「漫画職人松村努の魂のブログ❗」
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「松村魂」としてのふざけ方。


今のところ「松村魂」という屋号で発表するオリジナルキャラクターは全て僕が考えたキャラクターです。

しかし「松村魂」は僕個人のものではなく
いっしょに始めた弟やうちの奥方様やいわゆる「松村」としての身内、あと身近でサポートしてくれている友人や応援してくれている人の中にいる「松村」姓の人たち全てを「松村魂」と思って活動しています。

僕はいわゆる
キャラクターデザイン、作画、原型制作等を
担当させてもらっているに過ぎません。
なのでこのソフビ制作販売を始めるにあたり
今までの漫画制作で培った作画技術を基に
新たにソフビ用キャラクターの為のタッチを
造り出すことにしました。

意識したのは日本のお客さんだけではなくて
外国の人にも反応してもらえるキャラクターで
だからといってあまりそちら側に寄りすぎないもの。
むちゃくちゃ難しいこの難題に取り組むべく最初に
試したのが自分が長年かけて独自に身に付けた
「少年漫画タッチ」を崩して削って必要最小限の情報を残して簡素化する作業です。

アイデアをなるべく純粋な形のままで表現するために瞬発力を活かして極力必要最小限の情報だけで描き上げる。
ここで勘違いをする人がけっこういます。
画力が多少ある人にありがちな勘違い。
瞬発力で画を描くということを子供がなんの
予備知識や無意識のインスパイアも持たずに一気に描き上げるものこそ純粋な画であるという勘違い。
だから子供のように思いついたままの勢いで一気に描き上げた純粋な画を描きたいという勘違い。

大人もあえてイメージのひらめきを純粋な形で瞬発力だけで一気に描き上げたものが素晴らしい作品だとは必ずしも言えないということ。
大人の職業絵描きがひらめきの瞬発力だけで一気に描き上げるものはまた全然違うものだということ。

子供のそれは
本当に邪念が無いということだけではなく描き上げる際に他に気持ちが反れるほどの情報量も情報収集力もないしいちいち手を止める原因になるそもそもの技量が無いというだけのことで
プロの職業絵描きの瞬発力には瞬発力だけで表現しても
キチンと誰かしらに向けての商品となるべき表現力や画力が必要不可欠だということ。

プロが力を抜いた画を描くということは瞬発力という「力」さえも感じさせないほどの(例えばものすごく長年の修行の結果に武道の達人の域に達した人がその実力をベースにあらゆる余計なものを省いて残った純粋でシンプルな闘い方に至るという感じでしょうか。)一見して落書きにも見えてしまう画にいかに多くの情報を詰め込めるかがプロとしての作品を描くことであるべきだと思っています。

なので一見して落書きに見える誰にでも模写できそうで
実はなかなかマネ出来ない画を追求していくかという作業が今回ソフビ制作の為に新たにチャレンジしていることなんです。

初イベントでの販売スタートから4年経ってようやく
そのタッチの使い分けもキチンとした形で固まってきて
見てくださる方々にも認知されて来ていると感じるようになったことがありがたいと思っています。

旧Twitter等で宣伝の為に何かしらの作画を必要とした場合やイラストや漫画の依頼でのどちらのタッチが必要なのかを伺ってタッチを変えたりする場合を除けば「松村魂」用のタッチを用いた画を使用します。

例えば
お題が「白ネコ」ならば

これが「少年漫画描き松村努タッチ」☝️で、

☝️これが「松村魂世界観タッチ」ということです。

同じ白ネコでも何が違うかというと
「伝えたい情報」の内容が違うということです。
先に出した画の「ネコ」は小さい白猫でこちらを向いていますがあまり警戒している感じはなくて…などの見た感じで伝わることがありますが、
後で出した「ネコ」の方は同じ白色ですが
まず2足立ちで片手で尻尾をクルクル回していかにも何かしら挑発しているようにも見える異形の生物。もはやネコというものでもない謎の生き物とも言えます。
どちらも簡単に描いたいわゆるカットイラストですが
使用目的でこんなに違って表現します。

