song love

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好きな歌や音楽についての懐想・悔想・快想など


千秋楽を待たずに霧島3度目の優勝です。

豊昇龍対琴櫻戦の仕切りから豊昇龍敗退、霧島優勝の予感が。
いや、霧島が安青錦に負けたときから、豊昇龍が負けるという啓示があった。まぁ典型的なファンの思い込みといえばそれまでですが、今回は裏目裏目ではなく表目表目で無事優勝。
今回最大の驚きは、霧島が優勝インタビューで娘のことを引き合いに出し涙ぐんだこと。あの冷静沈着な霧島が感情をあらわにした。優勝、大関復帰(多分)が決まり、娘との約束も果たすことができ、よほど嬉しかったのだろうな、とこちらも嬉しくなった。

まだ1日残っているけれど明日(対戦相手未定)も勝ってほしい。13勝2敗と、12勝3敗では1勝ちがいだけど優勝の重みがまるで違う。まぁ、優勝決定なのだからそんな厳しいこといわなくてもいいか。でもできたら明日勝ってくれると嬉しいのですが。
同郷の奥さんと愛娘がいて、あたりまえだけれど家族Loveだね。

あとはじっくり横綱をめざしてほしい。
前親方の先代・霧島(大関)も現親方の音羽山(元横綱・鶴竜)も好きだった。見た目だけだけれど穏やかな印象でね。いかにも本物の勝負師という感じで。感情むきだしで、もの凄い形相で勝負に挑むのも観客をおあおり、盛り上がるかもしれないけれど。栃若をはじめ、柏鵬、北の湖、武蔵丸、白鵬などなどと、静かな勝負師が印象に残っている。

まぁ、アスリート全般にいえることだけれど、とりわけ相撲ではケガには気をつけて玉鷲のように丈夫で長い力士生活を送ってほしい。ケガさえしなければいつの日か横綱間違いない。

ではなにか歌を。
先代霧島はもちろん鹿児島県出身。現在の霧島市。
その霧島がでてくる歌といえば、民謡の鹿児島おはら節
また植物では「霧島つつじ」が知られている。その霧島つつじがでてくる歌謡曲といえば西郷輝彦のこの歌

スッキリしない昨今。本日は、テレビで豊昇龍が仰向けになった瞬間思わず「おおーっ」と声が出てしまいました。久々の快哉。
あすは彼岸の墓参り。おふくろは相撲がすきだった。昭和30年代とくに贔屓にしていたのが「清水川」。関脇までいったのかどうなのか。そんな力士だった。    わたしも子供ながらに清水川のことは認知していて、いまでもその顔をうっすら憶えている。そのときプロレスも好きだったのでダニー・プレッチェス(知らないよね)に似てるなと思ったことを憶えている。
霧島のおかげで昔の相撲の事を思い出した。ちなみに当時わたしの好きだったお相撲さんは、大内山とか大起(おおだち)。とにかく大きくて弱い力士に感情移入していた。なぜだか。
オマケは力士つながりということで、やっぱりこの元大関のこの歌を。
 


WBCはあっけなく終了。
なんとなく優勝は厳しいと思っていたけれど準々決勝でとは。
期待していたアメリカとの試合は泡と消えた。でもなぜかWBC終焉の喪失感はない。
こうなったら決勝はベネズエラがアメリカを打ち負かすというドラマを見てみたい。
プロ野球も、メジャーリーグもこれからスタートなのだ。

残る楽しみは大相撲。
贔屓にしている霧島の調子がいいのでぜひ優勝して来場所で大関に返り咲いてほしい。綱を締めることのできる器なのだから。今日は高安に勝った。1分以上の大相撲で、見ごたえもあったし、力も入った。うまかったなぁ、霧島。解説は「まわり道」の琴風。霧島戦を「この一番見れただけで今日のお客さんは満足だと思いますよ」と言っていた。同感。

先日ドク・ワトソンを聴いて、ここ数日ギターインストを聴いている。
60年代のエレキから始まって、フォーク、ジャズ、ロックとまさに琴線にさわるようなギターの音色はからだにしみついているので、アコースティックでもエレキでも時に無性に聴きたくなる。

