
きょうは暖かかった。
外出から戻って着替えるとき、はずしたマフラーのあとが汗ばんでいた。
時間を遡って今朝のこと。
歩いて駅まで行くうちに気になるご同輩ふたりとすれ違った。別々の場所で。
わたしと同じ老人を見かけたりすれ違ったりすることはめずらしいことではなく、とくに公園などでは頻繁にある。
そんななかで、なぜそのご同輩たちが目についたかというと、ふたりとも赤いスニーカーを履いていたからだ。わたしはファッションに疎いのでブランド名に関してはまったくわからないがどちらも新品らしく際立って見えた。10分余りのうちにふたりも赤い靴を履いたお爺さんとすれ違うとは、もしかしたら今流行りなのかな。と思って道すがらすれ違う人の足元ばかりを見ていたがその後、赤い靴には出会わなかった。
そのあと電車に乗ったのだが、やはり駅でも車中でも赤い靴は見あたらなかった。老人はもちろん若い人でも。いまどき赤い靴は流行りではないのかもしれない。となるとあの赤い靴の老人たちはたまたまなのか。
そんなわけで今日は「赤い靴」の歌について考えてみた。暇なもので。というかこれからすぐ忙しくなるので。
「赤い靴」の歌といわれて思いつくのが、
♪赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった という童謡「赤い靴」(詞:野口雨情 曲:本居長世)。
この歌については少女のモデルがいたとかまったくの創作だとかいろいろな説があるがそれはさておき、この歌がつくられたのは大正11年(1922)。
当時の日本に赤い靴があったのだろうか。当時はまだ女性は(男も)和装、草履、下駄が主流で男女とも洋服、靴はめずらしかったようだ。
大正末から昭和にかけて世間の眼を惹いたといわれるモボ・モガは間違いなく洋装だが、その存在はいかほどのものだったのか。以前読んだ本にはモボ・モガの聖地・銀座でも洋装の人は100人に1人くらいだった、なんて書いてあった。
彼らがどんな服装をしていたのか、どんな靴を履いていたのかを知るには新聞・雑誌などの写真や映画などが参考になるのだが、残念なことにすべてモノクロなのだ。ちなみに国産カラー映画の嚆矢は高峰秀子が主演した「カルメン故郷に帰る」(木下恵介監督)で昭和26年のこと。たしかに踊り子役のデコちゃんは赤い靴を履いていた。
しかし戦前はどうだったのか。
もうひとつ当時の世相やファッションを知る手がかりとして流行り歌がある。「歌は世につれ」というように新奇なものにとびつくのが流行歌。
ところが戦前昭和の流行歌はいかに色味がとぼしかったことか。映画がモノクロ一辺倒であったように残念ながら流行歌もほぼモノクロなのである。
せいぜい出てくるのは「紅の帯」「緋ぢりめん」「錦紗のたもと」「赤い手絡(髪飾り)」などの和装の色。ごくごくまれに「紅のドレスで踊る夜は」(東京娘・昭和11年)のようなものもあるが。
靴でいうと「赤い刺繍の靴を縫う」とか「黄色い子靴」などの表現もあるが、履いているのは日本人ではなく蒙古や中国の女性の描写である。このへんにも日本人の華美意識の抑制が感じられる。
さらに時代がすすめば「花の振袖モンペに代えて」とか「おしろいつけず紅つけず」という超モノクロ戦時体制時代へと向っていくことに。
日本人女性のファッションがカラフルになり、赤い靴を履くようになるのは戦後もしばらく経ってから。
それは昭和25年(1950)、映画によってはじまった。
その年日本でイギリス映画の「赤い靴」が公開された。アンデルセンの残酷童話をベースにしたバレリーナの悲劇を描いたもので、世界でも日本でもヒットしたとか。見てません。
映画「カルメン故郷に帰る」の1年前のことである。
映画の赤い靴とはバレエシューズのことなので、そのことにより日本で女性が履く赤い靴が流行ったかどうかはわからないが、あきらかに影響を受けたと思われる歌が登場した。それも映画公開と同じ年の昭和25年という目ざとさ。
それがコロムビアの奈良光枝がうたった「赤い靴のタンゴ」。
戦前からの黄金コンビ古賀政男(曲)西條八十(詞)で、赤い靴で踊る旅回りの踊り子のストーリー。切ない恋をしても、やがてはその土地を離れていかなければならないという運命の嘆き節がヒット。
