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song love

好きな歌や音楽についての懐想・悔想・快想など

今日もフルでドジャーズ-フィリーズをテレビ観戦してしまった。
ほぼドジャーズの楽勝かと思っていたが、フィリーズの最終回にドラマがあり見ごたえのあるゲームとなった。
リリーフが不調で1点差に追いつかれ、ツーアウト走者2塁で「早く出せよ」の佐々木朗希投入。わずか2球で巧打者・ターナーをセカンドゴロに仕留め見事にクローズ。ただターナーのゆるいゴロをセカンドのエドマンが、ファーストまでの距離が近すぎたのか緊張したのか投げそこない、フリーマンがからだを倒しながらなんとか補給するという状況はハラハラものだった。佐々木がハーフライナーで獲ってジエンドだったらもっとカッコ良かったけど。
とにかくとりあえずあと1勝。ホームで決着はつけられるだろう。
心配なのは大谷のバッティング。今日はタイムリーヒット(結果的に決勝点)を打ったが、ポストシーズンでの成績が不振。まぁ、まだ先はリーグチャンピオン、ワールドシリーズと続くわけで、多分勝ち進むので調子をとりもどすはず。明後日のホームではきっと左中間へデカイ一発をぶっ飛ばしてくれるだろう。

歌はまだ「夏の思い出」の続きがあるのです。

「夏の思い出」とは言わずとも、たとえば「あの夏の日…」というだけで、特定の夏を回想していることがわかる。
「あの」と言っても「全成」とか「ちゃん」ではない。「夏」である。「あの夏」なのだ。

タイトルは未知だが、♪あの夏の日…… とうたわれる流行歌はいくつか知っている。
まずは半世紀以上、60年近く前の歌。ホントかよ、60年。
それがジャッキー吉川とブルー・コメッツがリリースした「青い渚」。1966年デビューのブルコメの同年の5枚目のシングル。作詞・橋本淳、作・編曲・井上忠夫は初ヒット曲「青い瞳」と同様。グループサウンズ(GS)黎明期のバンドで、それまで様々なシンガーのバックバンドをこなしていて、GSブームにのってつくられた即席バンドとは異なり、メンバーそれぞれが「腕におぼえあり」の本格バンド。なかでも井上忠夫はフルート(サックス)&ヴォーカル担当で、ブルコメの「顔」だった。
最大のヒット曲でレコード大賞を受賞した「ブルー・シャトー」は翌1967年の作品。

2曲目はやはりGSで、「青い渚」と同じ1966年にリリースされた加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズの最大のヒット曲「想い出の渚」
GSファンは「あの夏の日」のフレーズでまず思い浮かぶのがこの曲だろう。
リーダーの加瀬はデビュー前から加山雄三と交流があり、バンド名も加山の発案だといわれている。ふたりとも湘南育ちなのでワイルドワンズもビーチボーイズを意識した湘南サウンズでいくのかな(そんな気配もあった、ファッションとか)と思ったが、そうでもなかった。湘南サウンズはご存知のとおりその後デビューのサザンオールスターズに献上することに。
それでもGSを代表する曲のひとつが「想い出の渚」。作曲はリードギターの加瀬邦彦、作詞はサイドギター&ヴォーカルの鳥塚しげき、編曲は森岡賢一郎。
ほかにすべて加瀬の作曲で「青空のある限り」「夕陽と共に」「愛するアニタ」などのヒット曲があった。

次はがらっと変わってワルツを。
ワルツはほんとにいい歌が多くて、思いつくまま「水色」「テネシー」「東京」「想い出」「プリンセス」「ゲイシャ」「星影」「乙女」「五月雨」といくつも出てくる。それはともかく。木の実ナナの「うぬぼれワルツ」(1977年)もそんな一曲。
木の実ナナはほぼ女優だが、元々60年代カヴァポップスのアイドル。「若草の恋」や「サンライト・ツイスト」はよく聴いた。役者でも「男はつらいよ」の浅草のショーガールが良かった。
作詞は「君は薔薇より美しい」(布施明)や「ジェルソミーナの歩いた道」(テレサ・テン)などを書いた門谷憲二、作曲は「池上線」のヒット曲があるシンガーソングライターの西島三重子。