きょうは以前、ジャンゴスタイルを探してYOU-TUBEを泳いでいた時にみつけたドイツのジャズギタリスト、ヨショ・ステファンJoscho Stephan を。
ヨショは1979年生まれというから40代なかば。あぶらののりきっている頃で、ドイツの音楽アワードでもしばしばノミネートされているというギタリスト。

まずはボサノバを。
フランスのギタリスト兼ヴァイオリニストのドハド・シュミッツが書いた「ボッサ・ドハド」Bossa Dorado 。
ドハドもヨショと同じくジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリのロマスタイルのジャズを演奏する。
途中になぜかローリング・ストーンズがはいっていて、それも結構長く。もちろんオリジナルには挿入されていない。ヨショのアレンジなのだろう。マイナーチューンなのでインサートしたのかもしれないけれど、個人的にはGOOD。

ジャンゴの曲も何曲かレパートリーにしているようで、そんななかから「マイナー・スイング」Minor Swing を。
名曲で映画「ルシアンの青春」や「ショコラ」(ロマに扮したジョニー・デップが弾いていた)でも流れていた。ブルーグラスでもフラットマンドリンのデヴィッド・グリスマンがジャンゴの相棒、ステファンをフィドラーに招いて名演を披露している。
いつ聴いても古き良きヨーロッパへのノスタルジーを感じてしまう(行ったことないのに)。

最後はラテンポップスの名曲「スウェイ」Sway。
もともとはラテンミュージックの「キエンセラ」¿Quién será?で、1953年メキシコのルイス・デメトリオによってつくられた。翌年ディーン・マーティンが英語版の「スウェイ」としてレコーディングし、以後ローズマリー・クルーニーなど多くのジャズ&ポップスシンガーに取り上げられることになった。最近(でもないかな)ではカナダのマイケル・ブーブレ盤がヒットした。
日本でもラテンのスタンダードとして、古くはザ・ピーナッツ、アイ・ジョージなどレパートリーとしたシンガーは数知れない。
映画ではアメリカのリメイク版「シャル・ウィ・ダンス」でもダンスシーンつかわれていた。

3曲で腹いっぱいぎみだが、欲張ってデザートを。
これまたラテンといえばいえる「キャラバン」Caravanを。バンマスのデューク・エリントンとトロンボーンのファン・ティゾールによってつくられ、1936年に発表された。以後多くのバンドが演奏するほど浸透したジャズのスタンダード。カントリー畑でもチェット・アトキンスの名演で知られている。
日本でもジャズファンなら知らない人はいないほどの名曲だが、一般的にはザ・ベンチャーズで知るところとなった人が多いのでは。
動画はジョショとトミー・エマニュエルTommy Emmanuelのツイン・ギター。
トミーはオーストラリア出身で、カントリーシーンにもしばしば登場するギタリスト。そのソロはギターのボディをはじめ多くの部分をつかって多彩な音をだすので「ワンマン・バンド」といわれている。

きょうはいくらか暖かかった。
桜もチラホラ。でもなんだか浮かない。WBCが負けたこともあるけれど、やっぱりあの男の動向が気になり、スッキリしないのだ。それと日本の首相が彼との会談で、またなにか口を滑らせるのではないかと思うと、心中穏やかではいられない。欧州ではいくらか風向きが変わってきているようで、くれぐれも気がついたらあの男とわが首相だけが残った、なんてことにならないように。
誤爆とはいえ米軍が子供たちを殺したことはほぼ間違いないようなので、あの時のように「ノーベル平和賞をあげたい」なんて言わないとは思うけれど。


寒かった。手袋、マフラーは正解だった。今日で冬が終わるというけどほんとかな。

今日は先輩と昼食の約束ででかけた。
5分前に着いて駅前の四辻で待つことに。
長い付き合い。こうして月一で昼食を食べるようになってからでも何十年。

考えてみるともう数百回もこうした待ち合わせをしていることになる。いつも先に着いて待つのはわたし。後輩だから当然、というわけではない。わたしは相手を待たせては申し訳ないという考えだが、わが先輩はゆるい。それもかなりルーズで、10分15分待たせるのは平気。
随分前、まだ若い頃、30分以上待たされたことがあった。まだケータイなどない頃で、さすがに先輩といえども怒った。「どういうつもりなの?」。出る直前に仕事の電話が入り切ることができなかったとか何とか言い訳していた。
彼は2歳年上だが、ふたりは気の置けないというかほぼため口に近い関係なので、若い頃はよく口撃するたこともあったが、先輩はいわゆる「暢気」な人間で、言い訳のあとは済まなそうな顔で沈黙するだけ。

