健康な人と「比べる」ことは良いことか。 | 躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病(双極性障害)のサラリーマンの日々の生活日記。毎月22日(夫婦の日)は、妻から私を見た愚痴?等も掲載。

 双極症患者にとって、うつではないときは、それがたとえ躁の時期であっても、それが躁とはわからず、ここぞとばかりに頑張ってしまうものである。健康な人と比べて、うつの時の自分は能力が大きく劣っていると思っているからである。そして他人と自分を比較すると自分の能力のなさに大いに落ち込んでしまうものだ。
 ただ、他人と比較する場合、それは、自分の身近にいる人と比較して落ち込んでしまうものである。自分は聖徳太子より劣っているとか、レオナルド・ダ・ヴィンチに比べて劣っていると言って、落ち込んでいる人を僕は見たことがない。歴史上の人物や、遠く離れ会ったこともない人と比較して、落ち込むことは、普通しないものだ。
 僕が小学低学年の時、こんな経験がある。叔父は東大経済学部卒。国家公務員上級試験3番合格。1番、2番の人は旧大蔵省に行くだろうというので、叔父は旧経済企画庁へ入庁する。間もなくOECDの関係でフランスの日本大使館勤務へ。数年のその勤務を終え、叔父家族が帰国して、お盆前に実家へ帰省していた時の話。祖父、父、叔父、従兄弟たちと海水浴へ出かけた。叔父は海水浴場に着くなり砂浜に腹ばいになり、体を焼き始めた。それを見ていた祖父は「そんなことをすると火傷するぞ」と注意すると叔父は「お父さん、フランスではバカンスに皆こうしますよ。」と答えると祖父は「フランスの日差しの強さと日本の太平洋岸の日差しの強さとでは違うことぐらい、東大出ていてわからんのか!」やがて海水浴を終え、祖父母宅に到着すると、叔父の体はまるで赤鬼ように真っ赤。叔父は体中が痛い、痛い、と叫びながら、祖母や叔母たちが叔父の体に濡れタオルを貼り付けたりして大騒ぎとなった。僕は幼心に思ったものである。「東大卒でも大したことないなぁ。じいちゃんの方が賢い。」と。
人間、全方位に出来る人などまずいない。けれども人と比較して落ち込む時は、えてして、その人の「いい所」しか見ていないものだ。
中国の古典 老子の第33章は次のようになっています。
「他人のことをよく知る人は知恵のある人だ。だが、それよりも自分のことをよく知る人こそ賢明な人だ。人と争って勝つ人は確かに力がありますが、それよりも自分に勝つ人こそ本当に強い人です。これでよしと満足することを知る人は本当に豊かな人で、努力して正しいことをする人は意思の強固な人です。しかし、自分の立場を心得ていてそれを見失うことのない人は久しく生きたことになり、たとえ身は死んでも道を失わない人は永遠の命を保つことになります。」
人と比べるよりかは、この老子の生き方を目指しませんか。

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