その翌年の1978年にヒットした歌を最後に。
4人組混声コーラスグループ、サーカスがうたった「Mr.サマータイム」。この歌もよく聴こえていた、あの夏に。
その年のカネボウ化粧品のキャンペーンソングで、同じ年、ライバル資生堂のキャンペーンソング「時間よ止まれ」(矢沢永吉)と競うかのようにテレビから流れていた。このあたりからテレビCMとのタイアップソングがヒットの要件となっていった。
「Mr.サマータイム」はフレンチポップスでミシェル・フューガンが作りうたった「美しき物語」Une Belle Histoireのカヴァで、原曲は行きずりの恋の美しい想い出をうたったもので、浮気による失恋の歌ではない。その訳詞?は「あずさ2号」(狩人)や「ハートのエースがでてこない」(キャンディーズ)を書いた竜真知子。

先日散髪に行った。
いつも刈ってもらうのは50代のお姉さん。自称「スー女」で若隆景のファンだとか。場所中に行くと相撲の話で盛り上がる。
野球の話はしたことがなかったが、その日大谷の話題をふってみた。すると意外な答え。
大嫌いで、テレビでコマーシャルで出てくるとすぐにチャンネルを変えるという筋金入り。
「大谷を嫌いな人間がいるんだ」と驚いたが、そりゃいるだろうと思い直した。「みんな好き」なんてありえない。なぜ嫌いなのか訊くと「背が高くて男前で、お金持ちで、奥さんもキレイで、子どもも生まれて、愛犬もいて……」と際限がない。
まぁ、かんたんにいうと嫉妬ということなのだろうが、そもそもお姉さんは野球にまったく興味がないのだ。関心がないものは見た目や金銭価値で判断し羨ましがってしまう。その最たるものが大谷なのだろう。うーん……。理解できなくもないが。

著名人の好き嫌いなんて、その人の性格や状況によって違ってくるだろうし、なにかのキッカケでお姉さんが大谷を好きにならないとも限らない。
かの自民党総裁だって、なんでも期待している人が3人に2人だとかで選挙前とは大違い。日本はそんなに右寄りだったのかよ。マスコミだってこぞって彼女を好意的に報道している。なら選挙の前から半分くらいは言っといてよ。馬車馬、いや勝馬に乗るのは自民党国会議員だけじゃなくて、マスコミもかよ。
まぁ政界のお姉さん、この先、理髪店のお姉さんのように国民から「大っ嫌い」って言われないようにうまくやってよ。そうならなかったらマスコミは容赦なく叩きますよ、ホントに。
 


朝晩は完全に秋ですね。
これから冬までのつかの間、快適な日々が続くと思うといやなことも忘れて平穏な気持ちになれます。

あんなにウンザリしていた夏だけど、秋風に襟を立てたくなる頃になるとノド元過ぎればで、「ああ楽しかったなぁ、あの海…」とか「素晴らしかったなぁ、あの山頂からの景観…」なんて夏を懐かしがったり。時が経てばなおさらで、「ああ去年の夏は最高だったなぁ」とか「僕らが出逢ったのは3年前の夏だった…」なんて思い出になっちゃったり。

思い出に残るのは夏ばかりではなく、秋だって冬だって春だって人それぞれだと思うのだが、たとえば「白い想い出」とか「想い出の赤いヤッケ」とか「想い出の冬休み」なんて冬の思い出をうたった歌もなくはないが多いのは夏。流行歌で圧倒的に多い思い出は「夏」なのです。なぜか。

