アンラッキーが続くので、思わず計算してしまいました。(ざっくり計算なのは分かってます)

妊娠性高血圧発症率→7~10%
韓国の新生児死亡率→1.6%
前置胎盤発症率→0.33%
(↑このへんは、肥満&高齢で確率が高まっているとは思う)

子宮頚管無力症発症率→0.05~1%
韓国で、1年に2回交通事故に遭う確率→推定0.193%
30代後半女性の甲状腺がん罹患率→0.014%
同じマンションの同棟同ラインから市内初のコロナ患者が出る率(いろいろ自粛にする羽目になった)→推定0.00035%

上の項目が一度に起こる確率→0.0000049933%

韓国ロトで1等のあたる確率→0.000012%

2年前、あるムーダン(拝み屋さん×占い師、シャーマン)に、「涙の多い人生だ、3年我慢しなさい、その後運が開ける」と言われたんですが、まさか最後の一年にこんな怒涛のアンラッキーが来るとは。別に、お金が欲しいわけじゃないけど、ものすごいラッキーが起こらないかなと考えてしまいます。もう一度、ロト買うべきですかね?
私は悩んだ末、仕事で10年近く付き合いのある日本の方に電話しました。大学生のお子さんを持つ、子育て&仕事のベテランです。私の母というには若いので口には出しませんが、心の中で韓国の母扱いしている、優しく頼れる方。

「相談に乗ってもらいたいんですけど、今、いいですか?実は、まだ23週なのに、もう破水してしまって、赤ちゃんを助けるかどうかは親の意向だって言われて……、もうどうしたらいいのかわからなくて……」

途中から泣きじゃくってしまい、途切れ途切れでなんとか伝えました。夫に話して、受け止めきれてもらえなかったあれこれも全部。

彼女はしばらく言葉を失っていましたが、一生懸命に伝えてくれました。

「今ねりさんが泣いてるってことは、諦める選択をしたくないように見えますよ。まだ赤ちゃんが元気だから、受け入れられないってだけかもしれないし。話してくれたみたいに、いろんな心配があると思いますけど、いろいろ思い浮かぶことを今は整理だけしておいて、いざその時になってから決断するのでいいと思いますよ。赤ちゃんの状態も、ねりさんの状態もどんどん変わっていくんだろうから。」

「今決めなくてもいい」という言葉が目から鱗であると同時に、取り越し苦労しがちな自分の性格を再認識させられました。そうかもしれない……と。
翌日、NICUの先生に話を聞く段取りだったのですが、このときお腹の張りと痛みが少しあり、「その前に選択を迫られるかも」という焦りがありました。まずは夫に、自分の持っている葛藤を知ってもらおうと、全て話してみました。

ほぼ必ず残る後遺症のこと、どう見ても障害者に優しくない国(日本もですが韓国はもっとだと思う)で育児することになること、週末婚で私は病院から車で1時間半かかる町に住んでいること(夫は40分)、それから自分が揺れていて決断できないこと。

「私は妊娠して最初、当惑した。あなたみたいに、手放しで喜べるかんじではなかった。でも、4ヶ月目くらいから、少しずつこまちゃんに愛着を感じ始めて、自分が変化するものだとわかってきた。今後、自分がどうなるかも含めてわからない、だから、今決められない、どうしよう」と。

しかし、夫の捉え方はだいぶ単純で、「ねりは(母性的に)変わったから、育てたい、最大限生かしたいってことだね!」と返ってきました。絶句しました。そうじゃない。

夫に言いたいことが伝わらない……、と、親友ろーちゃんにメッセージで嘆いていると、もう少し自分の感じていることが掘り下げられました。

「私は、当分は『自己犠牲的な母』ができると思う。でも、自分のやりたいように生きていきたい性格だから、いつか『こんなにしてやったのに、思ったように育たない』と爆発しそうな予感がする、それが怖い。」

そんなふうに感じていました。

ちなみに夫の悩みは「経済的なことだといいます。私も仕事をやめざるを得ないかもしれないので、それはもちろん感じていました。夫は「経済的なこと」の一言しか言わないのですが、たぶんお互いがその言葉でイメージしているものは違うと思い、何とか根掘り葉掘り聞いてみました。

