I NGONAとしかかけなかったわが子とフォニックスの関係 | ハル・アキのパパの独り言

ハル・アキのパパの独り言

ダブルネイティブバイリンガル育成への挑戦と成功。ハル&アキの言語習得旅。親としての学び、バイリンガル教育の戦略、子供の言語発達支援、家庭での英語環境作りの秘訣まで、具体的なヒントを紹介します。

面白いツイートを見かけました。

 

「初心者にとって分かりやすいなら苦労はない。全く聞き取れないレベルで、どうすればいいのか?」という内容でした。

 

はい、確かに多くの場合、手詰まりになることでしょう。

 

特に、「おすすめ動画が『フレンズ』だった」というツイートが目に留まりました。これは多分、親が子どものための教材として頑張ろうとしているケースだと思いますが、親がどれだけ頑張っても、進歩が見られないこともあります。

 

多くの大人は文章から英語にはいり全く聞き取れないまま大人になってるのですから、フレンズの英語などほとんどの場合現実的な範囲にはありません。大方ほとんどの場合無駄な努力におわります。

 入口から間違っていて僕も幼少期に早期英語をやってて全くだめになった人です。其の腹いせに^^;我が子にはネイティブ級で我慢するといった向きにすすむという当然の結果です。

 

 

大人の学習と子供学習の橋渡しはほどんど何も一致しないようです。

大人と子供の学習の違いは確かに深いものがあり、特に言語学習においてはその差が顕著に現れます。

 

子供は音の波形を大人とは異なる方法で処理する能力を持っているため、同じ音でも全く異なるものとして認識することがあります。これは、子供の脳が言語の音を学ぶために特に適応しているからです。

 

言語獲得の臨界期と呼ばれる時期に、子供たちは言語の微妙な音韻差を識別し、模倣することができます。

 この臨界期も絶対にいつという限定もないのですが

集団として子供たちをみたときに7歳から9歳ぐらいでこの臨界期に達するように見えます。

 

妹のハル つまり この動画の左の子供が21秒で発している 

土星 の発音など 一体なにを聞き取ってこの音を脳内再生して発音してるかなんて 大人の感覚ではありえないです。

 日本人でかなりネイティブ級でもなかなか滅多に見られません。

  これが正しいかどうかではなく 

  音の特徴の捉え方の話しです。 

「ˈsæʔɚn」 かな この引用あってるかな 微妙ですね

 「ˈsæɾɚn」「ˈsætɚn」 どれも使ってるようです。

 このような話をすると 

 すぐに発音の正しさ系に言及してると勘違いされますが

 僕は音の幼児の捉え方と音声再生の話をしています。 

 同じ カタカナでサターンに相当する発音ですが

 ハルはいくつか発音を変えています。

 

聞き取り優先の結果

7歳では

我が家の話で言うと、「I NGONAGO」としか書けなかった私の子どもとフォニックスの関係についてです。実際に「I'm gonna go」を「アンゴナゴ」と発音していたのですが、フォニックス学習はしていませんでした。それでも、7歳になると、自分を「I」と書くことはなんとなく分かっていました。
「aŋɡoʊŋæɡoʊ」 コンナ発音から 「I NGONAGO」 という綴を想像したようです。 ANGONAGOではないところが面白い雰囲気です。 

そもそも完璧や責任をもとめていないところから其の様に書くことがありました。 

 これを書き間違いと捉えるか

  正しいと捉えるかは環境によるでしょう。

絶対にネイティブにする親としては ここは2値ではとらえていません。正しい、間違い という概念が存在していませんでした。

ここで言及した理由は、

 英語教育に正しさをもとめる人が一定数存在する

ことに驚きがあったからです。

 

 僕が聞いたアドバイスで驚いたのが、親が子供の発音を指摘しないでください。というものです。

 えぇっとなりますよね 英語話せない親が指摘? 