ほかでは翌26年にヒットした暁テル子の「東京シューシャインボーイ」のなかに、
♪赤い靴の あのお嬢さん と出てくる。主人公は当時流行の靴磨き。宮城まり子の「ガード下の靴磨き」にうたわれたような靴磨きの少年が話題になったが、こちらはファッショナブルでダンスが上手という靴磨き青年の話で、赤い靴のお嬢さんはお客さん。
以後めでたく? 赤い靴は解禁となった。
例によって長くなりすぎたので、知っている赤い靴の歌を列挙。
「子供ぢゃないの」弘田三枝子 昭和36年
♪お出かけする時はねえ 真っ赤なハイヒール と出てくるミコちゃんのデビュー曲。洋楽カヴァでオリジナルはUKのヘレン・シャピロHelen Shapiro 。
「赤い靴のマリア」ワイルドワンズ 昭和44年
41年「想い出の渚」でデビューのGSバンド9枚目のシングル。曲はリーダー加瀬邦彦、詞は「愛するってこわい」(じゅん&ネネ)の山口あかり。編曲は川口真。
なぜか船で去っていく赤い靴のマリアへの惜別の思い。愛していた、追いかけて 辛い 逢いたいと未練たっぷりにうたっている。
このあたりからGSブーム、バンドともに退潮へ。
「赤いハイヒール」太田裕美 昭和51年
地方から出てきた若い女性が東京の象徴である赤いハイヒールを買って履き続けるという、これも少しアンデルセンの残酷童話がでてくるストーリー。前作「木綿のハンカチーフ」の逆歌で、彼氏が(赤い靴なんか脱いで)故郷へ帰ろうとうたっている。前作同様、松本隆・筒美京平・萩田光雄のゴールデントリオ。
「赤い靴のバレリーナ」松田聖子 昭和58年
バレリーナの歌ではなく、赤い靴を履いて踊るバレリーナのように歩いてみたいと思う恋するナルシスト少女のことをうたっている。詞は松本隆、曲は甲斐バンドの甲斐祥弘、アレンジは瀬尾一三。松田聖子ではその2年後に「赤いスニーカー」もある。
「プレゼント」ジッタリン・ジン 平成2年
♪お菓子のつまった赤い靴 これは本物の靴ではなくクリスマス用のブーツ型容器。最近TVCMで流れていたような気がするが、ほかにオレンジ色のハイヒール、中国生まれの黒い靴が出てくる。彼からプレゼントされたものの羅列ソング。さいごにその彼に彼女がいたことがわかり、それが彼からの最後のプレゼントで、自分も「バイバイ」の言葉を贈ってあげるというオチ。
「赤い靴」さだまさし 平成2年
坂道、港、外国船が出てくる。舞台は横浜、横須賀、神戸が思い浮かぶが、童謡「赤い靴」へのオマージュだろう。赤い靴をはいてた昔の彼女への追憶であり、いまでも自分を励ましてくれる思い出だという、さだまさしの歌らしい前向きな失恋・追憶ソング。
随分長くなってしまいました。反省しております。
それでもやるか、オマケソングを。洋楽で。
カントリーではドリー姐さんdolly parton の「赤い靴」red shoes がある。
これは彼女のヒット曲「コートはカラフル」coat of many colors 同様、幼い頃の思い出をうたったもので、大好きなルーシーおばさんの履いていた赤いハイヒールに憧れつづけ、やがてそれを履くことができたとき、どれほど幸せだったことか。子どもにとって憧れを抱いて生きていくことがどんなに大切な事か。この靴を履いてわたしは自分の道を歩き続けるとうたっている。そしていつか天国へ行けたら、やっぱり赤い靴を履いて、あのルーシーおばさんと並んであるきたい、と。
赤い靴ねえ。わたしは多分死ぬまで(もう少しだけど)履かないなあ。
若い頃、赤いラインの入った白いスニーカーは履いたことがあるけど。
赤味でいうと身に着けるもので唯一赤っぽいのが臙脂のタートルネックセーター。これは20年前に死んだ親父の形見で、生前からカウントすればほぼ30年あまり着られていることになる。さほど傷んではいないが、親父を悼んで着ている。なんて。
選挙についても言いたいことはあったけど抑えておこう。やっぱりひと言だけ。
高市さん、ケガをしたそうでお見舞い申し上げます。指はテーピングの上から手袋をしたほうが見栄えがいいですよ。