鬼嫁の叔母から、たくさんの綺麗なトマトが宅配便で送られてきた。
一昨日に文旦が段ボール箱二箱送られてきたばかりなのにである。80歳以上で年金暮らしの叔母なのに度重なる贈り物に恐縮してしまった。けれども、一般的に人は自分の好みのものを贈られて、嫌な気はしない。
僕の大叔父(祖父の弟)はレコード店を営んでいた。僕が小学2年の時、大叔父のところへ遊びに行くと、大叔父が好きなレコードはどれでもあげると言う。僕は、あれも、これもとウルトラマンや仮面ライダー等、総計20枚以上のEPレコード(おそらく店内にある男児用テレビ漫画のEPレコード全て)を選んで、それらのレコードを貰った。当時のお金で換算しても、EPが1枚500円したから、10,000円以上のプレゼントをもらったことになる。
この時の体験は、今振り返っても最も幸せに感じたときのひとつである。
僕が、仕事を休職したりすることなく、続けられている理由の一つは上記の大叔父のように ”カッコいいおじさんでいたい” からだ。甥っ子たちには、クリスマスや誕生日祝いに、Amazonで買えるものなら、何でも買ってあげると、電話かLINEで言う。すると、甥っ子たちは、LINEにAmazonでの商品のアドレスを貼付けて返信してくる。
僕は、甥っ子が例えば、ゲームソフトを一つだけ希望してきたら、他にも欲しいソフトはないのか、と訊いて欲しいものを何でもいくつでも買ってあげるようにしている。
そうすることで、僕も幸せだし、甥っ子たちも幸せを感じる。
親は躾の関係上、我が子に物を買うのに制約条件をつけるが、滅多に顔を合わすこともない叔父は、夢をかなえてあげる存在でありたいのだ。
大叔父から僕へのプレゼントの行為が、僕から甥っ子たちへの行為として引き継がれていくように、世代間を超えたGIVE AND TAKE がお互いの多幸感を高めるのに役に立っていると思う。
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