『プロレスって痛くないんですか?』
 
とよく聞かれます
 
痛くないように見えますか?
 
蹴られて殴られて
 
ぶん投げられて
 
頭から落とされて
 
痛くないように見えますか?
 
見たまんま痛いです
 
めちゃめゃ痛いです
 
 
小さな怪我は毎試合ありますが
 
大怪我もします
 
 
最近小島さんが膝の手術をされました
 
 
左膝前十字靭帯の再建手術で、左膝の数ヶ所にメスを入れ、丈夫な腱を前十字の骨の部分に移植するという手術をされたそうです
 
僕が大阪プロレスに在籍中にホテルメトロザ21に車を停め
 
歩いて大阪プロレスの常設会場『大阪ミナミムーブアリーナ』に向かう途中
 
僕の前方を歩く小島さんを発見しました
 
『うわっ!小島さんだ!五年ぐらい前に一度ご案内させて頂いたが覚えてないだろうな…』
 
一瞬このまま見てみないフリをしようかと思いましたが
 
勇気を振り絞り前に出て挨拶すると
 
物凄い笑顔で優しく対応して下さりめちゃめちゃ感激しました
 
勇気を出して挨拶して良かった!
 
小島さんあのときはありがとうございました!
 
小島さんのblogは
 
長期欠場になってしまった焦りや不安を感じさせる部分もありますが
 
必ず元気な小島さんが帰って来ると信じて待ってます
 
そして
 
お見かけした際は勇気を振り絞ってご挨拶させて頂きます!
 
 
 
武藤さんは何度も膝の手術をされていますが今回は人工関節を入れる手術をされるそうです
 
 
これにより武藤さんの代名詞である
 
『ムーンサルトプレス』
 
は封印されます
 
常に膝に爆弾を抱え
 
50歳を越えてもムーンサルトプレスをやっていたことに改めて驚きました
 
去年九州プロレスでタッグを組ませて頂きましたが
 
凄まじい存在感でした
 
 
 
 
 
 
僕は2度手術をしたことがあります。
 
最初は右前腕を骨折
 
次は右膝のお皿、つまり半月板が割れました
 
右前腕の骨折はデビューして10年経った時でして
 
それまで多少の怪我はありましたが、手術するほどの大きな怪我はなかったので
 
整体には1度も行ったことがありませんでした
 
 
何故10年間大きな怪我がなかったかと言うと
 
 
 
運がいいからです
 
ですがデビュー10周年を迎えて初めて大きな怪我をしました
 
怪我をしたのは
 
確か2007年9月30日(土)ぐらいだったと思います
 
違ってたらすみません
 
 
その年の夏にみちのくプロレスさんの
 
『覆面ワールドリーグ戦』
 
に出場し
 
後楽園ホールで開幕した
 
トーナメント1回戦で
 
獣神サンダー・ライガー選手と戦い
 
敗れましたが
 
取材に来ていた記者さんから
 
『後楽園大会のベストバウトだったね』
 
と言っていただき
 
とても充実していた時に
 
生まれて初めて骨折しました
 
場所はミナミに移転したばかりのデルフィンアリーナ
 
その日はタッグマッチでした
 
試合でエプロンに立っているGAINA選手に三角飛びドロップキック(セカンドロープに飛び乗り、横にいるGAINAにドロップキック)をして
 
マットに手を着いた際に
 
物凄い痛みが右腕を襲いました
 
『うわっ!脱臼した!』
 
と脱臼したことないのに勝手に思い込み右腕を見ると
 
右肘は
 
全く問題ない普通の角度に曲がってました
 
『あれ?脱臼じゃない?でも物凄く痛いぞ…』
 
物凄い痛みに耐えながら試合を続け
 
パートナーが敗れ試合終了
 
 
と思いきや
 
翌週の松下IMPホール大会で自分とのシングルマッチが決定している秀吉が乱入し
 
僕に『刀狩り』(変形キャメルクラッチ)を決めました
 
痛む腕でタップアウト(ギブアップの意思表示)をするも
 
乱入なので
 
試合ではなく
 
レフェリーも蹴散らされている状況ではギブアップしても意味がなく
 
痛みと苦しみに耐えるしかありませんでした
 
そのうち誰かが助けに来てくれたのか技が解けたので
 
リングから脱出し二階の観客席に続く階段付近に当日大阪プロレスのスタッフだった白鳥智香子さんが心配して来てくれたので
 
『救急車呼んで』
 
とお願いしました
 
そのまま右腕を抱え二階の観客席の横を通っていく途中に◯◯さん(現グルクンマスクさん)がたまたま見に来てたので
 
『ヤマいきました(怪我しました)』
 
とだけ言って控え室へ戻りました
 
控え室へ戻ってから
 
『救急車まで呼んでもらってもし何ともなかったらどうしよう?』
 
と少し不安になりましたがとにかく右腕が痛いので
 
『ただ事ではないはず』
 
と思っていると裏口に救急車が到着
 
小峠(現プロレスリングノア)が救急車に同乗してくれました
 
向かった先は原田病院
 
そこで最初にレントゲンを撮って頂き
 
見てみると
 
 
 
