「うつ状態の人に頑張れと言ってはいけない。」この言葉は、うつ病という病が、世間で広く認知されるのと同時に世間一般に広まりました。なので、僕もある時から、会社の周りの人たちが僕に、「頑張れ」とか「頑張って」とか言わなくなったと思います。
この言葉は真実だと思います。
でも、双極性障害を含めた多くのうつ状態の人が、この言葉を勘違いしているんじゃないかと思うのです。
それはどういう勘違いかというと、「うつ状態の人は、頑張らなくていい」と勘違いしているんじゃないかと。
「うつ状態の人に頑張れと言ってはいけない。」と「うつ状態の人は、頑張らなくていい」は明確に違います。
なぜ、「うつ状態の人に頑張れと言ってはいけない。」かというと、それは端から見たら、あともうひと踏ん張り頑張れ、という状態に見えるかもしれないけれど、うつ状態の人は体中にエネルギーが無い状態で、車で言えばガソリンが無い状態の車です。そんな状態で、「頑張れ」と言われて気合を入れようとしても、ガソリンが無いのに、いくらスターターキーを回しても(最近の車ならスタートボタンを押しても)車が走るわけがないわけで、言われた当人は「そんなこと言われても出来ないよ」と思い、ちょっとしたことでも出来ないことに自己嫌悪を起こしてしまって、落ち込み、事態はより悪くなる一方になるからです。だから「うつ状態の人に頑張れと言ってはいけない。」と言われていると思うのです。
でもこれは、「うつ状態の人は頑張らなくていい。」とは違うのです。
僕は、人間というものは、本当に苦しんでいる人が、苦しいのにも関わらず、頑張っている姿に感動するものではないかと思います。
僕が、うつで仕事が出来ず固まって、椅子に座っているだけの状態でも、何故職場の人は文句ひとつ言わず、僕を受け入れてくれていたのかは、不思議なのですが、うつで苦しみ、苦悶で顔をゆがめながらも、頑張って職場に来ていたからじゃないかなぁ、と推測したりします。
日本における曹洞宗の開祖である道元は次のように言っています。
「道を得るかどうかは生まれつきの利発さや愚かさによるものではない。修行する人は皆必ず悟りに達することが出来る。ただ一所懸命になって精進する人と、怠けてやる人との間には当然早い遅いの差が生じる。精進するか怠けるかは志が切実かどうかの違いによる。志が切実でないのは、無常を思わないからだ。人は刻々と死につつある。こうして生きている時間を大切にして、自分を磨いていかなければならない。」
だから僕は、切に生きたいのです。切に生き、頑張ることが出来る時は頑張りたいのです。頑張ることが出来る時も頑張らないでいる人間は、それはもう亡骸だと思うのです。
諦めて全てにおいて「頑張らない」生き方をするのではなく、「頑張れるときは頑張る」生き方の方が、人としてのあるべき姿だと思うのです。
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