するとやはり、夫は「今より生活レベル(衣食住)が落ちるのが辛い」と、私は「日本に行くお金、趣味に使うお金、自由に使えるお金がなくなるのが嫌だ」と思っていることが分かりました(私、この後に及んでわりと自分勝手ですが……)。

夫も具体的に話して初めてわかることがあると、おそらく理解してくれたとは思います。でも、コミュニケーションのすれ違いに関しては、一事が万事な気がして、余計心配になりました。
夕方までは比較的、落ち着いた一日でした。「おやつ解禁、どんどん食べてプリン」と言われたので、病院内のコンビニやらパン屋やらで美味しいものを買ってきてもらって食べたり、翻訳の仕事を少ししたり、3月に出産予定だった幼馴染とラインで「自分たちのキョウダイの中で、誰が一番オジ・オバ馬鹿っぷりを発揮するだろうか」とか、そんなおしゃべりをしたり。

母も私のそんな様子を知り、「明日、日本に帰る」と決めて荷造りしていました(結局、コロナのせいで大学病院には入れないまま)。夫も、翌日からの勤務に備え、いったん市内にある自宅に戻りました。

ところが、夫が病院を出て間もなく、17:30頃、横向きに寝てチャットしていたのですが、突然水がだばーっと溢れてきて、頭が真っ白になりました。「漏らした!いや、止まらない。匂いもしない。破水だ…えーん」と。

慌ててナースコールをし、びしゃびしゃと床を濡らしながらトイレに移動、下着をとって内診しにきてくださいと言われたのですが、
びしょびしょ過ぎて廊下を歩くのは躊躇われ「この状態で?!」と言ったら、車椅子が運ばれてきました。人が見たらギョッとするような状態で内診へ。

やはり破水で、羊水はほとんど無くなってしまっていました。

こんな説明をされました。

破水したからといって、すぐに危険が及ぶわけではなく、さいわい感染の兆候もありません。羊水はまた作られるけれど、赤ちゃんが逆子なこともあって、たぶんすぐに排出されてしまいます。
赤ちゃんの肺の成熟を助ける注射を今日と明日打ち、それが効いているうちは、子宮収縮抑制剤を使えます(うろ覚え)。でも、それでも陣痛が来てしまうことはあります。24週になれば生存率も上がるので、それまで持たせることを目標にしましょう。赤ちゃんはまだ小さく、逆子で、しかも前置胎盤とまではいかないけれど、それに近い状態(辺縁前置胎盤)になっています。積極的に助けたいなら、自然分娩は無理なので、帝王切開をします。

というわけで、子宮収縮抑制剤と抗生物質の点滴を続け、こまちゃんの肺の成熟を助ける薬をお尻に注射。脳性麻痺を防止する薬も点滴しました。

「より一層の安静生活」を言い渡され、ベッドの横の棚にあるものを手を伸ばして取ることもできなくなりました。夫も病院にとんぼ返りし、母親も急遽、日本に帰るのをやめて、夫が仕事の間付き添ってくれることになりました。二人には感謝しかありません。

ここから、「いつ手術になるか分からないから、食事時間以外は絶飲食」を言い渡されました。これがかなり辛かったです……
大学病院の朝はとても早いのですね。

朝五時半からぞくぞく検査が始まりました。
私は思いっきり寝ぼけ眼。

NST、採尿、採血(2日おき)、血圧、体温……。

私のベッドは窓側にあり、窓の手前にNSTの機械が置いてあり、そのすぐ足元の通路には、夫が付き添いベッドで寝ていました。検査をするのに明らかに邪魔なんですが、夫に「ちょっと検査あるからどいてよ」と言ったら、「このまま動かないでおく」と毛布をかぶって二度寝してしまいました。イビキまでかいて。そして、恐れていたとおり、すっかり忘れて寝返りした拍子に、コードを巻き込んで引っ張り、あやうく機械が落ちるところでした。言わんこっちゃない真顔

