12月05日 金沢八景の今昔探訪(1)六国峠と称名晩鐘の巻き(4/4回) | Cycling Wonder

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プレスポで行く神奈川の道

金沢区名所めぐり第1回の4/4。やっと最終報告です。
今回は、柴シーサイドファームから長浜ホール、福浦で東京湾を見て帰って来た様子をレポートします。
いつも長くてすみません。m(_ _)m


■見所
★横浜つながりの森-円海山⇒(1/4回)
★金沢自然公園      ⇒(1/4回)
★六国峠ハイキングコース ⇒(2/4回)
★称名寺(しょうみょうじ)⇒(3/4回)
★称名寺市民の森     ⇒(3/4回)
★柴シーサイドファーム

在日米軍の貯油所だった土地で、横浜市に返還された土地を市民農園として開放している。
農園立地が良く、市の南東部に位置し東京湾に面した眺望の良い丘陵地である。
園内通路の高いところから東京湾の眺望が良い。
ただし、農園に入る入口が分かりにくい。
★長浜野口記念公園
野口英世ゆかりの長浜検疫所と細菌検査室が復元保存され、公開されている。(平成9年に開園)
長浜ホールは、長浜検疫所の事務所棟を外観復元したもので、音楽ホールとして活用されており、市民の憩いの場になっている。

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■マップ
(1)全体

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(2)長浜周辺

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■実走報告
称名寺から続く。
(⌒_⌒)v いぇ~い!


(20)柴シーサイドファーム
長浜野口記念館を目指すに当って通り道なので、ちょいと寄り道してみました。
元の元は日本海軍の基地だった所を戦後米軍が接収して、貯油施設(燃料タンク)に使っていた場所です。
横浜市に返還され農業専用地区に指定、市民農園として利用されている。
約80haの広さがあり丘陵地が丸々農業専用になっている。


柴シーサイドファームの入り口は金沢緑地側と柴町側の2ヶ所ある。
金沢緑地側は簡単で分かりやすいのに対し、柴町側が分かりにくい。
称名寺からだと分かりにくい方が手前になる。
柴町方面に道なりに進み、短いトンネルを抜けて2つ目の長いトンネルには行かないで、次の十字路を左に入る。
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↑短い柴隊道

 

道は狭くて○輪っかの急坂になる。カーブで先が見えないが、進むほど勾配は激坂になるのでギヤは軽くしておく。
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↑この後見えているライトバンは左に上がれませんでした。諦めて右に進んだ。

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14:45、農園の丘に到着。


◆にゃんこ
丘の上は見晴らしが良い以外に特徴はないです。
土いじりに興味がないとあまりここは意味がないところです。
唯一、野良猫がいるくらいです。(見るだけにしてエサはやりません)

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(21)福浦の紅葉
15:00、福浦との境界に近い金沢緑地側の出入り口から市道に出る。
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↑こちらの入口は分かりやすい

 

◆団地の公園

北方向に走っていると、途中団地の公園で見事に紅葉したモミジを発見。
夢中で写真を撮りまくる。
そしてNikonの電池がなくなった。
帰って確認したら400枚以上撮っていた、ここまで撮れたら十分だ。
これからは携帯カメラに切り替える。

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(22)長浜野口記念館
道の分岐を左に曲がり続けると、左手に白と緑に色分けされた建物が目に入る。
15:13、長浜ホールに到着。
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野口英世にゆかりのある所で、朽ち果てて取り壊される危機を、優しい方々の尽力で乗り越え。
その後、整備され音楽ホール(長浜ホール)を併設した記念館として公開されているという。
野口英世は、私の生まれ故郷福島県の偉人であり、猪苗代にある野口の生家にも行ったことがあります。まさか、横浜にゆかりの場所があったとは知りませんでした。
しかも、現存する施設では国内で唯一だとは驚き。