「漫画」ではその作品のジャンルや内容にもよりますけど僕のような小学生あたりを対象にした学園もののコメディ作品を描く上ではある程度「ネコ」はキチンと「ネコ」として正しく描写しないといけません。
技術的な上手い下手はあったにしても誰が見ても「ネコ」と認識される「ネコ」を描けないと作品そのものの説得力がなくなってしまうからです。

「松村魂世界観タッチ」はそれとはまるで違っていて
乱暴な言い方をすれば「ネコ」がいわゆる現実世界の「ネコ」である必要はなくて、なんとなく「ネコ」の要素が入った全く別のものでも「ネコ」と名付ければ「松村魂世界観タッチ」の「ネコ」ということになります。
だけどそれを言い張る為には他の人とは絶対に被らない「松村魂的世界観」をキチンと創作しなければいけません。

ちなみに「松村魂的世界観」とは
ソフビ制作を始める時に創った「怪獣ソフビカテゴリー」でのキャラクター設定のことで、いわゆる『松村魂怪獣ワールド』のことです。「誰か1人でも笑ってもらえるなら一生懸命ふざけて遊ぶ」というソフビを使った遊びを提唱する空間のことです。
その為に気楽に動かせるキャラクター画、
生きて動いて何か話しかけて来るような
声や音が聞こえて来るような画、
一見落書きに見える瞬発力を必要とする画、
その為に技術を落としたように見える技術で描いた画、
それを「松村魂世界観のキャラクター」を
描く「タッチ」ということにしています。

大の大人が大人の経験値を抱えたまんまでいかに
悪童 だった頃の“人の意表を付いてふざけていたか”を
大人の技術で一生懸命やるか?というコンセプト。
大人にしかわからないようなネタ、身内にしかわからないネタ、1部の人にしかわからない説明が必要になるネタ、下品なネタはそもそも「漫画」の仕事からしてやらなかったことなので全く必要としませんし、
キャラクターの名前、設定、カラー、大きさまで
いかにアザとさとして受け取られることなく大人がふざけていてもキチンと笑いに昇華出来るか、
それが「松村魂」の世界観。
投げかけっぱなしじゃなくキチンと最後まで責任を持ってふざける世界観。

誰とも被らないその世界観を最初にしっかり決めたなら
その中の新しい住人が1人増えるということでもう半分キャラクターは出来たも同然でそこに☝️の場合「白ネコ」という要素を少し足せばいいだけで後はキャラクターが勝手にリアクションしてくれるようになります。
それは子供の人形遊びの時にはきっと子供の創造世界ではキャラクターは声を発して喋りかけているんじゃないかと思う感じと同じです。

実は漫画制作の際に身に付けた考え方ですが
松村魂のキャラクターデザインはそうやって造ります。
そこから立体にしていく為の修正やソフビにする為の型抜きに問題にならない為のアレンジまで(こういう段階には長年のプロの技術が必要不可欠ですが)施しても
最初のイメージをほとんど崩すことがないものを
いかにたくさん産み出していくか。

それが「漫画制作」においても「ソフビキャラクター制作」においても大切なことであり1番楽しいところでもあると思っています。しかもソフビ制作では漫画制作以上にそういうチャレンジが楽しめる場だと思っています。



日本人とキャラクターという存在。


日本にたくさんのキャラクターがいて

他の外国に比べても圧倒的に数が多く

外国の人たちにも人気なのは何故なのか。


何故日本人がそれほどまでにキャラクターを産み出すことに長けているのか?