学校で習った唱歌も♪夏が来れば思い出す の「夏の思い出」(曲・中田喜直、詞・江間章子)を習う。今はどうなのかなぁ。
たしかに子どもにとっては夏休みがいちばん楽しい時期であり、大人になっても夏が来れば海へ山へと異性を求めてダッシュする。上手くいっても上手くいかなくても平坦な人生の凸あるいは凹の思い出になる。
今の人も♪夏の思い出 手をつないで 歩いた海岸線 なんてラブソングをうたっているし。

ではさっそく「夏の思い出」ソングをいくつか。

これは知っている中では最古。1965年というから初代東京オリンピックの翌年。流行歌の世界もどことなく国際化というかポップスが定着してきた頃。タイトルもストレートに「夏の日の想い出」。うたったのはハワイアンシンガーの日野てる子で、この歌がベストテンに入りブレイク。後続の「さいはての湖」や「ワン・レイン・ナイト・イン・トーキョー」といった小ヒット曲でしばしばテレビに登場した。

作詞作曲はいずれも鈴木道明。もともとTBSラジオのディレクターでジャズ番組などを担当していた。ほかに「女の意地」「雲の流れに」(西田佐知子)、「赤坂の夜は更けて」(西田佐知子など)、「銀座ブルース」(松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)などのヒット曲があり、吉田正とともにラテンテーストの歌謡曲(ムード歌謡)の一時代を築いた。
終ってしまった夏の日の恋を探しに冬の海へ来たというやるせない歌。

つぎはアイドル歌謡とニューミュージックが全盛だった1977年、フォーク系夫婦デュオ、紙ふうせんがうたった「冬が来るまえに」
タイトルどおり秋の歌で、♪夏のおもいで道 が忘れられず、もう一度別れた人とめぐり逢いたいという未練がせつない歌。リードヴォーカルの平山泰代は元赤い鳥のメンバー。ギター&ヴォーカルの後藤悦二郎が作詞。作曲はバックバンドのベーシスト・浦野直。
70年代前半から中盤にかけてブームをつくったチェリッシュの系統といえる。

3曲目はその翌年の1978年、ラジオ、テレビから流れてきた時の衝撃がいまでも忘れられない一曲。サザン・オールスターズの「勝手にシンドバッド」
吉田拓郎が出現したときもその「言葉つめこみ」に驚いたが、それ以上の早口で一部は聞き取れないほどだった。それに曲名のふざけた照れ隠しも。
もしサザンがこの曲のみの一発屋で終っていたら、たんなるノベルティソングをうたったバンドで終ってしまったところだが、その後ヒット曲を連発し、早口も照れも彼らの(というか桑田佳祐の)個性として定着させてしまった。

最後は1984年の楽曲で前3曲と比べるとヒットしたとはいいがたいが、サントリーのTVCMにもつかわれた石川セリの「キ・サ・ラ恋人」

ラテンアレンジのポップな曲で、キサラは缶ワインの名称で欧文表記では「Kisara」となっている。英語ではないようで、どういう意味なのかよくわからない。キサラという発音でスペイン語に[Quisara]があり意味は「~したい」とか「~欲しい」という意味らしい。もしそうなら「キ・サ・ラ恋人」は「恋人が欲しい」というような意味になり、歌の内容から前の二曲と同様Lover come back to me ということになる。

石川セリは1972年「小さな日曜日」でデビュー。そのB面が前年に日活映画「八月の濡れた砂」でつかわれた同名の主題歌。レコードが世に出る前にファンを獲得してしまった。
以後、下田逸郎の「SEXY」やのちに結婚する井上陽水の「ダンスはうまく踊れない」などをリリースしている。
「キ・サ・ラ恋人」の作詞作曲編曲は、はちみつぱいやムーンライダースでベースとヴォーカルを担当していた作曲家のかしぶち哲郎。石川セリの「Iro, Natu, Yume」(1985年)もかしぶちの作品。
石川セリ以外では、岡田有希子、アグネス・チャン、中原理恵らに楽曲を提供した。
また80年代から2000年代にかけて、大森一樹監督の「恋する女たち」のほか「機動戦士ガンダム」、や「釣りバカ日誌」のサントラを担当。と幅広い音楽活動をしていたが2013年63歳でなくなっている。