 論理が破綻しています。 

 指摘もなにも関与そのものが無理です。

 クラスタリングを邪魔してはならないという原理が僕にあるので 指摘なんて言われるまで思いつきませんでした。

 

そこでなぜそんなアドバイスがあるのかを考えたところ

人を確率でとらえると

  多くの子供はこれが正しいといわれそれで褒められると其の呪縛が発生します。

 そもそも英語話せない親が I m going to go と書けと命令したところで価値がありません。

 これは単純にいうと 英語がネイティブのように話せるようになった子供からすると へぇ そうかくんだぁ という発見になるのであって そう書かねばならないとかそれが正しいなどという概念に結び付けないことが重要です。

 そのうち学校のテストで ANGONAGO と書くとバツになることは想像がつくようになります。

 わが子は9歳になったころ 学校で英語の授業?が始まり
単語の綴をまちがえて笑ってました。英才くんに点数でまけたとわらってたのですが、この段階では書き言葉となんちゃって発音記号であるところのつづりが異なることも認識済みです。

これはファジーともちがいます。そんなものなんだという 人間の枠が必要ということのようです。

 勉強ではなく それなりの発見を楽しむことが成功の鍵となるでしょう。

 

 

カタカナ英語

 

 

多くの英語キッズが読み書きフォニックスによるカタカタ発音をしてるなか、私の子どもは聞き取特化でネイティブレベルに達していました。友達も習字の先生もイルカのことをドルフィンとい

うのがおかしくで仕方がなかったようです。

 これも確率論ですが フォニックス組の発音は音がすくなく

かといって カタカナ発音でもないという微妙なものが多かったのも事実です。

 

 5歳ぐらいのとき 
「ねぇねぇパパぁ 先生がイルカのことをドルフィンいうんだよおかしいねぇ!! /ˈdɑːlfɪn/ なのにねぇ 」 

 「幼稚園のお友達もみんな違う言い方する」

 ここで 単語単位でネイティブ発音されても パパではどうみにもなりません。いいのか悪いのかもわかりませんでした
 パパは イルカのことは ドルフィン だと思っています。

いやいや音が違うことぐらいはわかりますけどね。 

私の子どもは6歳で「MILK」だけを読み書きでき、7歳で海外の子どもたちと文字チャットを始めました。その時の綴りは、なんとなくの音の感覚で書いていました。

このとき 海外の英語圏の子供もつづりは間違いだらけなのですが みんながそう書くという理由でしばらく綴り気にしていませんでしたね。 通じるように書いてただけのようです。

 


いつの間にか文字も理解できるようになっていましたが、ネイティブレベルの対話にはもう1年待つことになりました。

 つづりも5歳ではなんとなくみたらいくらか想像してるっぽい雰囲気はでていましたが。全く明確でありません、英語にも文字があるんだぐらいな感じでしたね。 ここからはガチャライフをみさせていきました。ガチャライフというのはyoutube であがってる 紙芝居てきな動画で発音と英語文字をつなぐ動画です。

 

対話がないとは言え、貸したアイテムを返してもらえなかったときは、「He cheated me!」くらいの言葉は発していました。これを発話と呼ぶかは別として、このような一連の流れで会話が始まったのは8歳半でした。

 

バイリンガル子育てに成功している家庭でも、親が戸惑うことは珍しくありません。しっかり管理している家庭が多くの成功を収めている一方で、その結果は周知の通りです。

 

親が流暢に英語を話せる家庭の教育方法が、我々英語話せない親ののバイリンガル子育てに役立つとは限りません。

実際、いくらか我慢して理論を聞いてみましたが、

途中で離脱することになりました。私には到底無理でした。

 

幼児英語の少ない母音を正しいと教わった人で、その後の言語の構造が大きく異なると、一生英語が苦手になることもあります。

言語の構造が異なるため、虫の音や動物の鳴き声を正確に模倣するよりも英語を学ぶ方が難しいのは、ごく自然なことです。

 

誤った方法で学んだ知識は、再教育が非常に困難であることがよく知られています。実際、多くの組み込み用AIは、教育が失敗すると初期化するしかありません。言語学習も、似たような雰囲気が漂っています。

 

 

 子供の記憶と 言語

子どもたちは嘘をついているわけではありませんが、彼らの記憶はしばしば時間軸に沿って整理されていないことがあります。これは、記憶の遡及が影響している可能性があります。特に2歳前後の子どもたちにとって、時間の流れはまだ非常にあいまいな概念です。

 

