フォニックス学習の限界 | ハル・アキのパパの独り言

ハル・アキのパパの独り言

ダブルネイティブバイリンガル育成への挑戦と成功。ハル&アキの言語習得旅。親としての学び、バイリンガル教育の戦略、子供の言語発達支援、家庭での英語環境作りの秘訣まで、具体的なヒントを紹介します。

今日は観察からの正確な話しです。

場合によっては気分を害することになるかもしれませんが辛口ですが真実です。

 

もちろん次のような話はあります。

 英才系の学習を狙う親御さんからは見向きもされないど田舎で 渾身の力をこめて石をなげても誰にもあたらない田舎の(どんな田舎なんだ)の学校であっても東大に行ける子どもが出るという話が先程母の実家周辺ででたそうです。 なにやっても できる子どもはできるようです。

 ということで例外はいつでもどこでも発生します。これから語る話は子どもたちを集団としてみたときの話です。 貴方のお子さんのフォニックス学習をピンポイントで説明したものではありません  

いまもここで 幼児のフォニックス学習動画をみながら書いています。 しかしデフォルメされた アルファベットの発音は僕のめには何をどう捉えても ネイティブの普通の話しかたとは全くちがいます。ここは事実です。 もちろん 2重母音の音の移動まで解説したフォニックス動画もありますが あまり見かけません。そのような本質をついた大人のフォニックス動画は、幼児には複雑すぎます。基本を身に着けた状態で年長さんぐらいにならないと複雑なフォニックス解説は無理だと思います。

 ここではよくあるフォニックス動画の方が今回の話しのターゲットとなっています。其の点予めもうしあげておきます。

フォニックス学習の限界と日本の地域性

 

日本における早期英語教育の風潮は

話す、聞く、読む、書くの4技能を

迅速に身につけることを目指しています。

 

この過程で、

フォニックス学習が早期から導入されることが一般的です。

 実際、3歳半ば頃からフォニックスを通じて基本的な単語を書けるようになる子どもたちがいることは、多くのバイリンガル育児に関する動画からも確認できます。

 

しかし、幼児が絵本を参照しながら声を出して文字を書く様子を捉えた動画を見ると、多くの場合、その発音がネイティブの同年齢の子どもたちと比べて音素が限られており、日本語のアクセントが色濃く反映されているように聞こえます。
 同年代のネイティブとの比較です。 

ネイティブの子どもでも発音が困難なフォニックスもありますが

 よく聴き比べると、ネイティブたちが口が回らないときと

日本人の子どもがフォニックスをへて口が回らないときも

 やはり音がちがうような動画が大半です。

動画のそのお子さんが将来どうなるかは ときが立たないとわかりませんが。3歳時のおしゃべりは意外と多くみつかりますが

 年齢が高くなったお子さんたちの 軌跡の動画は少なくなってきます。 ここのことは アップロードが面倒くさくなったという理由もあるでしょうけど 実際はかなり離脱していったことをしめしています。

簡単な単語

つねに原因を完全特定はできませんが

特に、アメリカ人のネイティブスピーカーが日本人向けに制作したフォニックス教材では、英語の母音がせいぜい10ほどしか取り上げられていないことが、この問題に一因として考えられます。

 

しかし、3歳の子どもが書ける単語は限られており、わずかな数の単語を書くためだけに音素欠落した言語インプットを受けることに対する認識を問うべきではないでしょうか。

 

フォニックスは確かに効果的な手法ですが、英語の音素の豊かさを完全には網羅していないため、母音音素の多様性や英語特有のフォルマント移動を十分に学ぶことができません。

短母音、長母音、そして二重母音(ディフトング)などがあります。

 

英語圏ではフォニックスの教育を行う教師や親が必要に応じて音素を補うことが可能ですが、

日本のような英語非母語圏では、

教材に含まれる音が

全てとなりがち

その限界が顕著になります。

 

日本語と英語の音韻体系の大きな違いがあるため、

フォニックスに頼った学習だけでは、

 

英語独自の音韻のニュアンスを捉えることが困難になります。

 

日本での英語教育が早期に始まる傾向がある中で、子どもたちが習得する音素がフォニックスに限定されてしまうと、その後の言語発達に悪影響を及ぼす恐れがあります。

子供の脳が英語の母音はたったのこれだけというふうに確定させる可能性もあります。

3歳の子供の人生の期間の中では一年間英語に触れてきた場合 かなりの割合で英語を使ってることになります 子供の感覚では長い時間です♪

 

2歳半でバーガー屋さんで注文ができたみたいなお子さんの動画もありましたが、そういったビデオでは親御さんがネイティブさながらだったりします。

 

 

そのような家庭を除くと間違っても誰も指摘できない状態が続きます。

 自動車に例えると、故障したまま修理しない期間が長いようなものです。

 MTTRという概念があります。

誤謬の修正が身近な親からうけられる子どもと そうでない子どもはあまりに大きな差があるといえます。 MTTR つまり 誤りからの修正受けられる平均時間のことです。

 日本ではこのこの時間がネイティブやネイティブさながらの親御さんがいる場合と比較すると 程度はともかく長くなることは避けられません! 

