マネージャーは密入国者だった? | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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1957年4月と8月にエルヴィスはカナダでコンサートを行っているのだが、その他の国で彼のコンサートが行われることは生涯なかった。これはマネージャーのトム・パーカーがオランダからの密入国者だったからという説が強い。
エルヴィスの許にはいくつもの海外公演のオファーが各国から寄せられていて、勿論日本からも1970年代には、しつこいくらいのオファーがあったが、パーカーはそれらすべてを断わっていた。
理由はさまざまで、“ギャラが折り合わない”、“屋根のついた会場でないとダメだ”、“スケジュールが5年先まで詰まっている”などパーカーは何らかの理由と屁理屈を持ち出しては、ことごとく招へい話を潰していた。

いっぽうでエルヴィスは海外公演を強く希望しており、そのことで、晩年エルヴィスはパーカーと大喧嘩となることがたびたびあった。
「アンタは密入国者なんだろっ!だから僕に海外公演をやらせないんだ!もうアメリカ国内をツアーする毎日なんてまっぴらだ!」
するとパーカーは売り言葉に買い言葉でこう返した。
「そんな口をきいていいのか?ワタシがマネージャーを辞めたら、キミはまたトラックの運転手に逆戻りだぞ」
そしてエルヴィスはいつも黙って唇を噛むこととなった……。

【深層その1】あまりに寄せられる世界じゅうからのエルヴィスの公演オファーに応えねばならないと考えたパーカーが出した案が、人工衛星を使ってエルヴィスのコンサートを全世界に生中継するものだった。
そのコンサートは1973年1月14日にハワイで行われた。

【深層その2】パーカーは一般的に“大佐”と呼ばれていた。
これは彼がカントリー・ミュージックの世界で、いくつもの興行を成功させたことに対して贈られた名誉称号だった。

【深層その3】パーカーはエルヴィスをいつも自分の意のままにコントロールしようと、極端に他人との接触を嫌い、決して他人を近づけさせようとしなかった。

【深層その4】エルヴィスの母が自分のことを信用していないとわかったパーカーは、エルヴィスの当時のマネージャーだったボブ・ニール(最初のマネージャーはエルヴィスのギタリストだったスコティ・ムーア)という男からマネージャー職を横取りするとき「お母さんの大切な息子さんは働かされ過ぎですな。あれでは息子さんが参ってしまいますよ。ワタシがマネージャーになったら、そんな無理はさせません」と言って、母親を信用させた。パーカーがエルヴィスと関わり始めたのは、1955年の2月からで、1956年3月に正式にエルヴィスのマネージャーとなった。

【深層その5】パーカーはエルヴィスのギャラの50パーセントを自分の取り分としていた(始めは25パーセント、そして次に35パーセントというように徐々に増えていった)。

【深層その6】パーカーがエルヴィスと初めて会ったとき彼に言った殺し文句は“ワタシがキミをインドの王様以上の金持ちにしてみせる”というものだった。