私自身も、3歳頃の記憶が最も古いはずですが、それよりも前の2歳の頃の鮮明な記憶が混在しているように感じます。

私の母にこのような記憶があるのだがという3歳のときの記憶のはずのことと話すと ちょっとちがうようなのです。

あぁそれねぇあんたが2歳のときの・・・ 話しとまざってるねぇ って

 

この現象は非常に興味深いものです。私が育てた子どもたちの記憶は、私自身のものとは少し異なるようです。これは、あらかじめ用意された台本がない状態でのインタビューでよく起こります。

「日本語は話せるの?」とよく聞かれるので、日本語でインタビューを行いました。

この動画ではないのですが

フォニックスを徹底的に避けたことについて話している部分があったのを覚えていますが、

私が意識的にフォニックスの教材を避けたことは記憶しています。

しかし、私の子どもは「お父さんは絶対にフォニックスを教えなかった」と証言していました。

でも プレイリストで聞き流しでしたから ある割合でフォニックス学習動画は混ざってはきていました。 

 履歴からフォニックス学習動画は削除したのは覚えています。

迷惑メールみたいなものです。

 

 

フォニックスは偶然流れただけです

 

再生リストを任せておくと、おまかせのおすすめでフォニックスの動画が混じることがあったことは覚えています。しかし、アキは「お父さんはフォニックスを絶対に選ばなかった」と強調しています。これは、おそらく友達がフォニックスを学んでいたことも影響しているかもしれません。フォニックス番組を茶化すこともあり、「ふぉふぉふぉ、フォニックス」と揶揄して、音の数が少なすぎると言います。

もちろん、これには反論があり、基本はフォニックスでサイトワードを学習させるべきだと主張する権威者もいます。しかし、私が人工知能を扱ってきた経験からすると、

そのような二段階学習が成立するとは思えません。フォニックスが「Dog」「Cat」など数単語を書かせるためだけのものであるというのが私の見解です。ネイティブ環境であれば、すぐに例外であることを親が説明できますが、私たちの環境ではそうはいきません。

 英語話せない親父の 愚痴ととらえられてもいいのですが

 実際には フォニックスが成立するほうが例外でしょう。

 

単語単体では 合致していても話し言葉ではすぐに例外が発生します。 もういちどいいなおしますが フォニックスが成立するほうが例外でしょう。

 

 

結構な無理ゲームとなります。

期待はずれは そもそも期待するから発生します。

 実は 船酔いも同じ原理です。 

船酔いは揺れを予想する 働きがあるのですが、脳の予想にいちいち外れることになります。小さな不快感が何時間もつづくことで起きる現象です。 揺れに任せることができたらかなり軽減される現象です。 期待はずれは不快感を有無のはよくある話です。 この期待はずれに対して耐性は個人個人みんなちがいます。

 

 フォニックス学習は一定の効果が合ったことを子供は経験してしまいますから 、このルールからの逸脱は不快感として残る可能性と そんなことはどうでもいいというこだわらない子どもと

 少ない音素で満足して次にすすめない という3つのグループにわかれることは 検証などしなくても 推定の範囲にはいります。

 いわずとしれた 少ない音素で満足したこどもたちは 実績だけでいうと 全体の9割をこえ 結局英語はしどろもどろです。おそらく 日本の現状は 変えられないでしょう。

 

 ただしいとしてならったことに例外がおおすぎるので

 いいかえましょう 殆ど一致しません。 

 一定数の子供にはただのストレスです。

 

フォニックスの限界と例外の多さ

 

フォニックスは英語の基礎的な読み書き能力を身につけるための有効なツールの一つですが、

そのルールが適用できる単語は限られています。

英語にはフォニックスの基本ルールに従わない例外が数多く存在し、「Hello」や「How are you?」のような

一見基本的なフレーズでさえ、そのルールから逸脱しています。幼児期に約300語の基本語彙を学ぶ際にも、フォニックスのルールが適用できない例外に直面することは少なくありません。

 

言語学習における例外の多さは、確かに初期段階での理解を複雑にしますね。たとえば、「Cat」と「Dog」のような単純な単語でさえ、実際の会話の流れの中では予想外の発音になることがあります。「きゃっつんだ」という発音は、その良い例です。3歳でこれらを書けたとしても、実際の言語使用においてどの程度の意味があるのかは、考えるべき点ですね。

「Cat」and「Dog」

 

