韓国の新生児死亡率→1.6%
前置胎盤発症率→0.33%
(↑このへんは、肥満&高齢で確率が高まっているとは思う)
子宮頚管無力症発症率→0.05~1%
30代後半女性の甲状腺がん罹患率→0.014%
同じマンションの同棟同ラインから市内初のコロナ患者が出る率(いろいろ自粛にする羽目になった)→推定0.00035%
いったん部屋に返され、「胎動検査をします、胎動があったらボタンを押してくださいね〜」と、お腹にベルトを巻かれました。
その時点で、これが何なのか全くわかっていなかったんですが、妊娠後期にやるという「NST」というものだと、色々な人のブログを読み漁って理解しました。
部屋の入り口近く中央にあるコンピューターに、検査中の人の波形が全部出るようになっていることが後でわかりました。心音&胎動のグラフの下に出る波形でお腹の張りがわかるということも、何回かやって理解しました。ちょっとグラフが上がってくると、どこからか看護師さんがやってきて「お腹痛くないですか?張っていませんか?」と聞いてくるので。でも、そのときもまだ、뭉치다(ムンチダ:張る)という感覚にイマイチ自信が持てず、「どういう状態がムンチダですか?」とか聞いていました。固くなってピーンと突っ張るよ、と言われて、「それはありません」とずっと言っていたのですが、何日か後に職場に出すための診断書を取ったら、「早期陣痛」とも書いてありました。波形的にはそうだったのかもしれません。
何はともあれ、NSTが終わり、これで一段落かと思ってうとうとしていたら、午前0時頃また起こされました。病院到着2時間後の検査があるということ。もう一度内診をして、羊膜の出方が大きくなっていないかを確認しました。2.5センチくらいで、少し退縮していました。
それを見た先生からは、「状態が悪化してるということはないようだから、しばらく頑張ってみましょう。24週になったら、ご両親の同意がなくても、赤ちゃんが生まれたら蘇生します。23週の間は、お父さんとお母さんの意見を重視します。明日で23週なので、そのあたりも考えておいてください」と言われました。あとでものすごく悩むのですが、そのときは目まぐるしく変わる状況に疲れ果てていて、わりとすぐ寝てしまいました。
夫には狭い付添ベッドで寝てもらい、母は、とりあえず近くのホテルに宿泊です。
28週までがんばって、こまちゃん!
コロナが韓国にも上陸しはじめていたこの頃、大学病院の入り口は夜間なのもあり一箇所に統制され、混雑していました。
救急受付で車椅子を借り、一度では覚えられない迷路のような通路を通って(入院中の人しか乗れないエレベーターがあって遠回りしたり……)、人に聞きながら、なんとか産科病棟に付きました。
夫と母は、病棟の中まで入れず、エレベーターロビーで待機です。この時点で荷物も持ち込めていませんでした。一通り検査の終わる23時まで、夫と母はそこで待たされたのですが、付添いは夫のみと言われたので、母はその日、とってあったホテルに行きました。
まずは絶食を言い渡され、いろいろな検査をされたのですが、一度にいろいろと言われて頭がついていきません。尿検査があると聞きのがしてトイレに行ってしまったり…
今のところ、羊膜は3センチほど外に出ているようでした。
夜中にも関わらず迅速な検査の嵐で、さすが大学病院……!と思う反面、圧倒されて弱気になってしまいました。
検査のあと部屋に戻っていると、点滴を入れられたのですが、失敗の連続で、3人にかわるがわる6か所も刺されては抜かれ、血圧上がりまくりました。最後に頼みの綱的な感じで呼ばれてきた看護師さんは、鋭い目つきですっと決めてくれ、看護師の皆さんから一目置かれているんだろうなと思いました。私は昔から血管が見えにくいと言われていましたが、点滴するには不便なところに浮かび上がってるそうで……。2週間弱の入院でしたが、どこに針を刺すのか、ずっと苦労の連続でした。長期入院とかになったら、どこに刺すんだろう……と心配になりました。
落ち着いて部屋の様子を伺うと、7人部屋で、かなり離れたところに2人いました。点滴器具に貼られたシールから、ここが「高危険妊婦室」、要はMFICU、母体・胎児集中治療室という所だとわかりました。
心情的には、のんびりとした入院生活から急にものものしい雰囲気の所に移り、寂しいやら心細いやらで泣きそうな気分でした。
ただ、以前ハイリスクな人の入院漫画か何かを目にしたことがあり、「夜な夜なすすり泣きが聞こえてメンタルにダメージがくる」というような事が書いてあったので、堪えました。不安を増幅させても仕方がない。
手術から一週間、夕方の外来診療が終わったら、内診をしますと言われました。
これでOKが出て帰れるのかなと、私はまだ希望を持っていました。性別わかりましたか?とか聞いて。「動画データがほしい人は受付で言って下さい、1万ウォンです」という貼り紙を見て「次はもらわなきゃ」と思ったり。
ぜんぜん、それどころではありませんでした。先生は、終始渋い顔をしたまま。説明によると、手術のときに羊膜を押し戻すために水風船のようなものを使ったのだそうです。細い棒状の器具の先に水風船がついていて、それでそっと羊膜を中に押し込んで、水を抜く。そのまま子宮口を縫って、最後に棒を抜く、という手順のようなよですが、その、棒を抜いて最後に残ったごく小さな穴から、また羊膜がでてきているということでした。
