ここ最近は
ブログにいろいろ書いては保存
書いては保存の繰り返しで
人様に見せるまでには至らなぃ
思いついたが最後まで書ききれずに
日にちだけ使う感じです。
そのうち視力が極端に弱まり
普段のソフビ制作作業や
漫画、イラスト作業にも少しずつ
影響が出てきて
作業はおろかブログに集中するだけでもなかなかスローペースにならざるを得ない状況です。
それでもいろんな作業に終わりは無く
今ソフビ制作と同じくらい積極的に
進めていることが人生初の同人誌制作で、
普段のソフビ関連の印刷物は
ずっと同じ近くの印刷屋さんにお願いしているのですが、漫画の関連は違う所にお願いしようと探していたら近所に大変便利なコピー屋さんが出来たので昔の原稿をコピー製本にして同人誌を作ってもらいました。
そんなある日
さらに次の原稿と過去の資料を探す最中に
とても懐かしいものを見つけました。
取ってあったこと自体忘れていたそれはこちら

この一見何の変哲も無いノートですが、
中身はこんな感じです。

このノートが何かというと
まずはこの日付の8月というのは
2011年の8月、東北で大きな地震災害があった年。
千葉県にもかなりの影響があって
古いアパートだったうちもかなりの被害がありました。
当時は週に3回毎回4時間の
人工透析を受けていた時期で
身体がほとんど自由に動かせなかった時期。
そんな時期にあの災害で大変なストレスを
感じたのか、数ヶ月後原因不明の症状で倒れ入院することになりました。
原因が何かはわからないのですが
脳内に血管から血液中の水分が大量に漏れ出し、頭蓋内で脳を圧迫するまでになり
いろんな神経までを圧迫して首から下に力が入らず声も出なくなるという事になりました。
あの災害から足がだんだん動かなくなってきて、あるタイミングで検査に行った一駅隣の総合病院で気を失い、3日後目が覚めたら浦安市の大学病院のベッドの上、
しかも気絶している間にあらゆる検査をされて骨髄までイジったらしく背中には激痛が残った状態で聞かされた検査結果が
先に書いた状況です。
大学病院の偉い先生たちは
脳内の出血によるものとは違うにしても
原因不明でパンパンに溜まった水分で脳を圧迫しているのだから脳梗塞の一種として一応の病名を付けて治療を進めることにはなりましたが、なんせ原因不明なのですから治療の方法が見つからずただ毎回寝たきりでベッドごと運ばれて人工透析を続ける日々。
トイレも食事も1人で出来ず退院してもヘルパーさんを常駐させるか施設に入るかという「要介護認定」ランク5をいただきました。
(ここからのリハビリに関してはこのブログで以前書いたと思いますので省略します)
ある日から少しずつ頑張って
自力でリハビリを受けられるようになって来た頃、リハビリ担当の先生が1枚の紙をベッドのテーブルに置き鉛筆で名前を書くリハビリを進めてきました。
人生で1番書き慣れた文字だし
これならベッドでも毎日出来るということです。
最初は鉛筆を持つのもやっとでしたが
毎日2センチの正方形のマスに漢字で「松」の字を書き「村」の字を書きと
自分の名前の文字がこんなに書くのが大変なのか!と毎日書いて、
不甲斐ない自分の身体にだんだん腹を立てながらリハビリ室では声を出す訓練と
1人で車椅子から立って歩いて自分で車椅子に座るという訓練を何時間も頑張りました。
病室で単独でリハビリをするのは危険だからと看護の方々には毎日注意されましたが、不思議に毎日少しずつ出来るようになっていってる感じがして身体を動かすことを止められませんでした。
ある日
先生たちが朝の回診に来た時に
(テレビドラマでしか見たことがない
本物の院長回診というもの)
脳の先生が担当のいつもの名前の練習用紙を見て驚きました。
2センチ角ではなくなって
1センチ角のサイズの文字で書いた名前の横に自画像のイラストが描いてあったからです。
「これは?」と先生が慌てて聞いて来たので
「僕は漫画を描く仕事をしているので文字よりもこっちの方が簡単なんです。」と
声を出して答えました。
その段階で未だ正確な対処法がわからない状況だったのに、僕の急激な回復ぶりに
毎日検査と毎日リハビリの様子をビデオ撮影ということになり大学病院の貴重な症例資料になるということでした。
それからヤル気になった僕の
プラシーボ効果なのか体調はますます良くなり人工透析は続けながらではありますが
ベッドから立って歩いてトイレも行けるようになりましたし、奥方様に買って来てもらったノートに毎日名前と自画像を描くようになったものが先の画像のものです。
毎日名前だけではなく
その日の気分や看護の方になかなか聞いてもらえないことをイラストの横に添えたり出来るまでになっています。

そして
そんな毎日が過ぎて
だんだん家に帰りたい欲が日に日に強くなりリハビリをさらに頑張って退院アピールを始めて「要介護認定5」を叩き返し、
リハビリ室いっぱいに聞こえる声で退院アピールをして杖は必要ですが自力でいろいろ出来るアピールも欠かさず励みました。
その結果

7月下旬に倒れてから
首から下が動かせなくり
要介護認定を受け再起不能扱いされ
治療法が無いと言われ状態から
まさかの短期間で退院の目処が付きました。
もちろん自宅で引き続きリハビリは
必須ですし、しばらく通院と検査にも通わないといけませんし、
まだまだ不自由な箇所が何ヶ所もありましたが家に帰れる喜びの方がはるかに
嬉しかったので退院までの数日も
あっという間に過ぎました。
通院していた透析センターもまさかこんなに早く復帰すると思ってなくてみんなビックリしていたのを今でも思い出します。
というあの頃の数ヶ月を
鮮明に思い出させる記録の1つが
今になって急に現れたことに何か
意味があるんじゃないかと
今考えているところです。
ちなみに
結果的に最後まで原因不明の症例は
その後その先生がとある学会にリハビリのビデオと共に発表したとのことですが
その際に
「プライバシーが気になるなら顔には
モザイクを入れますよ!」と言われた時に
「顔はいいのでハゲた頭にモザイク入れてください。」という返しで先生を笑かした
ことが入院中の1番「ドヤ感」を感じた思い出です。