「Cat」と「Dog」のフォニックスルールに基づく発音記号はそれぞれ「kæt」と「dɔg」です。そして、連続した発音、例えば「Cats'n dog」というフレーズの場合、簡略化された発音記号は「ˈkætsən dɔg」となります。ここで、「Cats'n」は「cats and」の連結した形で、日常会話でよく見られる簡略化された発音です。日本人に弱い最後のg が聞こえなかったりします。

 「きゃっつんだ」という平仮名表現は言語間の音韻的特徴の違いから生じる 一種の誤解を含んでいます。

 日本語のプロソディからは んだ のあとにg のおとは来ないという思い込みです。 たとえ発音されてても弱ければ無いという先入観を日本人はもっています。

 「ˈkætsən dɔg」 より 「ˈkætsəndɔ」に日本人には聞こえることがおおいようです。 土砂降りという意味でもあります。

 そうなると 「Cat」and「Dog」 であることなど多くの日本人にとって全く違う単語となり 犬も 猫も消滅してしまうことになります。 土砂降りだけが残ります。

 

じっさいサイトワード(見て覚える単語)のほうが多いですよ。サイトワードは、フォニックスのルールに従わない単語を覚えるのに役立ちますが、英語には「mnemonic」のように、一見してルールに従っていない単語が数多く存在します。

このような例外を考慮すると、言語学習には一つの方法に固執するのではなく、多様なアプローチを組み合わせて取り組む必要があることがわかります。子どもたちが言語の多様性と複雑さを理解し、自然に言語を習得できるように、柔軟な教育アプローチが重要です。

 

 とはいえわが子は6歳のときにMILKだけ読み書きできたときは 鬼の首とったように褒めました。 

 余計な褒めるという作業はしないほうがいいのですがピンポイントで たまにはいいでしょう。余計な褒めるという作業は英語わからない親がなにか正しさを知ってるという誤解を生むことがあります。そんな心配はお子さんが低学年のうちだけですけどね

 

 

 

子どもたちの感情面での挑戦とサポート

 

フォニックスを学び、基本的な文字や単語を覚えることで褒められた経験は、子どもたちにとって大きな自信と達成感を与えるものです。この初期段階での成功体験は、学習に対する積極的な姿勢を育み、言語への興味を深めることに寄与します。しかし、学習が進むにつれて、フォニックスのルールが適用できない言葉や例外に直面したとき、子どもたちは混乱し、以前の成功体験とのギャップに戸惑い、喪失感を感じることがあります。これは、特に幼児期においては、感情面でのサポートが非常に重要であることを示しています。

子どもたちの中には、このような挑戦にも気にせず、柔軟に適応することができる者もいます。また、一部の子どもたちは、学習が「暫定的なもの」であるという概念を理解し、適応することができます。しかし、一方で明らかに挫折感を味わう子どもたちも存在し、この経験は彼らの言語学習に対するモチベーションに長期的な影響を与える可能性があります。

このような状況において、教育者や親は子どもたちが直面する可能性のある挑戦を認識し、感情面でのサポートを提供することが重要です。言語学習のプロセスは単なる知識の習得以上のものであり、子どもたちの自己認識や感情に深く関わっています。したがって、学習過程における挫折や困難を乗り越えるためのサポートとして、正しいフィードバック、励まし、そして言語の多様性や複雑さを受け入れることの大切さを伝えることが求められます。

最終的に、子どもたちが言語学習において直面するであろう挑戦を、なぜ積極的に受け入れるべきなのかという疑問は、教育アプローチの再考を促します。教育者や親は、言語学習の目標をただ単語を覚えること以上に設定し、子どもたちの感情的な成長と学習プロセス全体の楽しさを重視することが求められます。これにより、子どもたちは挑戦を乗り越え、言語学習の旅をより豊かなものにすることができるでしょう。

 

 

