文字で色々書いていると、
すごーい誤解がたくさんある。
たくさん起こるので、
もー考えなんかは書かないでおこうと、
半年〜いち年くらい前から思ってまして
減らしていってます。が、たまに書いちゃうので
補足、先日の記事
 
 
 
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自分がどんな状態、

どんな振動数(?)にあるかによって

キャッチする思考がちがう。

 

 

まだ混沌としていて

波長が(?)粗い状態のときは、

より繊細なレベルの波長はキャッチできない。

 

 

 

 

 

どんなに説明されても理解できない、、。

どんなに分析しても理解できない。

考えても、理解できない。

 

理解しようとしていては、理解できない。

”真実”は理解できるものではない、、。

 

ある本を読んでいて、こんな一節が。

 

『「あなたの目をそらせたまえ。それはわたしを飛び去らせるから」

 

理解不可能な偉大なる黙想から、・・・

 

「私をじっと見つめることからあなたの目をそらせなさい。それはわたしを飛び去らせてしまうから。この世では、それはわたしを完全に理解することはできないのだから」

 

「人間は高き心に到達し、神は賛美される」

 

なぜなら純粋な心で高き何かを求めるとき、たとえ理解不能であろうとも、より崇高に人は理解するからである。』

 

 

 

 

自分のあり方、”体”が

どの状態になっているのか、で

考え方も話す内容も変わってくる。

 

 

 

。。

 

 

 

理解に到達するためには、

”その状態にならねばならない”、のだとしたら。

 

 

その状態になるために

捨てるもの、やめるもの、改めるもの、なんかがあるのかしら?

 

 

その状態になるために、

訪れるべき場所があるのかしら?

 

 

。。

 

 

もしかしたら、、それは施術かもしれないし

たとえば、神社や聖地かもしれない。

それらは、わたしたちを待っているのかもしれない、そんな場所、そんな出会い。

 

人との出会い、物との出会い、、

 

 

それは、周波数を合わせてないとみえない。

 

 

昔、旅に出る前(3年間のバックパッカーの旅に出た、その前)

思っていたのは、

世界は終わった。何もない。

日本を出ていくこと、それ以外には出口はない。と。

 

しかし、世界は平面ではなかった。

レイヤーのように層となり、

重なり合ってさまざまな物が、場所が、人が存在している。

 

 

同じこの地点に、

隠れている、、ひとがいる。それが見えないのは、振動数が違うから。

 

 

高次の振動なのか、それともまだ低次の振動なのか?

 

”高次”と”低次”というのは、

その人の性質や、資質のことをいっているのではない。

人それぞれ

それに違いはない。

 

ただ、同じ人間でありながら

どこにシンクロしているか、のこと。

 

 

”振動”てここで言ってますが

比喩的に表してるだけで、本当にそんな振動数があるのかとかは知りません。

が、表すのにわかりやすい。

 

 

低次の振動にシンクロしているとき、

高次の振動は探知できない。

 

 

低次と高次って?

 

 

感情のレベルか、

それとも、

その先のもっと透明で静かなレベルか。

 

 

。。

 

 

**

 

 

人体で言うところのチャクラなら、

ハートの振動数。

 

 

 

ヨガとかで、

ベース、仙骨、太陽神経叢、

そして、

ハート、喉、眉間、頭頂

 

と、7つのチャクラがあり、

それぞれ固有の振動数を持っている。

と、されてますね。

 

 

 

そして、ボディワーク的には

横隔膜の存在がある。

 

 

それは、太陽神経叢と

ハートの間に仕切りとして存在している。

 

 

 

この境目が大きなシフトの時。

 

 

 

ハートから上の繊細な振動数。

太陽神経叢から下の粗い振動数。

 

 

低次の振動数って?

感情のレベルの振動数。

 

 

高次の振動数って?

ハートから上の振動数。

ハート:慈愛(感情ではない透明な愛のこと。感情の愛情は太陽神経叢。)

喉:奉仕

そして、腕はハートと喉とつながっている。

 

 

 

 

 

ハートの振動数、

そこから

やっと本当のコミュニケーションがはじまる。

 

 

 

 

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感情のレベルにシンクロしてる人に

ハートがないって言ってるんじゃないですよ、

感情、ハート、、

 

また補足の補足が必要な気がしてきた。。

 

 

もう書くのやめた方がよいのかもね。。