メンフィスはブルースの町だけでなく、ゴスペルが盛んな町としても有名だった。
男性4人とピアノから成る“フォー・メン・アンド・ピアノ”という1930年代に確立されたカルテットのスタイルによって、ラジオやコンサートによってメンフィスの音楽ビジネスの主流を占める役割を果たしていた。
エルヴィスが特に好きだったのが、アメリカ全土でも人気が高かったブラックウッド・ブラザーズというグループで、1950年8月に彼らはメンフィスに事務所を構え、メンフィスを活動の拠点としていた。
彼らが出演するWMPS局のラジオ番組『ハイ・ヌーン・ラウンド・アップ』にエルヴィスは学校をさぼって見に行っていた。
と同時に、毎月1回エリス公会堂で夜を徹して行われる『オールナイト・ゴスペル・シング』にも欠かさず、足を運んでいた。
12組のプロのゴスペル・グループが夜の8時から翌朝まで、歌い合うというショウだった。エルヴィスはここでショウ・ビジネスの華やかさを目のあたりにすることとなった。
エルヴィスは欠かさずショウを見に行っていたが、そんな毎回くるエルヴィスを舞台から気にとめていた人物がいた。
彼はブラックウッド・ブラザーズのバス・シンガーのJ・D・サムナーだった。
サムナーは名前も知らないその少年の熱心さに強い印象を抱いた。
ある日エルヴィスの姿が客席にないことを知ったサムナーは、次にその少年が現われたときに訊いた。
「どうして前回は来なかったんだい?」
「お金がなかったものですから」
「なーんだ、それなら次からは楽屋口から入ればいい」
エルヴィスはこうしてその次からは、フリーパスでステージを見ることができたのだった。
【深層その1】ブラックウッド・ブラザーズをはじめとして、ステイツメンやサンシャイン・ボーイズ、ハーモニーズといったプロの歌手たちは皆、エルヴィスのゴスペルに対する研究心に感心していた。
【深層その2】後年、エルヴィスは恩人であるJ・Dサムナーと彼のグループをバック・コーラスとして採用している。
【深層その3】当時、エルヴィスが最もアイドルにしていたのが、ステイツメンのリード・ヴォーカルのジェイク・ヘスで、彼のテナーの声、そしてヴィヴラートはエルヴィスのヴォーカルのスタイルに多大な影響を与えた。