自覚症状はなかったのですが、ここで「子宮の収縮がある」と言われ、いわゆる張り止めの点滴が始まりました。

説明によると、点滴の選択肢には2種類があり、まずは優先的に使用が決められているので、유토파(ユトパ:塩酸リトドリン←日本の薬ではウテメリンなど) を点滴する。ただし副作用が強めに出ることが多いので、だめなら違う薬に切り替える。切り替えた場合、트랙토실(トゥレクトシル:アトシバン)という薬になる。23週の間は、残念ながら張り止めの薬は両方とも保険適用にならない。ユトパのほうは、24週になれば保険が効く、ということでした。1週間した場合の点滴料金を計算してみると、安い方のユトパでも220万ウォン(22万円相当ガーン)。胎児保険に入っていて心底良かったと思いました。これらのお薬の使用には、サインが必要でした。

朝6時くらいに点滴を始めたのですが、7時半くらいには「うーん、やっぱり脈拍速くなってますね。薬変えなきゃいけないかも」と言われ、何度か薬の調整のために血圧やら脈拍やらを測定し、再検査し、量を調節しました。

合間に、この病院に来てからはじめての食事(朝ごはん)があったのですが、しょっぱ&辛めなおかずが多く、だいぶ残してしまいました。ご飯が美味しかった前の病院との差が無性に悲しくなり、泣いてしまいました。いろいろなストレスが溜まっていたせいだとは思いますが、きっかけがきっかけなので、夫に呆れられてしまいました。病衣のあちこちに気づいたらご飯粒がついていたので、「赤ちゃん?!」とか言われて。点滴変えて、ゆっくり寝たら持ち直しました。よい食事と睡眠は、メンタルの安定に不可欠ですね。

いったん部屋に返され、「胎動検査をします、胎動があったらボタンを押してくださいね〜」と、お腹にベルトを巻かれました。

その時点で、これが何なのか全くわかっていなかったんですが、妊娠後期にやるという「NST」というものだと、色々な人のブログを読み漁って理解しました。


部屋の入り口近く中央にあるコンピューターに、検査中の人の波形が全部出るようになっていることが後でわかりました。心音&胎動のグラフの下に出る波形でお腹の張りがわかるということも、何回かやって理解しました。ちょっとグラフが上がってくると、どこからか看護師さんがやってきて「お腹痛くないですか?張っていませんか?」と聞いてくるので。でも、そのときもまだ、뭉치다(ムンチダ:張る)という感覚にイマイチ自信が持てず、「どういう状態がムンチダですか?」とか聞いていました。固くなってピーンと突っ張るよ、と言われて、「それはありません」とずっと言っていたのですが、何日か後に職場に出すための診断書を取ったら、「早期陣痛」とも書いてありました。波形的にはそうだったのかもしれません。


何はともあれ、NSTが終わり、これで一段落かと思ってうとうとしていたら、午前0時頃また起こされました。病院到着2時間後の検査があるということ。もう一度内診をして、羊膜の出方が大きくなっていないかを確認しました。2.5センチくらいで、少し退縮していました。


それを見た先生からは、「状態が悪化してるということはないようだから、しばらく頑張ってみましょう。24週になったら、ご両親の同意がなくても、赤ちゃんが生まれたら蘇生します。23週の間は、お父さんとお母さんの意見を重視します。明日で23週なので、そのあたりも考えておいてください」と言われました。あとでものすごく悩むのですが、そのときは目まぐるしく変わる状況に疲れ果てていて、わりとすぐ寝てしまいました。


夫には狭い付添ベッドで寝てもらい、母は、とりあえず近くのホテルに宿泊です。


28週までがんばって、こまちゃん!

