去る2月5日、東京・赤羽駅南口出てスグのところにある、『ウッディ』というライヴ・ハウスに、あの高田文夫先生がやってきた。
僕らのバンドが毎月第一土曜日にライヴを行っている店である。
実は、4月21日に六本木の『スウィート・ベイジル』で高田先生がプロデュースするライヴの打ち合わせに、わざわざ足を運んで下さったのである。
そもそも高田先生とは、以前リリースしたアルバム『ナ・ガ・シ・マ』を、司会に執筆、バンド活動といった多彩極める島敏光さんが高田先生に渡して下さったところから僕の存在を先生に知っていただき、前作の『昭和ロマンビリー』の〈銀座でべっぴん有楽町〉で対面する機会に恵まれたのであった。
そのとき、先生は僕のあまりのロカビリーに対する思い入れに“あきれた”のであろう。ロカビリーの世界にも“襲名式”があっても良いのではないか、ということで、先生と僕の共通の知り合いである小野ヤスシさんとミッキー・カーチスさんに出演を依頼し、“襲名式”を兼ねた三つ巴のジョイント・ライヴをプロデュースすると言って下さったのである。
その打ち合わせに、高田先生、小野ヤスシさん、島敏光さん、後援を買って出て下さったニッポン放送の藤原さん、そしてこのライヴを仕切り、アルバムのリリースも視野に入れているコニシス・エンタテインメントの小西さん、そしていつもこの店で僕を応援してくれている40人のお客さんが、集まってくれた。
“5日、赤羽の人が入れば窒息しそうなライヴハウスへ、小野ヤスシさんとのぞきに行く”(2月7日付、「日刊スポーツ」“高田文夫の娯楽・極楽・お道楽”より)
*先生いわく、これは誤字脱字で、“人が入れば窒息~”ではなく、本当は“30人が入れば~”だったそうである。
ステージへは、やらせの紙テープが乱れ飛び、ロカビリーのビートに乗って踊る、大人に子供にお年寄り。まさに熱気で窒息しそうな店内。そんななか、僕もそろそろうたいながら失神すべきでは?などと迷っているなか、高田先生と小野ヤスシさんを舞台に招き入れる。
“ステージに呼び出され、小野さんと私、即興の掛け合い。小野ヤスシ思わずエルヴィスを3曲熱唱”(同「日刊スポーツ」より)
いや、小野さんのエルヴィス好きには、僕も完璧に脱帽。ブレイクで見せるアクションのキレは、明日からでもラス・ヴェガスでのショウで充分通用しそうなほどだった。
そして高田先生と小野さんとのやりとりは、即興とは思えないほどのテンポと間で、これまた店にいたすべての人の笑いのツボを骨の髄まで押しまくり状態であった。
“もはや伝統芸能になった感のロカビリーにも熱い後継者が。ミッキー・カーチス氏にもお願いして、もうちょっと大きい箱でロカビリーのライヴをやろうと夢を約束”(同「日刊スポーツ」より)
熱い後継者とはうれしいではないか。
実は3年前に平尾昌晃さんから、当時平尾さんがパーソナリティーを務めていたTBSラジオの番組で“ボクがロカビリーの伝承者に任命したビリー諸川君です”と公共の電波で紹介されたのを機に、2年前には山下敬二郎さんから、エルヴィスが1971年に山下さんに贈ったライオンのペンダントを“ロカビリーの継承者”として譲り受けた。
そして今回、高田先生、小野さん立ち合いのもと、ミッキーさんから“ロカビリー男の襲名”を頂戴できれば、もう最高である。
僕はいったい何者なのだ?とマジで考える今日この頃だ。