さんの初期の歌声。
作曲はのちに古賀政男路線の大作曲家となる栃木出身の船村徹。25歳、初期のヒット曲。
作詞は福島で生まれた野村俊夫。北関東・東北のコンビが東京の歌をつくった。なんて。
野村俊夫は戦前、「暁に祈る」(伊藤久男)をはじめ多くの軍歌をつくり戦下の国民を鼓舞した。西條八十もそうだが、戦前第一線で活躍していた人間はほぼ国家のために作品をつくった。それは流行歌の世界だけではないのだが。
軌道修正。3曲目が難しい。
「東京の人さようなら」「逢いたいなァあの人に」「からたち日記」「恋しているんだもん」「星空に両手を」(with守屋浩)「涙の谷間に太陽を」「人生いろいろ」などなど好きな歌はいくつもあるけれど、当時のお千代さんにもっともふさわしい歌ではないかと思うのがこの歌。
「夢飾り」(1984)は「人生いろいろ」の3年前に出た歌で、共感と連帯を求めた後者に対してあくまで個人的で昔ながらの女の情念(男がこうあってほしいと思い込んでいるだけなのだが)がにじみ出ている歌。♪おんなは男の夢飾り なんてどう考えても古くさくフェミニズム的にも問題ありの歌詞だが、そんな歌が古い人間は好きなんですよね。困ったことに。
そんなアナクロな歌詞をかいたのが里村龍一。ほかには細川たかしの「望郷じょんがら」がある。
弁解するわけではないけれど、この歌のよさはそのメロディにある。ハマクラさんの「人生いろいろ」にも通じるポップス風味でメロディアスな曲をつくったのは浜圭介。代表曲といえば八代亜紀の「舟唄」や「雨の慕情」だけれど他にもクールファイブの「そして神戸」とか由紀さおりの「挽歌」千葉紘子の「折鶴」、島津ゆたかの「ホテル」、奥方・奥村チヨの「終着駅」北原ミレイの「石狩挽歌」などいい歌がたくさん。いずれまた。
六月の空をみれば、晴れたり曇ったり降ったり。この湿度の高さと相俟って気持ちがわるい。まるでトランプ遊び。あんな他国へミサイルを打ち込んで相手をビビらせて停戦に導くってやり方が国際的にも国内的にも許されわけがない。
なんだか世界が彼に跪いて、のちのちはノーベル平和賞でもあげてしまう雰囲気。日本でも彼にすり寄っていい思いをしようと(表向きは)している実業家がいるけど見てるだけで恥かしい。
なんて愚痴もでますが、信じていますよ、アメリカの良心を。遠くない将来アメリカに民主的なニューリーダーが現れ、トランプゲームは終わったとばかり彼がお払い箱になることを。