いまテレビで自民党総裁に高市早苗さんが決まったところ。
予想(マスコミの)は外れたようだ。でも最有力候補を叩いて沈没させるという行為は成功したようだ。やりすぎたと思っているかもしれない。いずれにしても自民党(もしかしたら日本)の右傾化にマスコミが貢献したことは憶えておきたい。
高市さんも総理になることで(多分)、言動もいままでよりいくらか中道に修正せざるをえないだろうし、党内を纏めることに加え野党対策でも苦労するだろ。大変だなと思う。
でも女性初というところでは頑張ってほしい。くれぐれもイギリスのトラスさんみたいにならないように。
 


どうやら憎まれっ子の夏は旅だってくれたようです。まだからだを動かせばうっすらと汗をかくけど。そもそも汗と鼾はかかなくなったらおしまい。

夏が過ぎれば秋が来る。
熱狂も静まってもの憂い季節。体力的には春先と同様とても快適な季節だけれど、なぜか流行歌はそういう心境をあまり好まない。アンニュイならまだしも、しばし立ち直れないほどの傷心状態がこの時期はうたわれる。それが夏を謳歌した代償だといわんばかりに。
だから、秋が来たのではなく夏が過ぎたのである。新し季節を歓迎するのではなく、逝ってしまう季節への惜別なのである。
そういう「喪失感」をうたうがため、♪夏が過ぎれば とか♪夏がゆけば という詞になるのである。

イントロは短めに。
いきなり♪夏が過ぎ ではじまる代表的なな歌が井上陽水の「少年時代」(1990年)だろう。これは傷心ではないけど、楽しかった夏の余韻がのこり、まだ新しい季節になじめないもどかしさがうたわれている。
藤子不二雄の漫画を映画化した(監督・篠田正浩、脚本・山田太一)作品の主題歌であったのもヒットの要因だろう。原作が柏原兵三の「長い道」だと聞いていたので映画館へ観にいった記憶がある。

「少年時代」と同様♪夏が過ぎ というフレーズがでてくるのがシャネルズの「街角トワイライト」
日本ではめずらしいドゥワップグループで、ルーツに敬意をはらったのか、かつてのアメリカのミンストレルショーのように顔を黒く塗ったビジュアルもあいまってデビュー曲の「ランナウェイ」からブレイク。
「街角トワイライト」は3枚目のシングルで、5枚目の「涙のスウイート・チェリー」までは井上大輔・湯川れい子の曲・詞コンビ。
鈴木雅之のうまさは際立っていたが、当初、他のコーラス3人が素人っぽくて物足りないという印象があった。
これはまさに夏から秋へのハートブレイクソング。

♪夏が過ぎれば というフレーズの歌もある。
絵に描いたような夏の日の恋の終わりをうたったのがブレッド&バターの「傷だらけの軽井沢」(1969)。
ブレッド&バターはフォークの兄弟デュオで、兄の岩沢二弓がギター&ボーカル、弟の幸矢がヴォーカル。
デビュー曲がこの「傷だらけの軽井沢」。
1968年69年あたりの日本のフォークは吉田拓郎前夜で、まだ歌謡曲のシッポをひきずっていた。「白ブランコ」(ビリー・バンバン)とか「風」(はしだのりひことシューベルツ)とか「或る日突然」(トワ・・エ・モア)とか。「傷だらけの軽井沢」もまさにそうで、タイトルも楽曲もまるでメロドラマ。嫌いじゃないですけど。それもそのはず詞・曲が橋本淳・筒美京平というウレセン。
そこそこヒットした記憶があるが、2枚目が彼等自身のソングライトによる「マリエ」でこれが本来のブレッド&バターのカラーではないかと思う。
それでも「傷だらけの軽井沢」が彼等の代表曲であることは間違いない。ゴールデンカップスの「長い髪の少女」のようなものかな。ちがうかな。

