ブライアン・セッツアーとピザを食った男 | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
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先日、あるロカビリー好きの若者から「ブライアン・セッツアーは好きですか?」と訊かれた。

以前、ストレイ・キャッツの再発アルバムの解説でも書いたと記憶しているが、僕が彼のファンになったのは、割と最近のことである。

僕がロカビリーなるものを始めたのは、1980年(初めて人前で歌ったのは1977年で、そのときはロックン・ロールやカントリーをやっていた)。
その頃の僕は、いわゆるピュア・ロカ道まっしぐらで、同じ頃、出てきたロバート・ゴードンやシェイキン・スティーブンス、シェイキン・ピラミッズには多少の興味を抱いたものの、ストレイ・キャッツには、ほとんど興味を抱かなかったというのが本当のところだ。

ところが、そんな僕にストレイ・キャッツが再結成&再来日を果たした1990年の5月に、彼らと交流を持つ機会が訪れる。

その前年、ファン・ハウスからメジャー・デビューした僕は、このストレイ・キャッツの5月8日に行なわれた川崎でのライヴで、オープニング・アクトを務めることとなった。

この話しを僕に持ち込んでくれた東芝EMIの担当の人から、ストレイ・キャッツが来日した際、一緒に原宿に行かないか?と誘われ、僕は何のてらいもなく、行くことを了承した。

日にちまでは覚えていないが、まず彼らが宿泊している新宿のヒルトン・ホテルまで行ったのを覚えている。

そしてロビーで彼らと初対面を果たした。

とにかく、3人とも顔がいじょうに細いというのが最初の印象だった。

東芝の人から「エルヴィスのバッキング・メンバーたちと、メンフィスのサン・スタジオでレコーディングした日本のロカビリー・シンガーです」と紹介されると、彼らは僕に握手を求めてきて、友好的な雰囲気のなか、僕らは原宿に向かった。
このとき、僕らは彼らの希望で、山手線で原宿に向かうこととなった。

車中、ブライアンと野球の話しをした。
事前に見た、彼らのプロモーション・ヴィデオでブライアンがキャッチボールをしている映像から、そういう話しになったのではないかと思う。
彼は、自分はショートを守っていた、と言った。
それで僕も昔は野球をやっていて、サードを守っていたと告げると、お互い一気に打ち解けた。

原宿の竹下通りを濶歩し、ショッピングを楽しんだ「ストレイ・キャッツ御一行様」は、お腹が空いたということで、表参道の平禄寿司で、回転寿司を食すこととなった。

リー・ロッカーも、スリム・ジム夫妻も、そしてブライアンの妻も寿司を食すことに賛成といったなか、ブライアンだけが、「自分はどうしてもピザが食べたい」と言い張り、それで僕が彼のお供をすることとなった。ピザ代はレコード会社持ち。

注文するため、一緒に列に並ぶ。片言の英語で彼と会話を交す。
話しはもっぱらエルヴィスの話。
片言なのに、何故か盛り上がるふたり。
「エルヴィスはとにかくグレイトだよな!やっぱりキングだよな!」(二人)
「エルヴィスの曲で何が一番好き?」(ビリー)
「ア・フール・サッチ・アズ・アイかな。キミは?」(ブライアン)
「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキーだね」(ビリー)
こんな感じで話しが続く。

彼はビール、僕はコーラ。ふたりでピザもバクバク食う。
と、このあと店をどうやって出たとか、そのときどうやって別れたとかの記憶がまったくない。

ただあるのは、5月8日に彼らの前座をやるということで、リハーサルのとき、〈ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス〉を演ったら、メンバー3人がわざわざ楽屋から出て来て、僕の歌う〈ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス〉にいたく感心した様子で笑顔を向けてくれたことと、とにかく彼らのステージが凄まじかったということだけだ。

そしてそのとき、メンバー3人からもらったサインが入ったエルヴィスのツアー・ジャンパーは今、厚木の『ジーナ』のオーナーが持っている。

ブライアンとふたりっきりでピザを食った事実は、今になって僕を微笑ませてくれる貴重な思い出である。