そんな関係が数十年も続けば、鈍感なわたしでもさすがにわかった。「ああ、こういう性格なんだ。悪気はないんだ。それが彼の生きるスタイルなんだ」と。なによりもそういう欠点?を補って余りある「楽しい人間」なのだから仕方がない。
彼の話によると「時間にルーズ」なことは他の人からも言われるようだし、ときとして家族からも攻撃されっらしい。自覚はあるようなのだが。
そんなわけで今では待たされてもまるで腹がたたなくなった。ケータイもあるし。約束の時間が1分でも過ぎると必ずケータイが振動する。先輩からだ。

四辻で待つこと10数分。ふと坂道を見上げると先輩が巨体をゆらしながら駈け下りてくる。「走るなよ」心の中でつぶやいた。そして彼が目の前に到着したとき「走っちゃだめじゃん」と笑顔で言ってあげた。彼いわく「いつもだから大丈夫だよ」。
半分人と会うのが仕事の彼は、忙しい時には一日に何度も走って会合の場所へいくのだとか。たしかに若い頃は山男で今でも健脚ぶりは並んで歩いていてもわかる。
「さて、きょうは何を食いたい?」。わたしに笑顔で返事を求めた。

きょうも前回に続きブルーグラスを聴いています。

まずはトラッドで「柳の下に埋めておくれ」Bury me beneath the willow 。
日本のブルーグラスファンにも知られた歌で、多くのバンドやシンガーがレパートリーにしている。わたしが初めて聴いたのはカーター・ファミリー盤だった。
歌の主人公が男の場合、女の場合があるが、APカーターは女歌として詞を書いた。
結婚まで約束した彼に去られた娘が、失意の中「私が死んだら柳の木の下に埋めてください。彼はきっとその柳の木に会いに来てくれるかもしれないから」という悲嘆の歌。
なぜ柳の木なのか。もし彼が逢いに来てくれたら、私は柳の木の影から姿をあらわし…、というのは日本的発想で、アメリカには柳に幽霊という発想はない。
そのかわりというのか、泣き柳weeping willow という言いかたがあるように、柳には失恋とか泣くというイメージがあるようだ。ジャズにもビリー・ホリディなどで聴ける「柳よ泣いておくれ」Willow weep for me があり、やはり恋を亡くした私のために泣いてください、とうたわれている。あの細く長い柳の枝が風に吹かれて、虎落笛のような音をだし、それが泣いているように聞こえるのかもしれない。ヒュー、ヒューってね。日本だったらヒュー、ドロドロドロで、うらめしやなんて。

動画はフラットマンドリン&ヴォーカルが若きクリス・シール。すきなブルーグラッサーで、今は亡きドク・ワトソンと共演している。ロングショットで指使いがみえないが、間奏でドクのなめらかで心地よい音色が聴ける。また冒頭のナレーションは多分ドクだね。

次は「丘の上の小さな家」Little cabin home on the hill。
タイトルだけをみると故郷のわが家に思いをはせるノスタルジックな歌のように思うが、内容は「君が去ってから僕は泣いている。いまもひとりこの貧しい家で外の雨音を聞いている。いまでも君のことを思っている。もしできるならもう一度……」という世界共通の失恋男の未練節。モテモテ男にはわからない歌。わたしにはわかる。

1959年 のビル・モンローとレスター・フラットによってつくられた。ビルが率いるブルーグラス・ボーイズがうたった。1901年にウィル・S・ヘイズがつくった「小径の小さな古い丸太小屋」The little old log cabin in the laneが元歌といわれている。

動画はアイリッシュのカントリーシンガー、ダニエル・オドネル。バンドを率いてのアメリカ公演の様子。おそらくバンドもアイリッシュから来たメンバーで、雰囲気がどことなく本場のブルーグラッサーよりジェントルマン。