その8年後の1977年にヒットした「夏が過ぎれば」ソングがあおい輝彦の「センチメンタル・カーニバル」
あおい輝彦は4人組ダンス&ヴォーカルユニット、ジャニーズの元メンバーでジャニーズアイドルのさきがけ。グループは1967年に解散したが、あおい輝彦は4人のなかでもっともソロとして成功している。
1971年にはソロ2枚目のシングル「二人の世界」がヒット。76年には「あなただけを」が、そして翌年にこの「センチメンタル・カーニバル」をヒットさせ、76年の映画「犬神家の一族」の出演も話題となり、この頃の活動がもっとも充実していた。

作詞・作曲は阿部敏郎で、70年代中盤にシンガーソングライター、タレントとして活躍したそうだが、残念ながら記憶にない。
あおい輝彦はボクシング好きということもあって親近感をもてるシンガーで、ヒット曲がいくつかあるので、いつか改めて聴いてみたい。

♪夏が過ぎ ♪夏が過ぎれば と4曲聴いてきたがもう1曲♪夏がゆけば というフレーズの曲が舟木一夫の「高原のお嬢さん」(1965)。
作・編曲は松尾健司、作詞は関沢新一。
松尾はほかに「渚のお嬢さん」「北国の旅情」「夏の日の若い日恋」(いずれも舟木一夫)などがある。
関沢新一は1950年代から作詞活動をしていて、古いところでは「ダイナマイトが150屯」(小林旭)、「皆の衆」(村田英雄)、「柔」(美空ひばり)、「涙の連絡船」(都はるみ)などがあり、舟木一夫では「学園広場」、「銭形平次」、「夢のハワイで盆り」などがある。
また関沢は多才で、脚本家としても岡本喜八監督の「暗黒街の顔役」、「独立愚連隊」のほか「キングコング対ゴジラ」をはじめとするゴジラシリーズや「モスラ」などを手がけている。そのほか元祖「撮り鉄」としての写真家としても知られ、「滅びゆく蒸気機関車」など鉄道関連の写真集を数冊上梓している。

最近亡くなった和泉雅子との共演で同名タイトルの映画もつくられている。観ていないが、舟木映画には同じホリプロの堺正章やスパイダースが何度か出ており、この映画が封切られた翌年、スパイダースの「夕陽が泣いている」がリリースされビッグヒットとなった。

YOU-TUBEを観ていたら名カヴァがあったので最後にオマケでどうぞ。

支持政党ではない自民党のトップ選びにはさほど興味はないが、気になることもある。
最有力候補といわれる政治家へのマスコミこぞっての「攻撃」。たしかに陣営のやったステルスなんとかは高潔ではないけれど、選挙は自民党限定で国民が対象ではない。そんなに影響があるのかな。マスコミがかの候補者を失墜させようとしているとまではいわないけど、出る杭をたたいて、選挙戦を混乱させ国民(視聴者)をあおってオールドメディアに関心を向けさせようとしていることは確か。また一部でいわれているこのやり方が当該陣営ばかりでなく、一部であっても他の陣営もやっていた、あるいみ選挙の常態だと判明したらどうするつもりだろう。

まぁそんなことより、サンマも今年は豊漁らしいし、スーパーには梨も栗も並んでいるし(盛夏からだが)、公園を往けば空には鰯雲、花壇には死人花が。あとはトイレの消臭剤のような金木犀が匂って来れば北風が吹くまでのつかの間、ホッとできるのだけど。

 

ほんとかな。ほんとにもう今年30度を超える日はこないのかな。
ほんとに夏は終わったのか。秋が来ているのか。

もしそうだとしたら、今年くらい夏の終わりに安堵した年はない。
歳のせいではない。若い人だって「勘弁してくれ」って言っている。

「夏の終わり」という歌はいくつかあるようだ。夏という能動的で活動的な季節を恋や青春にたとえて、それを一区切りつけることによる寂寥感やや徒労感を味わうというマインドが流行歌にはもってこいだからかもしれない。「夏の終わりのハーモニー」(井上陽水・玉置浩二)もあるけれど「夏の終わり」のタイトルですぐに思い浮かぶのは2曲。

