家族の理解は力なり | ビリー諸川の生涯ロカビリー!!

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ロカビリー一筋40年!
日本で、いや東洋で唯一エルヴィスのバッキングメンバー達とレコーディングした
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実はひよこや、たぬきの形をしたお菓子が食べられない少年だったもろかわです。

前回のこのコーナーで触れたスーパーギタリストとは、いったい誰なのか?
その答えを教えて欲しいと何人かの保護者の方から訊かれましたが、ワタクシは答えずにおりました。
その間、その保護者の方たちは、さぞかし、“モヤモヤ状態”にあったと想像します。
どうか、モヤモヤでいて下さい。では、今回のテーマに。

ワタクシは7歳のとき、父親を亡くしました。以来、母親がワタクシと5つ違いの兄を女手ひとつで育て上げてくれました。

ワタクシは、大変わがままなガキでありました。よくいえば、“こだわり”を持ったボウヤでしたが。
シャンプーは鉄腕アトムの形をしたものじゃないとイヤだとか、ハンバーグはデミグラス・ソースじゃないとイヤだとか、靴はキャラクターが描いてあるものじゃないとイヤだとか、とにかく今思えば蹴り倒してやりたくなるような、クソガキだったのであります。
それでもオフクロに怒られた記憶というものが、ワタクシにはありません。
それどころか、以前このコラムにも書きましたように、小学3年のとき、ワタクシはジャイアント馬場さんが好きになり、プロレスにどっぷりとハマったわけですが、そのときも、東京スポーツやプロレス雑誌を買ってくれたり、毎週金曜日、夜8時から放映されていた日本テレビのプロレス中継を一緒に観てくれたのもオフクロでした。
それまで、まったくプロレスなど興味のないオフクロでしたが、“馬場さんが勝ってよかったね”と。
ワタクシが野球にハマったときは、“長嶋選手と同じユニフォームじゃないとダメなんだ”、“グラブはローリングスのやつ”、“バットはタマザワのもの”など、相変わらず、今思えばぶっ飛ばしてやりたくなるようなわがままぶりだったにもかかわらず、こちらも、一緒にナイターに行ってくれたり、ワタクシの“大きくなったら、プロ野球の選手になって、おかあさんを大きな家に住まわせてあげる”という夢話にも、いつだってはぐらかすことなく、ちゃ~んと付き合ってくれました。

そして中学3年のとき、エルヴィス・プレスリーと出会い、それまで一途にやってきた野球を棄てることとなったときも、オフクロはそんなワタクシをひと言も責めることなく、“プレちゃんの声って、哀愁帯びていて、本当に良いわね”と、一緒になってファンになってくれました。

あれから30年。ワタクシはそんなオフクロに向かって声を大にして言いたい!
「ありがとう!感謝しております!おっかさん、大好きだよ~!」と。

そして、もうひとり。感謝せねばならない5つ違いの兄の話はまた別の機会に……。