最後はもう一度クリスに登場してもらってこれもよく知られた「転がりこむんだあの娘の腕に」Roll In My Sweet Baby's Armsを。
この歌もトラッドで、イギリス民謡やカウボーイソングにルーツを持つといわれている。
刑務所にはいったこともある男が働きもせず、小さな駅舎で郵便列車を待っている。その列車には可愛い彼女が乗っているはずで、着いたら抱きついてじゃれあうんだ。彼女は浮気女だけれど着いたら抱きついてやるんだと。今風にいえば生活破綻者の身勝手ソング。
1950年代にフラット&スクラッグスのフォギー・マウンテン・ボーイズがシングルリリースして知られるようになった。以後カントリーやブルーグラスのスタンダードとしてうたい継がれている。
今回はギター&バンジョーではなく、ギター&フラットマンドリンで。クリス・シールの相手をつとめるのはこれまたギター名人のマイケル・ダヴス。ニューポートのフォークフェスでのライヴ。ジャズも有名だけどフォークも歴史がある。名コンビの卓越したワザを。

話は戻りまして、今日は中華を。話題はやっぱりWBC。先輩はNetflixに入ったそうだ。わたしは久々にラジオのリスナーに。食後いつもならお決まりのオールドファッションの喫茶店で小一時間ひと月分の話をするのだが、きょうはこのあと先輩は仕事があるらしくパス。
それでもすぐには去りがたく、並歩?で次の駅まで歩いた。これも長年の会食で培った暗黙のルール。10分あまり歩いて「また今度」「おう」で別れた。

やっぱりオマケを。
久々にドク・ワトソンを聴いたのでインストで彼の十八番を。
 


つい1週間ほどまえ春が来たと思ったらこの寒さ。この時期に雪か。
まぁ、古くは4月に雪が降ったこともあるし、さほど驚くことはないか。
予報ではしばらく寒さが続くっていってるけれど、春は確実に来ている。

いくらもたたないうちに春風が吹いて、上着を脱いで、口笛のひとつ、ふたつも出てきそうな最高の季節がやって来る。そんな季節に聴こえてくる音楽といえば。やっぱりブルーグラスではないでしょうか。
ブルーグラスが春風にのって聴こえてくるのか。ブルーグラスの音色にのって春風がやってく来るのか。とにかく春は草萌ゆるブルーグラスの季節なのです。

そんな待ち遠しい春をうたった歌が[When the springtime comes again]。カーター・ファミリーもうたっているトラッドで多くのブルーグラッサーがとりあげている。別名は歌詞にも出てくる「リトル・アニー」Little annie でフォスターの「やさしいアニー」Gentle annie を元歌とする説もある。
動画の演奏はフィドルのヴァッサー・クレメンツやFマンドリンのデヴィッド・グリスマンを擁するオールド&イン・ザ・グレイOld & in the gray 。動画も寒そうで今日の日にぴったり。でももうじき春だからね。

ついでだからもうふたつ青草を。
つぎも何かがやって来る歌。春ではなくて女の子。これもトラッドで「あの娘が山からやって来る」She'll be comin' round the mountain。どこかイギリスの童謡にありそうな旋律で、しつこいほどのタイトルのリフレインはよっぽど彼女のことが待ち遠しいのだとわかる。もしかすると山から来る(山へ来るという解釈もあるけれど)彼女って春のことかもしれない。やって来るのは春ちゃんには間違いない。
動画はそんなに上手じゃない方々だけどいいのです。楽しそうで。なにせ春なのですから。
ハダシのオバサンもいいけれど、フィドラーが最高。あの雑な弾き方と「春が楽しいかって? そうでもねえ」という無表情な顔がなんとも。