 

英語の母音の数とその多様性

 

英語の母音の数に関しては、

言語学者の間でも見解が分かれます。これは、アクセントや方言、個人の発音の差異によって変わるため、

一律に「英語にはこれだけの母音がある」とはいいきれ言えません。 日本語だって 5つの母音といいますがバリエーションは存在します。それが英語は多く存在しています。

よく見かけるフォニックスでえられる 母音は8個前後です。

一般的に、アメリカ英語には約14~16の母音音素があり、

 

イギリス英語(受け取り英語/RP英語)では約20の母音音素が存在するとされています。

其の一般論から比較すると日本人はフォニックス学習をして其の半分程度の母音しかえられません。 微妙な前後のつながりをいれると本当に半分は習得したのだろうかと疑いたくなります。

 

これらの数字の違いは、英語が持つ母音の多様性を示しています。短母音、長母音、そして二重母音(ディフトング)など、異なるタイプの母音が存在し、特に二重母音は2つの異なる母音が組み合わさって一つの音を形成し、英語の母音のバリエーションを豊かにしています。

日本語話者にとって、これら多様な母音音素を習得することは、フォニックス学習の枠組みを超えた挑戦となります。

 もちろんここで大人のフォニックスともいえる次の段階のフォニックス学習もあるのですがあまり見かけません。

 

楽観的なお家英語

日本全国における早期英語教育の現状では、実際に97%の子どもたちが英語学習の過程で脱落してしまうという厳しい状況があります。一部の地域では成功率がやや高いものの、全体として見るとこの高い脱落率が現れています。特に地方では、成功率がさらに低く、多くの子どもたちが英語学習の道を途中で断念しています。わが子周辺では 幼稚園の同級生英語キッズたちは小学3年生になったころには例外なく英語なんかならったような痕跡すらないといって過言でありませんでした。おぼろげながらな感じはあったとは聞いています。

 

この背景には、フォニックス学習の限界が一因として挙げられます。フォニックスによって基本的な単語の読み書きは可能となりますが、英語の豊富な音素、特に母音の多様性を十分に習得することが難しいため、実際のコミュニケーション能力の発達には至りません。このような学習環境では、子どもたちは英語に対するモチベーションを維持することが困難となり、最終的には学習を諦めてしまうことが多いようです。

 そりゃそうでしょう セサミストリートなどネイティブが語彙や音韻習得を増やすための番組をみても 気楽ではなく神経をとがらせないと聞き取れないのですから 

 かなんらかのモチベーションがたもたれないと現実は面白くないため発展は厳しいものがあります。

 

通常 おうち英語の場合 つまり ほとんどの場合。

すくない習得音素で頑張り続けることになります。

 読み書き 多読 英語のききとり。

ここからは 英語のリスニングの訓練を楽しいこととして捉え続ける必要があります。

 おうち英語の成功者の子供の話をきくと

  英語が好きで勉強をしたという感覚はなかったんですよ。

 

 この言葉には勉強したという事実が普通は入っています。 

 

 音素の足らないことの 苦痛は察してあまりがあります。

 

このような状態で セサミストリートや PJMASKなどのネイティブのネイティブたんる年齢相応の番組をききとりつづけるには 

フォニックス学習法では 足らないことが大半です。

事実97%は脱落しています。

そして常に3%ぐらいのお子さん達はペラペラになっていくのです。ここで2極化が発生しており

 ペラペラのお子さんたちは意外とネイティブっぽくなっています。 つまりできる3%の人々のバイリンガル子育ての質は年々向上していますが、依然としてほとんどのお子さんには効果はありません。

 

モット楽観的な 我が家の方法

 

 しかし、我が家ではこの一般的な傾向を打破しました。3歳半で英語の母音の変化に対応できるようインプットを調整することで、我が子は英語を自然に、苦痛なく習得しました。英語学習を「楽しい」とも「嫌い」とも感じず、

 