 
建物に入ると係りの方(きれいな女性)から、閲覧できる内容などを伝えられる。
放置されると思っていたので意外だった、きっと音楽ホールがあるからですね。

記念に立ち寄ったので、中身はまったく期待していません。
「立ち寄った」ことが重要なのだ。
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と、室内を歩き回っていると、2つのジオラマが目に入った。
1つは野口の生家を模型化したもの。
2つ目は、昔(江戸期)の金沢東部の様子をジオラマ化した物である。

私の好みにドンピシャである。
ガラスケースに張り付くようにして写真を撮りまくる。

 

◆野口清作の生家

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↑模型として良く出来てると感心した

◆昔の金沢

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↑金沢文庫駅東側の明治時代
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↑能見台跡~谷津~金沢文庫駅(海)
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↑称名寺~柴町
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↑柴町~現柴シーサイドファーム
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↑長浜検疫所、幸浦、福浦(海)
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↑富岡町、並木(海)


※野口英世について
彼の生立ちから医学で成功する半生は有名ですがあまり興味はないです。
真面目な話、彼が発表した成果のうちいくつかは、後世に否定されている。

医学的な成果という点では、ちょっと物足りない。
でもそれは、誰も答えを知らない問題に果敢に挑戦したが惜しくも間違いだったということで、嘘をついていたわけではない。

彼が使っていた道具の性能では、見極めるのが難しかったのだ。

(細菌用の道具でウィルスを見つけようとした)
最後の言葉が「私には分からない」
当時ウィルスの存在は知られていなかったので無理もない話なんです。

そんなことより、東洋人が何のつてもなく、本場米国で最先端の連中とやりあったと言う点が凄いと思う。
さらに、野口は金銭感覚がほぼない人で大金を手にすると放蕩三昧ですぐ消失させていた。

米国留学の資金捻出方法は現在ならば結婚詐欺である。
こういう普通じゃない所が偉人らしくて私は好きだなぁ。

女性にももてたらしい。
やっぱり偉人の生き方は破天荒じゃないとね。


野口は大学を卒業していないのに医師免許試験に合格し、米国で認められ成功した。

もし彼が国内の有名大学を卒業していたらアフリカには行かなかったのではないかと思う。

打算的な生き方は出来ない人だったのだ。誠実な人だと思いますよ。


1904(明治37)年、24歳の時に、作家星新一の父星一の計らいで伊藤博文とアメリカ・フィラデルフィアで会談しているそうだ。
お互いが千円紙幣の肖像に採用されるなんて考えていないだろうね。

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↑長浜野口記念館


◆旧細菌検査室

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↑隣に建っている
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↑このレンガはブログに良く出てくるので私も載せる
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↑野口が使った書物(教科書?マニュアル?)さっぱり分かりません
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↑猪苗代の野口の生家はこのようにGSの屋根のようなもので保護されている
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(23)福浦の公園
15:30、予想外のジオラマで大満足の野口記念館を後にして、ちょっと来た道を戻る。
もう帰るだけだが、多少暗くなっても平気なので、最後の一押しで東京湾を見て帰ろうと考えた。
福浦一丁目の長浜水路沿いの道を東京湾方面に走る。
臨海橋の隣にある、特徴的な公園に到着。

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到着した時公園では、どこかのブラスバンドの練習が行われていた。
(滅茶苦茶上手、何かの大会を目指して練習している感じ)

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↑東京湾は見事なんだが、景色が単調で違った絵は撮れません。残念。


(24)幸浦からYBM
15:50、公園を後にして鳥浜方面に向う。
鳥浜町→富岡町でR16に合流するつもり。
途中幸浦で木材団地BS付近の道を港に近付く。
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時間が足りず行けなかったYBM(ヨコハマ・ベイサイド・マリーナ)を撮りたかったのだ。


(25)帰り道
16:20、富岡町でR16に合流し横浜方面に向って走る。

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青砥坂(あおとざか)交差点を左折して環状3号線に入る。
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日野峰入口交差点までひたすら直進するのみ。
日野峰入口で環状線を離脱したら、朝走った道を逆に辿り戸塚を目指す。
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17:15、無事帰宅する。


