演劇ライヴ、大盛況にて無事終了!でも……。 | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

ロカビリー一筋40年!
日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
ロカビリーの伝承者、ビリー諸川が送る公式ブログ

“見るとやるとでは大違い”、それを骨の髄から実感させられた演劇ライヴの『ロカビリーに恋をして』が無事終了した。

いやあ~、本当に参った。何が参ったって、全部参った。
この演劇への出演が決まったとき、不安はありながらも、“そこそこ演技なら出来るかも…”とタカを括っていた自分が少なからずいて、“やれる”という自信のほうが遥かに上回る自分がいたのだが、まさしく“見るとやるとでは大違い”だった。

生まれて初めての役者業で、いきなり主役ということは異例だそうだが、そういった状況になると、かえって燃える僕としては、そのことを誇りに稽古に臨んだ。
頂いた台本に記された、これまたとても初演技の者に対しての数とは思えない量のセリフを暗記し、役者さん相手に演じてみせた。
ところが、いざとなると、緊張からか、暗記したはずのセリフがまったく出てこない(因みに僕が生まれて初めて頂いたセリフは“こっちだよ、こっち”だった)。
動きとセリフがまったくチグハグで、それこそ穴が入ったら入りたい状態の僕がいた。
今回の演劇ライヴのプロデューサーでもある共演者の小野ヤスシさんや乱一世さんもその場にいらして、演出家の青木哲也さん同様、僕のぎこちない、素人まる出しの演技に絶句といった感じだった。
もう自分でも情けなくなるくらい、とにかく、すべてができないのだ。
まずぶつかった壁が、セリフを言っているときの両手の動き。普段生活しているときは、自然に動く手が、セリフを言わなければいけないことでいっぱいになり、まったく動かないのだ。
それと相手のセリフを聞いているときのぎこちなさ……。
帰路、完璧なまでに自己嫌悪に陥った僕がいた。

それからは、毎日自宅のマンションのベランダで練習した。相手の役者さんがいるつもりで、ひとり芝居を行なった。そしてやるたびにジレンマに陥る、その繰り返しだった。
本番を前に、こうも自主練習を行なったのは、昔、エルヴィスのバッキング・メンバーたちとメンフィスのサン・スタジオでレコーディングするとなって、そのヤワな声を少しでも鍛えようと、荒川の土手で毎晩発声練習を行なって以来のことだった。
未熟さからの不安を払拭するには練習あるのみ、ということを、中学の野球部時代から己へ言い聞かせてきた僕としては、とにかく反復練習しか上達の道はなかった。
と同時に、師匠であるエルヴィスのDVDを片っ端から見た。
彼もまた最初の主演映画で、演技の壁に当たっていたからだった。
当時、彼はこう言っている。
“歌っているときも、演じているときも、誰も助けててはくれません。どうしたらいいかということは、教えられるものではく、学ぶことなんです”
“いろいろな役者の良いところを盗み(学び)、経験を積むことで、何年かしたら、僕も良い役者になれるかもしれません”
“演技をしようとしたら、絶対に失敗します。自然に演じること。でもこれが難しいんです”
21歳、彼が最初の映画『やさしく愛して』に出演した直後のインタヴューでの言葉である。
まさに、現在の僕と同じ心境だ(おかげで、今までは“音楽家のエルヴィス”に焦点を当てた文章を執筆してきたが、今回の役者への挑戦で、“俳優エルヴィス”の原稿執筆が可能となった)。
素人演技の域を脱することなく、上演当日を迎えた。

チケットはノルマとして与えられた数以上を、“ビリー諸川被害者のサクラの会”と称するファンの皆様に買って頂いたおかげで売ることができた。
そのなかには、ニッポン放送の斎藤安弘さんや、元『ラジオ・ビバリー昼ズ』のプロデューサーだった藤原龍一郎さん、ラジオ日本でDJを務める友人の鈴木ダイ氏、さらにヴィレッジ・シンガースの小松久さんや高木ブーさん、そして尾藤イサオさんがいた。当日来場できなかった徳光和夫さんからは、御祝の花が届けられた。
こうした僕を応援して下さっている皆様の期待に少しでも応えようと、僕は今できる精一杯の演技で、舞台に臨んだ。

不思議なものである。父親役の小野ヤスシさんが本当のオヤジに思える。隠し子の洋一郎君が、本当に自分の息子のように思える。しっかりものの妹のさくら(田所二葉さん)が、本当の妹のように思えてしまうのだ。それでもって、劇中で思いを寄せるリリー(森川凜子さん)のことを、普段でも本当に意識してしまう僕がいた。
これが今回、稽古を繰り返しているうちに、唯一身についた“役者らしい”感覚だったといえるかもしれない。
そしてもうひとつ、舞台は多くの人間がお互い助け合って、成り立っているということを痛感した。
主役も脇役も、スタッフも誰もが各自のそのポジションでベストを尽くさなければ、成功という二文字は手に入らない。それを痛感した。
だから、僕は31日の最後の日に、“こんな素人の演技に根気良く付き合ってくれてありがとう!僕を助けてくれてありがとう!”という感謝の意を込めて、小野さんや乱さん、演出家の青木さん、そして劇団サンハロン・シアターの内藤トモヤさんに、舞台で花をプレゼントした。
ところが、いつもの悪いクセで、感極まって、またまた嗚咽してしまった。歳なのだろうか。最近はやたら涙腺がもろく、すぐに泣いてしまう。去年のロカビリー普及委員会のときもそうだった。恥ずかしい。が、涙が止まらない。お客さんや共演者たちの暖かい手拍子と笑顔が、僕を泣かせたのだ。
〈シェイク・ラトル・アンド・ロール〉を歌っている間、泣くな!という自分と、好きなだけ泣け!という自分が僕のなかで格闘していた。

終演後、僕は外に出て、来て下さったお客さまひとりひとりに、感謝の意を述べた。そのときうれしかったのは、皆、幸せそうな顔をしていたことだった。それが僕には何よりうれしかった。

11月22日から26日、池袋のシアター・グリーンで行なわれる『上海、そして東京の空の下で』と題した服部良一さんの物語に、僕は小野ヤスシさんや内藤トモヤさんと中国人の作曲家の役で出演する。少なくても今回の演技を上回なければならない。
見るとやるとでは大違い……、48歳にして初めて実感した“演技”の深さであった。