単に日常生活の一部として英語を使用しています。このアプローチは、地方でさえも成功する可能性を示唆しており、英語学習における新たな可能性を開くものとなっています。

 

 聞き流しは ゆるーくやっていましたが

 実際はどんどん音素をふやし語彙吸収をしていました。

 

 4歳ぐらいでなにか集中して言語をききとってやるみたいな態度をみたことがありません。やたら気楽に語彙をふやしていました。 まさに本当に聞き流していたのです。

 

日本語環境の影響

日本語話者が直面する母音音素の限界は、英語学習において顕著な課題です。

教育者と親が共有するこの問題は、子どもたちの母音音素の習得不足やフォルマント移動の理解不足に繋がります。

英語の音響的特性と日本語のそれとの間に存在する差異は、子どもたちが英語の発音を習得する過程において重要な障壁となります。

 上位音素の取得と簡単にいいますが2−3歳での基礎を習得することはここから先の10年で

 頬杖ついてボーーっと英語を聞くだけでネイティブ級になるかそれともならないかの大きな差になっていきます。

 

 読み書きを急ぐあまりフォニックス学習に入った場合且つ親が英語が得意でない場合は、常に英語習得に熱意や興味をもつづけることが重要になっていきます。

  多くのバイリンガル子育ての親がモチベーションという言葉を多用する必要がでてきます。

 

 

 

教育の現場

 

教師付き学習の実態。

教育者の音素使用の制限。

 特定にユーチューバーのママさんたちがネイティブさながらな声掛けができる場合はフォニックスもいいと思います。

 基本的な文字がかけるようになったのちだんだんと多くの母音の変化をネイティブのような親は子供に伝授可能です。

そうでない場合 日々のノルマである英語聞き取りを子供がモチベーションを保ち続ける必要がでてきます。

 実態を考慮すると  

  つたない英語でも声掛けをするのは重要であるという主張にはにわかには同意できないのです。

 

また この上位音素と呼ばれる英語独特の変化に追従するには
ネイティブ教師のスキットであっても。演技力と言語の自然性の欠如ゆえに意外とネイティブ先生に師事をお願いしてもなかなか難しいものがあります。


プリスクールの実践。においても同様で

 ネイティブの先生たちが、子供たちに接するときの英語はネイティブたちのほそぼそ発音などの聞き取りに対応することがほとんどありません。簡略化された口を大きく開く発音で対処されることがほとんどなのです。

 

総括

 

フォニックス学習は英語初歩のステップとしては有効ですが、

その範囲に留まるべきではありません。

我が家の場合は フォニックス動画は意図的に避けて来ました。

 双子の姉 アキ の証言によると パパは絶対にフォニックス動画を登録しなかったといいます。

だからフォニックス動画は記憶にないといいます。

 

 双子の妹 ハル の証言によると フォニックス動画は見たことがあるけどめったにでてこなかった

 パパが履歴から消してたんでしょうねぇということです。

 

僕自信は履歴に子供たちがフォニックスを見た記録があった場合消していました^^;

 幼児の記憶は時間関係がある程度いいかげんなのですが親の気持ちは伝わっていたようです。

 

 

日本語環境下での英語教育は、特に上位音素の習得や母音の多様性に焦点を当てる必要があります。早期教育での単純な読み書きの習得に注力するあまり、言語の豊かさと複雑さを見落とさないよう注意が必要です。

 

言語学習においては、多様な音素への露出と、実際の言語使用におけるその音素の活用が不可欠です。教室内外での豊かな言語体験を通じて、子どもたちが英語の音響的特徴を自然に吸収できるよう、総合的なアプローチを取り入れるべきです。また、教育者や親自身が言語の自然性を重視し、たとえ不完全でも積極的に言語を使う姿勢が、子どもたちの学習意欲を高める鍵となります。

最終的に、子どもたちが英語を母語と同じように自然に受け入れ、使用するためには、読み書きの技術を超えた、より深い言語の理解と実践が求められます。言語教育における新たな視点と方法の模索が、今後の英語教育の発展に貢献することでしょう。

 

矛盾と言えば矛盾なのですが フォニックス学習で ネイティブのようになったご家庭はそれはそれでいいのですが 其の方法はほとんどの場合うまくいきません。

 フォニックス学習をさせてネイティブのようにそだてられるご家庭を真似することは現実的ではないと思います。

 

 我が家では フォニックスを徹底的にさけたのですが

 手から水が溢れるようにフォニックス動画も実際には子供の目にはふれています。あまりに例外が多いにもかかわらず 正しいこととしておしえることは納得がいくものではありません。