 コロナが韓国にも上陸しはじめていたこの頃、大学病院の入り口は夜間なのもあり一箇所に統制され、混雑していました。


救急受付で車椅子を借り、一度では覚えられない迷路のような通路を通って(入院中の人しか乗れないエレベーターがあって遠回りしたり……)、人に聞きながら、なんとか産科病棟に付きました。


夫と母は、病棟の中まで入れず、エレベーターロビーで待機です。この時点で荷物も持ち込めていませんでした。一通り検査の終わる23時まで、夫と母はそこで待たされたのですが、付添いは夫のみと言われたので、母はその日、とってあったホテルに行きました。


まずは絶食を言い渡され、いろいろな検査をされたのですが、一度にいろいろと言われて頭がついていきません。尿検査があると聞きのがしてトイレに行ってしまったり…


今のところ、羊膜は3センチほど外に出ているようでした。


夜中にも関わらず迅速な検査の嵐で、さすが大学病院……!と思う反面、圧倒されて弱気になってしまいました。


検査のあと部屋に戻っていると、点滴を入れられたのですが、失敗の連続で、3人にかわるがわる6か所も刺されては抜かれ、血圧上がりまくりました。最後に頼みの綱的な感じで呼ばれてきた看護師さんは、鋭い目つきですっと決めてくれ、看護師の皆さんから一目置かれているんだろうなと思いました。私は昔から血管が見えにくいと言われていましたが、点滴するには不便なところに浮かび上がってるそうで……。2週間弱の入院でしたが、どこに針を刺すのか、ずっと苦労の連続でした。長期入院とかになったら、どこに刺すんだろう……と心配になりました。


落ち着いて部屋の様子を伺うと、7人部屋で、かなり離れたところに2人いました。点滴器具に貼られたシールから、ここが「高危険妊婦室」、要はMFICU、母体・胎児集中治療室という所だとわかりました。


心情的には、のんびりとした入院生活から急にものものしい雰囲気の所に移り、寂しいやら心細いやらで泣きそうな気分でした。

ただ、以前ハイリスクな人の入院漫画か何かを目にしたことがあり、「夜な夜なすすり泣きが聞こえてメンタルにダメージがくる」というような事が書いてあったので、堪えました。不安を増幅させても仕方がない。

手術から一週間、夕方の外来診療が終わったら、内診をしますと言われました。 
これでOKが出て帰れるのかなと、私はまだ希望を持っていました。性別わかりましたか?とか聞いて。「動画データがほしい人は受付で言って下さい、1万ウォンです」という貼り紙を見て「次はもらわなきゃ」と思ったり。


ぜんぜん、それどころではありませんでした。先生は、終始渋い顔をしたまま。説明によると、手術のときに羊膜を押し戻すために水風船のようなものを使ったのだそうです。細い棒状の器具の先に水風船がついていて、それでそっと羊膜を中に押し込んで、水を抜く。そのまま子宮口を縫って、最後に棒を抜く、という手順のようなよですが、その、棒を抜いて最後に残ったごく小さな穴から、また羊膜がでてきているということでした。

正式に、子宮頚管無力症だと診断されました。

先生によると、再手術は現実的ではなく、このまま放っておくと、おそらく細菌感染する。そうすれば、長く見積もっても3,4週間しかもたない。ということでした。

「23週で赤ちゃんが出てきてしまえば、生存率は50%です。後遺症は重かれ軽かれ、必ず出ます。あきらめますか?それとも、新生児医療設備の整った大学病院に行きますか?ご主人は今どこですか?話せますか?」

あいにく夫は、その日夜勤で出勤したばかり。一度勤務が始まると携帯を見られない&取れないことも多いのでダメ元でかけてみましたが、どうにか先生と話してもらうことができました。結果、夫は病院にとんぼ返り。彼は、電話をした時点で私より泣いていて、どうしたらいいのかオロオロしました。

こまさん、いまのところ元気なので、諦める選択肢はあまり実感がわきませんでした。
身体機能の発達とは関係がないのですが、この日の計測によると、体重は600gとだいぶ大きくなっていました。とにかく食べろと言われたのが効いたのか、25週の子たちの平均体重です。