まずは1974年(昭和49)の歌で、最近やたらと露出が多い気がする矢沢永吉がキャロル時代にうたった「夏の終わり」
1972年「ルイジアンナ」でメジャーデビューしてから9枚目のシングルで、個人的には同じロケンローでも「ルイジアンナ」や「ファンキー・モンキー・ベイビー」より心地よく好きな曲。
その年の12月に10枚目のシングル「ラスト・チャンス」をリリースし、翌1975年にキャロルは解散した。

キャロル時代で矢沢が唯一作詞までしたという貴重な楽曲。
たまにキャロルの出現に衝撃を受けたという人がいるけど、以前から洋楽を聴いてきた人間にとっては、「おおリバイバル?」「いまどき?」「懐かしい」という受け止め方だったのではないだろうか。たしかに革ジャン、リーゼントは画期的だったけど。
ミッキー・カーチスもおそらく新しいサウンドのバンドを発掘したという意識よりは、10数年前自分たちが演っていたアメリカン・ロケンローのノスタルジーを喚起させられてプロデュースに動いたのではないだろうか。もちろん昔のことなど知らないよという当時の若者には「新しい音楽」だったのかもしれないけれど。

もう一曲はその2年前、1972年に石原裕次郎がうたった「夏の終り」。「石原裕次郎オリジナル12 影狩り」というアルバムに収録されたタンゴアレンジの一曲。
「影狩り」は同年裕次郎が主演した時代劇映画で、主題歌「影狩り」もそのアルバムに収められている。というと「夏の終り」は映画のサントラ盤の一曲と思うかもしれないが、多分関連はないのでは。映画を観ていないので断言はできないけれど。

この「夏の終り」、作詞作曲は兄の石原慎太郎。
石原慎太郎の作詞といえば、裕次郎がうたった「狂った果実」、三浦洸一の「青年の樹」、山本直純が作曲した唱歌「さあ太陽を呼んで来い」などがあるが、作曲までというのはめずらしい。他にはやはり裕次郎がうたいのちにペギー葉山がカヴァした「泣きながら微笑んで」があるくらい。

芥川賞作家とはいえ流行歌の作詞作曲は専門外なので曲も詞もどこかみずみずしい。とりわけ詞には「ストローハット」とか「スーブニール」、「恋のイメージ」、「雨のハイウェイ」など当時としてはあまり流行歌にはつかわれない言葉がチョイスされている。わからないのは「色褪せたガランドウ」。「ガランドウ」って以前はよくつかわれていた「伽藍堂」のことなのか。意味は「中味のない」「空っぽなこと」としてつかわれていたが、「色の褪せたガランドウ」とは。それこそ文学的表現なのだろうか。それともフランス語かなにかでガランドゥがあるのか。まぁ「色褪せた」なんとなく虚無的なイメージは伝わってくるが。

などと恥かしきことを述べましたが、そのあとネットで調べたらどうやら「ガーランド」という装飾品があるとのこと。これなら祭りで使って色褪せるという具合に意味が通じる。わたしにとっては初耳。いくつになっても無知は無知。


1991年には石原慎太郎みずからがうたっている。それもペギー葉山とのデュエットで。わたしがはじめてこの歌を聴いたのもペギー葉山のベスト盤に収められていたデュオ盤で、慎太郎の貴重な歌声が聴ける。

以上の2曲ではいささかさみしいのでもう一曲YOU-TUBEで「夏の終わり」を探してみた。よくヒットするのが森山直太朗の「NATSUNO OWARI」。これは森山良子のカヴァアルバムで聴いたことがあった。夏の王者・TUBEにもあったが、いちばんピンときたのが浜田省吾盤。1990年のアルバム「誰がために鐘は鳴る」の収録曲だそうだ。

