映画では、うたいたくなかった。 | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

ロカビリー一筋40年!
日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
ロカビリーの伝承者、ビリー諸川が送る公式ブログ

原題を『リーノ兄弟』という、西部劇をエルヴィス版に作り換えた彼の主演映画第一作の『やさしく愛して』は、1956年8月にクランク・インとなった。
子供の頃から夢見た映画スターとしての活動にエルヴィスは舞い上がっていた。

彼は自分のセリフは勿論のこと、他の出演者たちのセリフまですべて覚え、撮影に臨んだ。
また役作りのため、映画館にも通い、マーロン・ブランドやロバート・ミッチャム、そしてジェームズ・ディーンなどの演技を再確認し、彼に映画俳優とはかくあるべきだ、というひとつの定義をもたらせた。
それはスクリーンのなかで決して笑わないというものだった。
ブランドも、ミッチャムもそしてディーンも皆、スクリーンではクールな笑みにとどまっていた。ましてや“歌をうたうこと”などとんでもないことだった。

彼はクランク・インする前に記者から、映画のなかでもうたうのかと質問され、きっぱりと、映画のなかではうたわない、俳優業と歌手業は別のものとしてやっていくと答えていた。
だが、実際には主題歌の〈ラヴ・ミー・テンダー〉を含め、4曲を彼は映画のなかでうたうこととなってしまった。
製作サイドがやはり歌がないと、という判断から用意されたものだった。
このことに関して、エルヴィスは当時のガール・フレンドだったジューン・ファニコという女性に嘆いている。
「ジューン、聞いてくれよ。映画会社が’バカバカしい曲ばかりを用意してしまったんだ……。時代錯誤というか、せっかくのストーリーが台無しだ」


【深層その1】この最初の主演映画で、エルヴィスは死んでしまうのだが、ファンからの猛抗議で、ラストにもういちど“彼の魂は生き続けている”という形で、スクリーンに登場することとなった。

【深層その2】彼の記憶力は抜群で、セリフは勿論、歌詞やコード進行など、写真に撮ったような記憶力が彼にはあった。
“老兵は死なず、ただ去り行くのみ”というダグラス・マッカーサー将軍の別れのスピーチは彼のお得意だった。