高校を卒業した1953年6月、エルヴィスは職安でM・B・パーカー機会修理会社の職を得た。
社会人エルヴィスの誕生だった。
そして7月のある土曜日の午後、ユニオン・アヴェニュー706番地にあるメンフィス・レコーディング・サーヴィスを訪れ、4ドルを払って、レコードを自費制作した。
彼は応対に出たこの会社のマリオン・カイスカー(社長のサム・フィリップスは外出して留守だった)という社長秘書に「歌手はいらないか」と訊いた。
彼女はエルヴィスにどんな歌をうたう歌手なのか訊ね、エルヴィスはカントリーだ、と答えた。
そして彼女がうたい方は誰に似ているのかと訊いたところ、“僕は誰にも似ていません”と答えている。
伝説ではこのときエルヴィスがマリオンに「このレコードを母の誕生日のプレゼントにしようと思っているんです」と言ったことから、彼の親孝行のイメージとこの素敵なエピソードがオーヴァーラップしたことで、ずうっとこのパーソナル・レコードは母親への誕生日プレゼントのために作られたものだと信じられてきたが、1990年代になって、このレコードが彼の母親の遺品からでなく、彼の友人の手元から発見されたことで、この伝説は訂正されることとなった。
あれほど息子思いの母が、もし本当に誕生プレゼントとして、このレコードを息子から受け取っていたとしたら、間違いはく大切に保管していたからだ、という容易な推理によって解き明かされた真実だった。
【深層その1】エルヴィスの母の誕生日は4月25日だった。
【深層その2】メンフィス・レコーディング・サーヴィスはサン・レコードと同体の会社で社長の名はサム・フィリップスといい、白人でありながら黒人音楽に精通している元ラジオのDJで、1950年にメンフィス・レコーディング・サーヴィスを、そして1952年にはサン・レコードを設立した。
メンフィス・レコーディング・サーヴィスは、エルヴィスも行った素人の自費制作レコードから結婚式のスピーチ、ビール・ストリートにたむろする才能はあれどシカゴまでレコーディングに行けないブルース・マンたちのために録音を行い、それをシカゴのチェス・レコードなどに売っていた。
サン・レコードは独自にリズム&ブルースとカントリーの才能ある音楽家をプロデュースするために設けたレーベルである。
【深層その3】長年伝説ではエルヴィスはこのパーソナル・レコードを作りにきたときにはトラックでやって来たことになっていたが、彼がトラック運転手を務めることとなるクラウン電気会社に就職するのはこれから2ヵ月後の9月である。よってこの1枚目のパーソナル・レコードのときは、自分のクルマ(リンカーン・ゼファー)でやって来たと推測される。
彼はこれから半年後の1954年1月にも4ドルを払ってここでパーソナル・レコードを作っているのだが、そのときはトラックでやって来た可能性は充分あると思われる。
【深層その4】マリオンはエルヴィスの白人でありながら黒人のフィーリングを持ったうたいっぷりに感銘し、アセテート盤の録音とは別に、エルヴィスの歌声を録音しておいた。“白人で黒人のフィーリングを持った歌手が見つかれば大金持ちになれるのだが…”を口グセにしていたサムにあとで聞かせるためのもので、外出から帰ったサムはこのテープを聞き、マリオン同様エルヴィスの歌に感心したが、事態がそれで急転するまでには至らなかった。
“確かにいい声はしているが、だからといって、すぐに使えるうたい手でもない。彼にはもっとトレーニングが必要だ”とサムは感想を洩している。