以前にも僕の「怪獣」という存在の考え方について書いた

八百万の神、妖精

妖怪

怪獣

という解釈は

そもそもの日本人のDNAレベルでの

キャラクターという存在との距離感の近さに関係していることだと思っています。



八百万の神々とは仏教が日本に伝来して来る以前の

日本にたくさんあった信仰でそこかしこに神さまや

精霊みたいなものが当たり前にいて普通の生活で人間と共存していたものだという考え。


木や石や山や川や花にも命があって

何かにつけて話しかけていた頃にはそれらの存在と

いろんな形でコミュニケーション出来ていたとする

いわゆる「日本昔ばなし」な世界観。


仏教が日本の信仰宗教として

取って変わってからは人間とそれら精霊、八百万の神々との関係も変わりそれらはどんどん人間に存在をアピールする為だったり環境の変化に対応できずに凶暴化して

妖怪になり怪獣に発展するという僕の考えは

日本に独特の「怪獣」という概念が育つ基礎になっているものだと思っています。


同じように

日本人には太古の昔から

精霊や神々との距離感の近さに慣れ親しんでいて

それを何か形のあるものに投影して安心感を得るということは当たり前なことだったのだと思います。

それは言い換えれば自分で自分のお気に入りキャラクターを創り出していることということではないでしょうか。


なのでそういう誰しもが簡単にキャラクターというものを創造出来て簡単にそれらを受け入れることが出来るということになっていったのではないかと思います。


なので難しく考えなくても

必ずしも何かにインスパイアされなくても

勝手に何かの影響を受けていない人でも簡単にオリジナルなキャラクターをゼロから創造出来てその存在感をしっかりアピール出来るのだと思います。


ものすごく雑に言うと、

ある女の子が授業中に自分の消しゴムに目と口を描いて

「消しゴムちゃん」と言ってしまえばもう新しいキャラクターの誕生です。

その子が何に影響されて育ったとか

何かにインスパイアされたとかいうことでは

なくて「この子が消しゴムちゃんです😆」と言えば

もうその子の中では「消しゴムちゃん」は命を持って喋ったり何かしらのリアクションをするキャラクターになります。


そのくらいのことなんです。


ウンウン大人が頭をひねって考えて

思いつく人気の出そうな要素を混ぜ込んだ挙げ句に

結局どこかで見たようなものになったそれをを自慢気に「あくまでも私のオリジナルキャラクターです!」ってやるようなものでもないと思ってます。

もっとシンプルで誰とも被らないものは

ともすれば異質なものに捕らわれるかもしれませんが

そこから残っていったものはまさしく市民権を得た

完全オリジナルキャラクターになります。


多数のビジネスとしてのキャラクターという存在や外国でのようなビジネスコンテンツとしてのキャラクターという著作物は商売の手段としては1つの考えとしてアリなのでしょう。

だからといって商売目的のキャラクターが邪念に満ちているということでもなくて、

子供が突然描いた落書きのような勢いで誕生したキャラクターは子供が突然描いたから純粋だと言っているのでもなく、どちらも同じ人間が創造したキャラクターであることは変わりないのですが、

考えた人の中でのキャラクターとの距離感や考えた人の中での存在感というか誰かに共感してもらいたい願望込みで考えたキャラクターと単純に自分の為だけに描いたキャラクターとの描いた人の中での温度の違いということが日本人のキャラクターに対する許容の深さに関係していると思います。


日本人の産み出すキャラクターは

そういう身近な存在、命を吹き込まれたいろんな形のものであるから誰にでも産み出せるし愛着も持てるし

常に側に置いておきたくなる存在なんだと思います。

スターではなくて友達と近い存在、距離感がキャラクターが長く愛されるものになるということ。



以前にも書いた

「漫画やおもちゃは子供のおやつ」という考えで

キャラクターを創造している僕からすると

キャラクターは常にどういう形になったとしても

誰かの側に寄り添うもので寄り添うことで持ち主に安心感を与えるものであって欲しいと思ってます。


現に世の中の人々をたまに右往左往させるキャラクターの誕生ってそういうものが多いと思います。


日本人にはそういうものがずっと昔から

代々備わっているのだと思います。

その能力をうまく扱える人が生きたオリジナルキャラクターを創造できるのだと思います。

そもそもの要素は純然たる日本人ならDNA的に備わっているということで受け入れることも容易く

多くの共感を得られるのだと思います。


最近になってようやく

そういうことをキチンと理解してくれる外国の人が

増え始めて日本の漫画やキャラクターがどんどん進出しているのだと思います。


日本人はどんなものにも命を吹き込んで

キャラクターを産み出す稀有な種族だということなんです。だから日本には他の国よりも圧倒的にキャラクターに溢れているんです。


という漫画描き特有の乱暴な結論でした。









たぶん僕だけの変な拘り。


漫画描きでのお仕事の際は
人体のデッサンというか自然なポーズというか
顔と身体のバランスというか
とにかく大変だったんです。
特にスポーツを題材にした作品なんかは
その題材になるスポーツによって
登場人物の体型も筋肉のバランスなんかも
違ってきます。