 最後は「ディムライツ、シックスモーク」Dim lights, thick smoke and loud, loud music。
直訳すると「淡い光にたちこめる紫煙、そして騒がしい音楽」なんてとこ。
要するにバンドが入ったホンキートンク(安酒場)が舞台の歌。
そんな酒場で夜な夜な酒を飲んで踊りまくっている女。君にはここが人生のすべてなんだろう。でも決して家庭を愛する男の妻にはなれないけどね。と、まるで彼女を蔑んでいるような歌。
ジョーとローズ・リーのマフィス夫妻によって1952年につくられうたわれた。そしてその年フラット&スクラッグスFlatt & Scruggs によってヒットした。動画はそのふたりをこよなく愛するジェリー・ダグラスが率いる「アール・オブ・レイセスター」Earls of Leicester 。
ところで毎晩安酒場に入り浸る女ってきっと日本のキャバクラなんかでいうホステスさんのことじゃないかと思う。そんな酒場女にひとめ惚れした男が、相手にされず悔しまぎれでうたっているのかもしれない。
ただ、わたしには毎晩、飲んだくれの男たちを軽口をたたきながらあしらっている健気な酒場女の姿が浮かんでくる。オマケにそんな愛すべき女の歌を。

誰かトランプをなんとかしてくれ。
余計なことを。でも言わずにおけない。
 


今日は暑かった。公園の毎年早咲きの桜がみごとにフライングぎみに咲いていた。それもほぼ満開で。暖かくなるのは知っていたけれど、代替の服を考えておらず、面倒くさいのでいつものダウンで出かけたら暑いこと暑いこと。すれ違う人、老いも若きもわたしのような横着者は誰一人いなかった。あしたは薄手のジャンパー? で。でも裏切りの季節かもしれないし。

前回「口笛」ソングを聴きましたが、「昭和の笛」といえばそれだけではない。

もっと抒情的な笛に「草笛」がある。
電子玩具が氾濫している昨今、ほぼ死語と化した感があるが、口笛同様いまでも愛好者はいるようだ。
草笛とは、草というより木の葉、つまりツツジとかツバキとかツユクサ、柿などやや大きめで固さのある葉っぱを唇にあて息を吐いて音をだすことのようだ。またそうした葉を丸めて筒形にし、片方を軽く加えて吹くという方法だったり、麦やススキの茎を吹いて音を出すというのもあるらしい。
らしい、というのはわたしは吹いた経験がないから。昭和30年代の子供の頃も周囲で草笛を吹いていた人間は見たことがない。多分戦前あるいは戦後の昭和20年代に兄貴連が吹いていたのだろう。あるいは30年代、都会では消えてしまっていても自然が残る故里では細々と生き残っていたのかもしれない。

とにかく口笛のように音階を吹かず(吹く猛者もいるらしいが)、ピーと音を出すだけの他愛のない遊びだが、それだけで充分楽しかった時代もあったのだ。体験はないが、心情的にはとても理解できる。

戦前の軍歌に、亡き戦友への鎮魂の思いを込めて♪天にとどけと 草笛吹けば という「月下の草笛」(児玉好雄・14年)があるし、戦後20年代には岡本敦郎の「草笛の歌」♪思い出も懐かしい 草笛、30年代には三橋美智也の「草笛の丘」♪草笛吹けば 涙がにじむ がある。

しかし草笛の歌は思ったほど多くない。
30年代でよく知られているのが浜田光夫と三条江梨子のデュエット「草笛を吹こうよ」
作曲の上原賢六はテイチクの作曲家で、コロムビアで「東京のバスガール」(コロムビア・ローズ)や「港町十三番地」(美空ひばり)を作曲した上原げんとの弟。石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」「風速四十米」「赤いハンカチ」「夕陽の丘」(浅丘ルリ子とのデュエット)など主に日活映画の主題歌をつくった。
作詞は門井八郎で、「チャンチキおけさ」(三波春夫)、「赤いグラス」(アイ・ジョージ、志摩ちなみ)などのヒット曲がある。知る人ぞ知る林家三平の「ヨシコさん」も彼の作品。

当時「五社協定」というのがあって、映画俳優はすべて東映、松竹などの映画会社に所属し、他社の作品には原則出演できないことになっていたが、流行歌の世界は別で日活の浜田光夫と大映の三条江梨子が同じレコード会社のテイチク所属ということでデュエットのレコードが可能になった。当時ヒット曲はだいたい映画化されたものだが、この歌は映画になっていない。多分。