実は80年代なかばから90年代にかけてはもっとも新しい音楽を聴かなかった頃で、テレビの露出が極端に少なかった浜田省吾そのものがエアポケットになっていた。
もちろんファンから「ハマショー」と呼ばれていることとか、吉田拓郎のバックバンドをやっていたとか、代表曲の「路地裏の少年」や「悲しみは雪のように」は知っていたが脳内ライブラリーには入っていなかった。

でも浜田省吾の「夏の終わり」は素晴らしい。
その動画を見始めると懐かしさも相俟って思わず聴き入ってしまった。まさにあの頃のフォークロック。C.C.R.やイーグルスのようなサウンドはとても心地よく、声も「路地裏の少年」よりカドがとれてる感じでクセがなく、二度も再生してしまった。
とにかくこの歳になって心に刺さる新しい曲を知ることができるのは気分がいい。ありがとうハマショー。

でも今日は暑かった。終わりじゃないのかよ、夏。冒頭の文句は昨日書いたもの。
ここ数日の涼しさに騙された。エアコンも再稼働。やってくれたな夏、って感じ。
近くの公園には曼殊沙華が咲いているのに。空にはうろこ雲もどきが出ているのに。
予報では明日も明後日も暑いらしい。でも来週にはきっと夏も終わるだろう。青安錦が熱い大相撲も明後日には終わるし。
 



ようやく、いくらか、きもち、じゃっかん涼しくなった気がします。

でも今日、外出から帰ってきたときなど、上半身は汗ばんでいた。もっとも酷暑日のようにビショビショからは解放されたようだが。

先日は墓参りにも行ってきた。
暑いなか、出席者もおどろくほど少なかった。
みんな歳をとったということもあるが、やっぱり暑さのせいでパスっていうのもあるなぁ。尋常じゃないもの、今年の夏は。

ツレが途中で花を買ったのでついて行ったら、花屋の店先にかなりの数の供花が新聞に包まれてバケツの中に立っていた。
新聞かぁ。なにかとても懐かしかった。最近あまり見なかったので。
昔(いつだ)は包装紙の定番だった。八百屋でも乾物屋でも焼き芋屋でも、なんなら揚げ物やだって新聞紙につつんで渡してくれた。

そんなバケツの中で佇立する供花のひとつに目がとまった。
花ではなく包んでいた新聞にだ。
第一面らしく、大きな活字(じゃないよね今は)で「雄さん死去」と読めた。まるめてあるのでその前も後もわからない。
訃報であることは間違いない。あれほどの大きな文字で報道するのはそれ相当の人物だろう。たとえば総理大臣経験者の政治家とか、国民的知名度のある人物とか。
一瞬「今日のことか」と錯覚したが、今日の新聞を包装につかうことはまずない、おそらく古新聞だろう。と思い至った。
「雄」は「お」、それとも「ゆう」?。
最近亡くなった方で誰かいたかな。脳内メモリを回転しても出てこない(遅いから)。
誰だろう誰だろうという思いを巡らせながら墓参へむかった次第。

さてと。今日は彼岸の歌をとも思ったが、小さく感動したあの古新聞が心に残ったので「新聞」の歌をいくつか聴いてみたい。

古新聞の歌というのはあまり聞かないが「新聞の歌」はいくつか知っている。
古いところでは昭和40年(1965)に小さくヒットした山田太郎の「新聞少年」
片親で病気がちの母親のために新聞配達をする健気な少年をうたったもの。当時は新聞少年や牛乳少年はめずらしくなかった。山口百恵さんもそうだったんじゃなかったかな。
わたしは経験がないが、小学時代少し年上の見知らぬお姉さんが新聞配達をしている後を何度かついて行ったことがあった。いまでいえばストーカーだけど、二、三回でやめた。朝起きるのが辛くて。

