ジェームス・バートンの孫は可愛かった! | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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ギターの神様のひとり、“ミスター・テレキャスター”こと、ジェームス・バートンが来日した。

エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパンの、エルヴィス没後30年スペシャル企画として、銀座『TACT』で、6月21日から24日まで連日ジャームスのライヴが行なわれた。

僕は21日のウェルカム・パーティーのみで司会を担当するはずだったが、ジェームスのラヴ・コールで、23日以外(この日は茨城でロカビリーのイヴェントに出演した。これもすごく楽しかった!)、すべて司会を担当することとなった。

ウェルカム・パーティーには、ワイルド・ワンズの鳥塚しげきさんや、元タイガースの森本太郎さん、音楽評論家の木崎義二さんや朝妻一郎さん、そして前首相の弟で、熱狂的なエルヴィス・ファンの小泉正也さんご夫妻がいらっしゃっていた。
また同じく、客席にいらした尾藤イサオさんは、ステージに上がって〈ワン・ナイト〉を歌い、小野ヤスシさんも〈アイ・ニード・ユア・ラヴ・トゥナイト〉を歌って下さった。

ジェームスのギターはもちろん申し分なく、今回のライヴ・コンサートでレギュラー・ヴォーカルを務めた黒澤久雄さんがおしゃったとおり、客席の目はヴォーカルではなく、常にギターに釘付けとなったステージだった(余談だが、黒澤さんは実に良い人だ。今回、ご一緒させて頂き、改めて痛感した。久しぶりに会った、男のなかの男といった感じの人だった)。

さて、ジェームスの人気は相変わらずだったが、いっぽうで、一緒に来日した彼の孫のことが、いつも気になっていた。

ほとんど誰とも口をきくこともなく、祖父のジェームスの傍に立っているだけの14歳の男の子だった。
シャイな性格だからそうなんだよ、とのことだったが、僕には、どうして良いのかわからず、ただ戸惑っているだけの感じにしか見えなかった。

そこで、なるべくこの子にもお客さんの視線が行くようにと、僕は事あるたびに、このスカイラーという名の孫を客席に紹介することを心がけた。

聞けば、彼もギターを弾くのだという。それもサウスポーで。

そういった質問をすると、彼の目は輝き、実に誇らしげに答えた。
ギターを弾くことを、偉大なる祖父の影響で誇りとしているのが窺えた。
但し、スカイラーはテレキャスターではなく、ストラトキャスターを弾くのだという。ギター歴は1年。

21日のウェルカム・パーティーでは、僕ともほとんど言葉を交さなかったスカイラーが、僕に打ち解けるようになったのは、22日のステージからだった。

というのも、この日の昼、BMGジャパンよりリリースされたばかりの『JBサン・セッション』を祖父のジェームスと一緒にホテルで聴き、祖父とプレイしたそのヴォーカルが僕だと知って、一気に親近感を抱いたようなのだ。

来日する以前から、オフとなる25日に、ジェームスの孫がディズニーランドに行きたがっているから、ぜひビリーの家族が連れて行ってあげて、と湯川れい子さんから言われていた僕は、スカイラーに本当にディズニーランドに行きたいのか訊ねた。
14歳のアメリカ人がディズニーランドに行きたいとは僕には信じられなかったからだ。
すると、彼はディズニーランド以外、日本のことを何も知らない、だからディズニーランドに行きたいと言ったのだと答えた。
そこで、僕らは彼をお台場に連れていった。
当初、秋葉原も考えたが、この日は天気も悪かった為、屋根があるアミューズメント・パークということで、お台場としたのだった。

彼はそれまでのうっぷんを晴らすかのごとく、僕の娘とあらゆる乗り物に乗り、またゲームも楽しんだ。

みんなでいっぱい笑った。いっぱいジャレ合った。

お好み焼きをおいしい、おいしいと言って食べていた。

彼は僕をパパと呼び、嫁さんをママと呼んだ。そして娘を妹のごとく扱った。

僕らは彼に、“マジ!?”“チョベリグ!”“メチャウマ!”などの日本の若者のスラングを教えた。
それを使うときの彼は本当にうれしそうだった。
彼が英語で喋るたびに、僕は彼の発音を注意し、“スカイラーは日本人か?”とからかったりもした。

そんな彼は26日の早朝にジェームスとルイジアナへと帰っていった。
そのとき、彼は日本人スタッフにこう言ったそうだ。

「もっと、日本にいたい。ビリーのウチの子供になりたい」と。

そんなこと言うなんて、泣かせるぜ。
うれしいよ、スカイラー。
日本のパパとママは、またおまえが日本に来ることを、心待ちにしているよ。

今度はギターを持っておいで!