正式に、子宮頚管無力症だと診断されました。
先生によると、再手術は現実的ではなく、このまま放っておくと、おそらく細菌感染する。そうすれば、長く見積もっても3,4週間しかもたない。ということでした。
「23週で赤ちゃんが出てきてしまえば、生存率は50%です。後遺症は重かれ軽かれ、必ず出ます。あきらめますか?それとも、新生児医療設備の整った大学病院に行きますか?ご主人は今どこですか?話せますか?」
あいにく夫は、その日夜勤で出勤したばかり。一度勤務が始まると携帯を見られない&取れないことも多いのでダメ元でかけてみましたが、どうにか先生と話してもらうことができました。結果、夫は病院にとんぼ返り。彼は、電話をした時点で私より泣いていて、どうしたらいいのかオロオロしました。
こまさん、いまのところ元気なので、諦める選択肢はあまり実感がわきませんでした。
身体機能の発達とは関係がないのですが、この日の計測によると、体重は600gとだいぶ大きくなっていました。とにかく食べろと言われたのが効いたのか、25週の子たちの平均体重です。
それでも、障害児を受け入れる雰囲気が日本以上に希薄な韓国で、外国人の私が頑張って育てられるのか、ということが心配にもなりました。義姉の知り合いに、21週で双子を生んだお母さんがいるそうですが、ひとりは足に障害が残っているそうです。21週で助かったということに希望は持てましたが、育てられる自信はあまりないし、お金もないし、仕事は辞めなきゃいけないかもしれないし、でも辞めたらきっと生活がたち行かないし……とぐるぐると悩みました(ごめんね、こまちゃん)。
そうこうしているうちに夫が来て、もう一度先生の話を聞きました。先程と少し先生のトーンが変わり、「諦めますか?」とは言われませんでした。実は、最初の手術のときから、私のような患者がいるということを大学病院に知らせて、「もしものとき」のことをお願いしてくれていたそうです。有り難いことです。
なぜか夫は人づてに聞いた大学病院に行きたがっていたけれど、こういうときは先生の伝手で行くものでしょう、となだめました。先生推薦の病院も、地域の周産期医療センターです。
夫の車でゆっくり運転して行くことになりました。そのまま、いったん夫と母は家に戻り荷物の整理。私も座ったままできる範囲で荷物をまとめました。
いよいよ出発……というとき、なぜか私の靴がなくて焦りました。入院フロアは旅館のように土足禁止になっているのですが、靴箱に無いのです。一週間前、手術のドタバタで脱いだあと、どこにやったかまったく記憶がなく、看護師さんたちも思い当たらず、結局病院のサンダルを借りました。
手術の時に、あれほど「一歩も歩かないで」と言われたのに、この時はなぜか車いすを貸してもらえず、立って&歩いて車まで行きました。貸してほしいと言えばよかったです。
車には、夫が気を利かせて、後部座席にクッションと枕と毛布をセットしていてくれたのですが、発進したら普通に転げました(笑)こりゃだめだということで、助手席に移動し、最大限倒して天井をみながら移動しました。道路のボコボコを通るたびに「もっとゆっくり!!」と言いながら。20時過ぎに出発し、21時過ぎに近隣市の大学病院に到着しました。
2月5日
相変わらず暑い病棟。この日の体感気温の表示は-6度なのに、窓を開けずにはいられません。
朝、看護師さんが来て「お母さんの分もご飯持って来ましょうか?」と声をかけてくれました。お母さんというのは、私ではなく、ヘルプで来ていた私の母親のことです。なんと太っ腹な!まさかそんなことを言われるとは思ってなかったので、前日に買ってきていました。
韓国って、たまにびっくりするくらい柔軟で、それが長所だと思ってます。私は大雑把人間なのでそのくらいが生きやすく、日本に長期帰国したら軽く不適応起こすかもしれません。特に育児環境は厳しそう……
昼の12時を過ぎたら、ようやく隣の建物との隙間に見える細い空から日が差しました。
病院周辺に慣れてきた母は、私のお昼が終わると、一人で近くの市場なんかを見学して自分の食事を調達してくる、ということをしていました。
2月4日
お隣のロシアン母さんは、午後退院していきました。
スタッフさんが気を利かせてすぐに、布団を片付けてくれ、
晴れて母が隣りのベッドに。4人部屋独り占めです。
この病院、個室・2人部屋・4人部屋があるんですが、
本当に、最初から4人部屋でよかった。
妹に「もったいねー」と言われてしまいました。
はい、そのとおり・・・。
個室でも1泊5000円程度なので、日本(平均7,837円らしい)よりは、だいぶ安いです。
2人部屋は、確か2000円程度でした。
夫、はこの日、ようやく近隣市にある実家に帰りました。
急遽仕事を休んだ日数に、妹から「余裕~!」と送られてきていました。
文句も多少言いましたけど、やっぱりいてくれてよかったです。
こまさん、前日は横向きの体勢だったので
「いいぞいいぞ、そのまま頭を下にするのだ」と念じていたのですが、
また頭を上にしてしまいました。
静かにしていてくれればいいんですが、
手術で縫ったところを蹴り蹴りし、母をハラハラさせ、
30分くらいで、突然また横向きに方向転換しました。
そのままでいて・・・・・・!ほんとに。