それ専門の勉強をしていたわけではなかったので
実戦で身に付けることが大変でした。

そして
ソフビをオリジナルデザインで制作することに
なってからはまた違う考え方が芽生えてしまって
今はそのことでなかなか頭の切り替えが大変な状況です。

というのも
まずオリジナルデザインソフビに挑戦することになって
最初に選んだ題材が『怪獣』だったのですが
最初はまさか自分で原型まで造ることになるとは
全く考えてなかったのでとんでもなく自由な
デザインの怪獣ばかり数十点用意しました。

僕が以前から思っていたことなんですが
たとえばウルトラ怪獣に『レッドキング』という
キャラクターがいるんですが
体型のほとんどがいわゆる「怪獣」としての
見事なデザインになっていて頭の小ささも体型としてのバランスが素晴らしいと思っていたのですが、
平成になってゲームとしてのキャラクターの変化なのか、ソフビにもなったそのアレンジキャラクターは腕の部分が巨大に変化して「拳」が巨大な溶岩みたいなものになっていました。

それを見た時に
今まで感じてなかった違和感が強烈に
沸き上がり、それからずっとその違和感が拭えない状態が続いています。
その巨大な「拳」がいわゆる人間の「グー」なんです。

「ここまで立派に怪獣を表現していたのに手が人間と同じ」ということに、もうその怪獣を怪獣として見ることが出来なくなってしまいました。

人が着て演じる「着ぐるみ」ということでの制約とか
言ってしまえば身も蓋もなく、
今時の技術ならば簡単にクリアできそうな
小さな問題点なんですけども一旦気になりだしたら
いろいろ気になり始めるのが僕の悪いクセ。

ウルトラ怪獣などのデザインを始めとして
現在たくさんある「ソフビやキャラクター商品になることが多いキャラクター」などは怪獣、宇宙人、ロボットいろいろあっても基本的には「地球人体型」に基づく体型がベースになってデザインされているものばかりです。

たとえば
今時のコンプライアンスの問題で
この体型をベースにしないといけないとか
いろいろうるさいことへの配慮が無いと
テレビ番組では使えないとかあるのでしょうか?

たとえば必ず両腕は肩のところから付いてないと
いけないのでしょうか?
なぜ別の天体から来た生物が地球人と同じ体型なのでしょうか?
怪獣には指の数が人間と違うものもありますけど
そもそも指が必ず付いてないとダメなのでしょうか?

いろいろ言い出したらキリがない。

以前にもどこかの記事で書いた
「怪獣だから尻尾がないとさあ…」と
とあるソフビ販売店の店主さんに言われた
妙な意見を聞いた時の違和感のように
そもそもこの世に存在しない生物をデザインするのに
なんでそんな奇妙な既成概念で測られなければいけないのでしょうか?

前回にも書きましたが
ゼロから考えてデザインするキャラクターは
基本的に何者とも被らないものでないと全くのオリジナルとは言い難いと思っているので
人間体型がベースであることも
何かのモチーフをそのまんまトレースしたものであることも無くて良いと思います。

もちろんソフビにするということでの作業工程での配慮や、販売して一般のお客様に購入していただくということでの受け入れてもらいやすいデザインでないといけないという大前提はあるにせよ、自分が創りたいオリジナルの世界観を表現するキャラクターはなるべくそういう既成概念から少しでも外れたものにしたいという
誰でも思うけども実践していくにはなかなか大変な
拘りをこれからもテーマにして「松村魂」のオリジナルキャラクターを産み出すことに感性を磨いている今日この頃です。



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