綺麗にポッキリ骨が折れてました
 
前腕には太い骨と細い骨が一本ずつあるのですが
 
太い方の骨が折れてました
 
『やっぱりそうか…』
 
とショックを受けながらも
 
救急車まで呼んでもらったので
 
『大きな怪我で良かった』
 
と思う変な気持ちもありました
 
全然よくないのですが……。
 
 
夜なので専門医もいないのでこれ以上どうすることも出来ません
 
痛み止めの薬をもらって病院を出ました
 
詳しくは週明けに専門医に見てもらい今後の治療方法を決めるとのこと
 
病院を出て
 
『ここどこか分かる?会場から近いのかな?タクシー乗った方がいい?』
 
と小峠に聞くと
 
『近いです。歩いて5分ぐらいですよ。』
 
とのこと
 
そんなに近いのか!
 
じゃあ歩いて戻ろう
 
デルフィンアリーナに到着しデルフィンさんに報告
 
控え室に戻り選手に報告
 
ずっと激痛で顔をしかめている僕を見たタイガースマスクさん(現全日本プロレス  丸山敦)が
 
『痛みますか?今日は帰りましょう!車で来てますよね?僕が運転しますよ!』
 
と言う神様のような優しい言葉をかけてくれました
 
ありがとうございます
 
タイガースさんも車で来ていたので、タイガースさんの車は奥様の白鳥さんが運転し
 
僕の車をタイガースさんが運転し
 
当時独り暮らしをしていた和泉市のアパートまで乗せていってもらったうえに
 
帰り道にファミレスでご馳走になってしまいました
 
 
 
白鳥さんに救急車を呼んでもらって
 
タイガースさんに家まで送ってもらい
 
ご馳走してもらい
 
しかも後日手術することが決まり
 
入院する時はアパートまで迎えに来てくれて
 
病院まで送ってもらいました
 
この怪我の時だけでなくタイガース夫妻には色々なことで
 
めちゃめちゃ助けてもらいました
 
助けてもらってばかりで何も恩返し出来てないな…
 
ごめんなさい
 
しっかりしろ僕!
 
まだまだ恩返し出来るチャンスはある!
 
僕なら出来る!
 
 
アパートに戻った僕
 
腕はとてつもなく痛いが
 
とにかく寝よう
 
痛くて寝れないけど
 
布団に入ろう
 
『一晩寝たら治ってないかな?』
 
『実は夢だった』
 
とかならないかな?
 
と思いながら布団の中で眠れぬ夜をすごしました
 
 
そして
 
寝たか寝てないのかよく分からないまま
 
朝を迎えました
 
起きると
 
やっぱり腕が痛い
 
『夢じゃなかったんだ……』
 
現実を受け入れ
 
起きて動き出すと
 
右腕が使えない不自由さにビックリしました
 
僕は右利きなので
 
服を脱ぐ、着る
 
シャワーを浴びる
 
歯を磨く
 
ご飯を用意する、食べる
 
トイレで用を足す、ふく
 
全てが今まで以上に時間がかかりました
 
 
後日
 
当時大阪プロレスの選手が多数お世話になっていた泉ヶ丘の病院で診察して頂き
 
『手術したら2ヶ月で復帰の出来ます』
 
と言われ手術することにしました
 
『手術』と言われたショックはありましたが
 
やるしかない
 
先ほど書いたように手術前日の夕方タイガース夫妻にアパートから病院まで送って頂き
 
更に
 
お見舞金まで頂いてしまいました
 
ありがとうございます!
 
本当に申し訳ありません
 
『かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。』
 
と言います
 
このご恩はしっかり石に刻みます。
 
 
 
翌日手術を受けました
 
全身麻酔なので口に呼吸器をあててもらい
 
『全然眠くないやん』
 
と思ってたらいつの間にか
 
 
 
手術が終わってました。
 
 
ここから復帰まで
 
2ヶ月の予定が
 
復帰まで
 
 
 
9ヶ月
 
完治まで
 
 
 
10ヶ月かかりました
 
 
この時は大阪プロレス所属だったので
 
欠場期間も給料の保証はされていました
 
本当にありがたい話です
 
今の自分が同じ状況になったと思うとゾッとします
 
 
なので怪我することは考えないようにします
 
 
でも
 
何があっても
 
大丈夫です
 
 
何故なら
 
 
 
僕はツイているのです!
 
僕は運がいいのです!
 
 
なので大丈夫です!
 
 
 
思ったより長くなったので
 
 
手術から復帰するまでの事はまたの機会に。
 
最後まで読んで頂きありがとうございました!