それでも、障害児を受け入れる雰囲気が日本以上に希薄な韓国で、外国人の私が頑張って育てられるのか、ということが心配にもなりました。義姉の知り合いに、21週で双子を生んだお母さんがいるそうですが、ひとりは足に障害が残っているそうです。21週で助かったということに希望は持てましたが、育てられる自信はあまりないし、お金もないし、仕事は辞めなきゃいけないかもしれないし、でも辞めたらきっと生活がたち行かないし……とぐるぐると悩みました(ごめんね、こまちゃん)。

そうこうしているうちに夫が来て、もう一度先生の話を聞きました。先程と少し先生のトーンが変わり、「諦めますか?」とは言われませんでした。実は、最初の手術のときから、私のような患者がいるということを大学病院に知らせて、「もしものとき」のことをお願いしてくれていたそうです。有り難いことです。

なぜか夫は人づてに聞いた大学病院に行きたがっていたけれど、こういうときは先生の伝手で行くものでしょう、となだめました。先生推薦の病院も、地域の周産期医療センターです。

夫の車でゆっくり運転して行くことになりました。そのまま、いったん夫と母は家に戻り荷物の整理。私も座ったままできる範囲で荷物をまとめました。

いよいよ出発……というとき、なぜか私の靴がなくて焦りました。入院フロアは旅館のように土足禁止になっているのですが、靴箱に無いのです。一週間前、手術のドタバタで脱いだあと、どこにやったかまったく記憶がなく、看護師さんたちも思い当たらず、結局病院のサンダルを借りました。

手術の時に、あれほど「一歩も歩かないで」と言われたのに、この時はなぜか車いすを貸してもらえず、立って&歩いて車まで行きました。貸してほしいと言えばよかったです。

車には、夫が気を利かせて、後部座席にクッションと枕と毛布をセットしていてくれたのですが、発進したら普通に転げました(笑)こりゃだめだということで、助手席に移動し、最大限倒して天井をみながら移動しました。道路のボコボコを通るたびに「もっとゆっくり!!」と言いながら。20時過ぎに出発し、21時過ぎに近隣市の大学病院に到着しました。
 

 2月5日


 相変わらず暑い病棟。この日の体感気温の表示は-6度なのに、窓を開けずにはいられません。


 朝、看護師さんが来て「お母さんの分もご飯持って来ましょうか?」と声をかけてくれました。お母さんというのは、私ではなく、ヘルプで来ていた私の母親のことです。なんと太っ腹な!まさかそんなことを言われるとは思ってなかったので、前日に買ってきていました。


 韓国って、たまにびっくりするくらい柔軟で、それが長所だと思ってます。私は大雑把人間なのでそのくらいが生きやすく、日本に長期帰国したら軽く不適応起こすかもしれません。特に育児環境は厳しそう……


 昼の12時を過ぎたら、ようやく隣の建物との隙間に見える細い空から日が差しました。

 

病院周辺に慣れてきた母は、私のお昼が終わると、一人で近くの市場なんかを見学して自分の食事を調達してくる、ということをしていました。

2月4日

お隣のロシアン母さんは、午後退院していきました。

スタッフさんが気を利かせてすぐに、布団を片付けてくれ、

晴れて母が隣りのベッドに。4人部屋独り占めです。

 

この病院、個室・2人部屋・4人部屋があるんですが、

本当に、最初から4人部屋でよかった。

妹に「もったいねー」と言われてしまいました。

はい、そのとおり・・・。

個室でも1泊5000円程度なので、日本(平均7,837円らしい)よりは、だいぶ安いです。

2人部屋は、確か2000円程度でした。

 

夫、はこの日、ようやく近隣市にある実家に帰りました。

急遽仕事を休んだ日数に、妹から「余裕~!」と送られてきていました。

文句も多少言いましたけど、やっぱりいてくれてよかったです。

 

こまさん、前日は横向きの体勢だったので

「いいぞいいぞ、そのまま頭を下にするのだ」と念じていたのですが、

また頭を上にしてしまいました。

静かにしていてくれればいいんですが、

手術で縫ったところを蹴り蹴りし、母をハラハラさせ、

30分くらいで、突然また横向きに方向転換しました。

そのままでいて・・・・・・!ほんとに。