個人的な提案としてはフォニックスはおすすめしません

本当は条件付きで OKなんですが

3歳で年齢相応がききとれない子供がする必要はないです。

英語が聞き取れない状態で 後発である音声と文字との関係などなにが重要なのでしょうかどうでもいいでしょう。

ところが 音が聞き取れるようになって 音を文字で表現するという歴史を追うとフォニックスも大丈夫な時期がきます。

 ところが面白いことにフォニックス学習は特にする必要がなく

時折ながれてくる動画をかいまみるだけで十分です。

ぼくは違和感をおぼえるのは フォニックス学習をさせるという意図に違和感があるのです。どうせ混ざって入ってきます

其の程度でいいのです。 子供はそんなことを言う人が世の中にいるのだということをいつの間にか理解します。

 文字には文字の名称と Kなら くっ みたいな音があるらしいというなんとなくを知ることが重要です。

 実際 我が子が あんごなご を I nGONAGO と書いたというのはそもそもフォニックスがあるからです。

 なんとなく聞くで十分なのです。 フォニックス学習などガッツリするようなものではないのです。

 

実は答えは先程のインタビューに

これをみると 特にフォニックスには言及はしていませんが。それとは関わりのない方法で 話せるようにこの日本の環境でそだってるのはわかるでしょう。

  私の娘たちは 文字名と 文字音が 一致する例外をみつけては楽しんでいました。MILKなど 音名と基底音の一致がなされる例外です。 揶揄した表現ですが フォニックスルール通りの単語ですが例外的にフォニックスに合致しています。

 むしろ発音から 書きやすい単語を探すという例外探査をさせた記憶があります。

 

 限られたなんらかの適性のある子供は 3歳からフォニックスをしてもいいかもしれせんが 

 私の方法は 8割のボリュームゾーンの子供向けです。

 3歳では フォニックスなど知ったところで意味をなしません。

 ある一定年齢で フォニックスを知ることにより 発音から文字を類推してなんとか対話できることには興味がありました。

 実際我が家では 6歳ぐらいでなんとなくフォニックスをしっており。 そのフォニックスで読み書きできる例外を探す遊びをさせたぐらいです。

 リンクしたりリダクションされたとたんにこれは崩れます。

 I'm going to   と かけずに I NGONA

 としかかけなかったわが子が 懐かしく愛しいことをおもいだします。

  

 

最後にフォニックスにかなりの場面で合致する単語を列挙します。

基本的に単純なCVC(子音-母音-子音)のパターン

のものは フォニックスルールに かなりの場面で合致します。

 

cat, hat, mat, bat, rat, pat, sat, man, pan, can, fan, van, map, cap, tap, nap, sap, rap, gap, lap, hen, pen, ten, den, men, net, pet, set, vet, wet, bin, fin, pin, sin, tin, win, dip, hip, lip, pip, sip, tip, cot, dot, hot, lot, not, pot, cop, hop, mop, pop, top, cub, hub, rub, sub, tub, bug, dug, hug, jug, lug, mug, pug, rug, tug, bed, fed, led, red, wed, beg, keg, leg, peg, big, dig, fig, pig, rig, wig, dim, him, rim, sim, cod, nod, pod, rod, sod, gum, hum, sum, yam, ham.

 

最後に、フォニックスについての私の考えをお伝えします。フォニックスは基本的な言語のルールを理解するための重要な手段です。例えば、「cat」「hat」「mat」などの単語は、フォニックスのルールに合致する傾向があります。

 

フォニックス学習の最初にでてくる apple でさえ an がつくと アナポー のようにすぐに例外になります。例外という表現より異なるのが一般です。そういう意味では an appleの アナポーの方が標準といえます。 そうですね僕の意見では例外を学ぶことになります。

もちろんここには 発音と文字とをつなぐのだという大義がありますが2歳3歳に対しては得策とは到底思えません。

子供には何の混乱もないまま例外を受け入れるに至るプロセスが重要だと思うのです。

 

 現実には数千もの単語があり、フォニックスに完全に合致するものはほとんどありません。

このことを理解すると、正確性や褒められることといった概念と、例外が存在することの両方を認識することができます。

 

幼稚園の年長さんぐらいになると、子供たちは自然に話し言葉をフォニックスで表現するようになります。フォニックスは、自然な流れの中で身につくものだと考えています。

フォニックス学習をするとしても、幼稚園年長以上で例外に対する処理ができるような年齢になってからがいいと思います。

 

最後に フォニックス学習の成功を 祈願して

 fɔːfɔːfɔː  ふぉふぉふぉ フォニックス (V)o¥o(V)

fɔːfɔːfɔː (発音記号)