アメリカのトラディショナルソングに似たような歌がある。
「新聞売りのジミー少年」JIMMY BROWN NEWSBOY で、やはり片親の母のために毎朝新聞を配る健気な男の子のことをうたったもの。朝の通勤時に裸足で街を駆けまわって新聞を売るというスタイルが日本とは違う。
山田太郎くんはでっかい夢をもっているようだが、ジミー少年の夢は天国でも新聞を配りたいとうことらしい。
本場ではビル・モンローで知られており、日本ではジミー時田がレパートリーにしていた。

70年代になると井上陽水の「傘がない」(1972)に♪今朝来た新聞の片隅に書いていた とある。なにが書いてあったのかというと♪都会では自殺する 若者がふえている ということだが、当時そんな実感はなかった。歌は好きだったけど。

反対に時代を反映していた「新聞の歌」もあった。
1973年に友部正人がうたった「ストライキ」。
当時頻発して通勤者を悩ませた国鉄(現在のJR)のストライキをうたったもの。当時ストライキは国鉄だけでなく多くの企業や会社で行われるごく普通の生活権のかかった労働運動だった。それが現在は皆無ではないがほとんど聞かない。組合、労働者が弱体化したのかあるいは賢明?になったのか。

友部正人はは御茶ノ水駅で国電のストライキに遭遇し、渋谷で待っている彼女のもとへいけないでいる。イライラした乗客が駅員につかみかかったり。たしかに当時よくみられた光景である。そんないつ来るかわからない電車を待つ群衆に紛れて友部は、僕(ら)が待っているのは電車じゃないような気がする、と詩人らしい感性でうたっている。
友部正人はどこか新聞に思い入れがあるようで、「大阪へやって来た」(阪神のことばかり書くスポーツ新聞)や「公園のベンチで」(国電のなかで拾った新聞)に新聞というフレーズが出てくる。
なぜか「ストライキ」がYOU-TUBEに見つからなかったので「公園のベンチで」を。

ほかにも吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」や小川順子の「夜の訪問者」にも小道具として新聞が出てくる歌はある。
カントリーでもスタットラー・ブラザーズの「日曜日の朝刊」YOUR PICTURE IN THE PAPER という歌がある。
これはある日曜日ソファで朝刊を拡げると昔の彼女のブライダル写真が載っていたというはじまりの歌。その美しさ懐かしさに思わず涙がこぼれ、幸せになってほしいと願って終る。昔のアメリカのローカル紙では市井の人たちの結婚式や葬式の記事&写真はめずらしくなかったようだ。

例によって長くなりすぎたのでそろそろ。
以上の「新聞の歌」は古新聞とはいいがたいが、最後の一曲は間違いなく「古新聞の歌」。
駐留軍の余韻の残る1960年代。当時横須賀などのキャンプ地近辺には多くのアメリカ人が住んでいた。そんなひとりの金髪お姉さん・ステラと少年との思い出をうたったのが柳ジョージの「青い瞳のステラ―1962年夏」(1980)。
ステラが少年にあげたキャンディ。それを包んだのが古新聞(むかしは英字新聞なんていってた)。アメリカでもそんな習慣が? なんて思いもあるけど。映画のワンシーンのように映像が浮き上がってくる。当時も今もフェヴァリットソング。

墓参りの帰り道、ずっと供花をつつんだ古新聞の大見出しのことがきになっていた。
しかしやはりメモリが重たくなっているのか検索結果が出てこなかった。もしかしたら古新聞は古新聞でもたとえば10年、20年以上のものなのか。
夕食後、パソコンの前で仕事の残りをこなしているとき脳内の検索ウインドに突如文字が表示された。「長嶋茂雄さん死去」と。
情けない。三カ月とちょっと以前のことをもう忘れてしまっている。去る人日々に疎しとはいうけれど。そんなものなのかな。
生前は華のある人だったから、花を包むのにはふさわしいのかもしれない。