■本日のデータ
・出発時刻-到着時刻(実時間)=08:30-17:15(08:45)
・乗車時間=03:50:03
・距離=52.40[km]
・AVE=13.6[km/hr]
・Max=44.2[km/hr]
・累積走行距離=4579.0[km]

 

■感想
本日の感想は?
満足( ̄ー ̄)、満足( ̄ー ̄)、満足( ̄ー
満足二つ半です。

 

◆4/4回の感想
野口記念館のジオラマは良かったなぁ。私は好みです。
もはや、金沢八景の景観を復元する事は不可能なので、(公共の分かりやすい施設に)どでかいジオラマを作って欲しい。
箱根桃源台のビジターセンターに大きな箱根山のジオラマがあって、大変分かりやすかった。
あれと同じようなスケール感があったらうれしい。

※未見だが”中央水産研究所”には小さいのがあるらしい。(今回見逃した)


◆全体
私は、生まれながらの浜っこではないので”金沢文庫”や”金沢八景”と呼んでしまう。
地元民は”八景”、”文庫”と呼び”金沢”(かなざわ)はあえて言わないようだ。

金沢区のシンボルとして”八景”と”文庫”が重要なのは理解した。
「金沢文庫」が上手く継承されているのに対して、「金沢八景」は見る影もないのが非常に残念だ。

 

前回、内海入り江が埋立てられずに、残っていたなら観光で違う展開があったと思うと書いたけれど。
内海の埋立ては広重の浮世絵が発表されてから間もなく始まっていて、明治にはほぼ内海は塩田に変わっていたことを知った。
横浜から根岸、金沢の東京湾側は、大きな戦争のたびに埋め立て地域が拡大、景色を楽しむような状況ではなくなった。
事業は国策で進められたので、どうしようもなかったんですね。

 

古くからの住人も新しく出来た金沢への移住者であり、オリジナルの”八景”を見たことはないのだ。
現在は面影もないし、場所も不確かになっている。
そう考えると”八景”を使い続けるのは個人的には間違っているように感じる。
”金沢文庫”→”文庫”、
”金沢八景”→”金沢”(かねさわ)
が良いと思いますよ。ダメですかね。

 

ではでは(^ 。^)ゞ


■過去の報告
・2014年
02月22日 横浜東西南北deep trip(3)-南2コースの巻き(1/2)
http://ameblo.jp/binetu-chunen/entry-11781847546.html
↑舞岡公園⇒円海山⇒能見堂跡⇒金沢文庫駅まで
02月22日 横浜東西南北deep trip(3)-南2コースの巻き(2/2)
http://ameblo.jp/binetu-chunen/entry-11783388873.html
↑野島公園⇒称名寺⇒柴ファーム

 

■参考URL
※1.金沢区の地名と由来 - 横浜市
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/rekishi/otona/landscape/placename.html
↑磯子区からの分家で新設された区で、鎌倉幕府に関連する旧跡から金沢区と命名された。

 

※2.[PDF]歌川広重が描いた「金沢八景」と現在の風景 - 横浜市
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/sonotamap/map/hakkei-naka.pdf
↑非常に良くまとまっている。
 

※3.横浜市 環境創造局 柴シーサイドファーム 概要
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/nousan/fureai/siba01.html

 

※4.【横浜の名建築】長浜野口記念公園 旧細菌検査室[はまれぽ.com]
http://hamarepo.com/story.php?story_id=801?twitter_past

 

※5.細菌検査室 横浜市金沢区 横浜金沢観光協会
http://www.yokohama-kanazawakanko.com/spot/institution/haku/haku002.html



★予告★
12/12に「金沢八景の今昔探訪(2)」を敢行しました。
週末は雨予想で出撃なしと思っていたのだが、予想より早く低気圧が抜けて土曜日は晴れてしまった。
慌てましたが何とか残りの金沢七景を見て回ることが出来ました。
またしてもNikonの電池が途中で絶えました。
380枚ほど撮影した。まだ整理していないが3回くらいを予定しています。
乞うご期待ください。

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