映画でいえば次の曲は映画の主題歌。
昭和34年に封切られた木下恵介監督の「惜春鳥」
木下恵介といえばその前年、33年に公開された映画「喜びも悲しみも幾年月」が大ヒット。♪おいら岬の ではじまる同名主題歌も大ヒットしている。作詞・作曲は映画音楽も担当した弟の木下忠司、うたったのはコロムビアの若山彰。その余韻をかって「惜春鳥」でも木下忠司が作曲し若山彰がうたった。作詞は監督つまり木下恵介自身が書いている。それほど愛着があったと推測できる。もしかしたら「喜びも―」以上に力がはいっていたのかも。とにかく木下恵介作詞はきわめてめずらしく貴重である。

映画の内容は前者が灯台守の夫婦愛を描いた作品だったが、後者はほろ苦い若者青春群像。「惜春鳥」は映画・主題歌とも前作ほどのヒットにはならなかったが、それでも作品はその年のキネ旬ベストテンに入っている。

音楽は独特の木下メロディーで、どこか当時静かに流行っていたロシア民謡の香りがする。
マンドリン?、アコーディオン、ピッコロ? の演奏がノスタルジック。昔、ラジオでイントロにタンバリンが入った、いかにもロシア民謡調のこの歌を聴いたことがある。つまり「惜春鳥」に別ヴァージョンがあると思っているのだが、その後いっさい聴いていない。あれはそら耳だったのか。

3曲目は藤圭子の「さすらい」。昭和50年(1975)のリリースでその年の紅白でうたっている。昨年聴いたような気もするが、底の浅さはしょうがない。
先日、徹子の部屋に宇多田ヒカルが出て母親の映像をみるという番宣があったので、録画してみた。懐かしい藤圭子の映像と共に、自慢の娘の話をする彼女が印象的だった。宇多田ヒカルも懐かし気嬉し気で「いい子だな」なんて思った。
もしかするとサービスで宇多田ヒカルが「圭子の夢は夜ひらく」かなんかを一節うたってくれるかも、なんて淡い期待もありましたが、んなことあるわけがない。ほんとに。

「さすらい」は「はしご酒」と並んで好きな歌で、以前と重複するが作曲は遠藤実、作詞はよしかわかおり。よしかわかおりは素人で、スポーツ新聞紙上で連載されていた阿久悠の作詞講座でこの作品が取り上げられた。どういう人なのかは不明だが、とてもいい歌謡詞を書いている。名前は女性だがその詞は男性っぽい。もしかするとありがちな女名前の男ではなんて想像もした。あるいは阿久悠の添削でそうなってしまったのか。

言葉の虚しさから逃げるように唇に草をあてて、という草笛もあるのだ。♪かなしい色はどんな色 見知らぬ街の街の色 とか ♪真心ひとつどこにある 鉄道線路のその向う とか思わず口ずさみたくなるフレーズがいい。

さいごも「さすらい」と同じ昭和50年にリリースされた五木ひろしの「千曲川」
信州をうたったご当地ソングで、作曲は「女のブルース」(藤圭子)の猪俣公章。
♪草笛の 音色哀しき 千曲川
なんてまるで俳句のような一節がある作詞は「よこはまたそがれ」からの五木ひろしの半座付作詞家・山口洋子。
ふたりの作品としてはほかに「噂の女」(内山田洋とクールファイブ)、「一度だけなら」(野村将希)、「面影の女(ひと)」(チャダ)などが。
作家・山口洋子には「背のびして見る海峡を」という猪俣公章の評伝がある。「背伸びして見る―」は猪俣の代表作「港町ブルース」(森進一)の一節だが、作詞は彼女ではない。呑み上手と呑ませ上手のふたりならではできあがった本かも。

草笛、練習してみっかな。
吹けるようになったら、だいたい草笛吹く人って丘へ登るよね、だからといってもこの辺に丘なんてないから、近場で荒川の土手かなんかへ行って、斜面に座ってみたりして。晴れた日がいいよね。かたちのいい雲に向ってピーッと一吹き。傍の鉄橋を通る電車の音にかき消されたりするから羞恥心も消えたりして。むきになって吹きまくる。
でもやっぱり、やらないだろうなぁ、土手にのぼっただけで息ぜいぜいだもんね。