双極性障害の波を穏やかにするのを阻んでいるものを考えると、色々あるんだろうけど、その中で思いつくものについて書こうと思う。
回復を阻み、且つ社会適応性もある程度阻害するものは「嘘と見栄」ではないかと思う。自分が双極性障害であることを例えば職場の人たちにオープン(伝える)にするか、それともクローズ(伝えないか)にするかについては、よく論争が起こる。
なぜ、クローズにする人はクローズにするのだろうか。その動機を推測すると、自分は双極性障害ではなく、健康な人として認知されたい、という考えがあるからではないだろうか。そういう考えがあること自体が、双極性障害という病気を受け入れることが出来ていないが故に生じることだと僕は思うけど。双極性障害であるとバレたら、差別を受けるかもしれない、という自分自身が双極性障害に対して持っている差別的なイメージが根本にあるのかもしれない。双極性障害の波を穏やかにしようと思ったら、まず第一にしないといけないのは、双極性障害という病を受け入れることだと、僕は思うのだけれど。
健康人であると「嘘」をついて仕事に就く。が、うつ状態はやって来る。2,3日は休めるかもしれない。でもそれ以上連続して休むのは言い訳を見つけるのでさえ難しいのではないだろうか。でも、結局長期休暇の後、退社となる。そして仕事を変えないといけなくなる。この仕事を変わるということは、いい意味での転職なら別だが、双極性障害という病を背負って、環境がガラッと変わる転職は、転職しないのと比べると負担にもなると思う。
僕が30代後半の頃に、昔自分の上司だった人(Lさんとしよう)から、「たまには僕が今勤めている会社まで遊びに来いよ」と誘われ、名古屋まで行ったことがある。Lさんは単身赴任の名古屋勤務なので、僕と一緒の新幹線で僕たちの地元まで帰ったのだが、その車中でLさんが「bipolar01君、人間50歳以上になると仕事は惰性で出来るもんだ。」と言われ、「何言っているんだ、このおっさん。」と驚いたのを覚えている。
だが、先日も「bipolar01さんの仕事ってルーチンワークが殆どないですね。」とは言われたりするものの、Lさんの言葉「仕事は惰性で出来る」を痛感している。物事を行う際、その判断の根拠になるのは、自分の若い時の経験である。これは、日進月歩の世界と言われている、コンピュータの世界でさえ当てはまる。
そういったことを考えると、仕事をコロコロ変えるのは不利である。過去の蓄積が生かされない。僕のように40歳台の経験が躁うつの波に翻弄されていたせいで0に等しい状態でも、そうなのだから。
嘘をつかず、見栄をはらず、である。また「身心脱落」つまり、あらゆるしがらみから脱して、何の執着(健康に対する執着も)やプライドもなく、自我意識を捨てることだと思うのです。自我のぶつかり合いがあるから、傷つけ合ったりするのです。
僕は、自分が双極性障害患者になったことを逆手に取りました。健康な人であったら、出来て当たり前のことが出来なくても「双極性障害患者なんだもの。出来なくて当たり前じゃない。」と開き直ったのです。例えば、50歳代のおっさんであれば、知っていて当然、出来て当然、のようなことも「ごめんなさい。できません」と正直に言うのです。健康であれば、プライドや恥ずかしさがあって、取り繕うとするでしょう。でも、そういった見栄を捨てるのです。「出来ません。」と正直に言うと、何故かまわりも許してくれます。そういう風にしたことが、自分や周りにとってマイナスになった、と感じたことはありません。
嘘をつき、見栄をはると、その嘘を取り繕うために又嘘をつかないといけません。そして嘘のループ、見栄のループです。それだけで、疲れ切ってしまうし、そのことが気分にも影響してくるのではないでしょうか。
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