バイリンガル子育てをしている一人のパパとして、私の目標は子どもがネイティブ級のバイリンガルになることでした。そして、それは実現しました。
今日は、バイリンガル教育における重要な概念である
「新しいプロソディ」
「古いプロソディ」は昭和の香りです。からもうやめるべきでしょう。
「新しいプロソディ」に焦点を当てたいと思います。
では、プロソディとは何でしょうか?
プロソディは、言語のリズム、強勢、イントネーションなど、音声の抑揚や流れを扱う言語学の一分野です。
これは単語や文の意味を伝えるのに不可欠な要素であり、言葉の音楽的な側面を形成しています。プロソディは、言葉をただの文字や音から、感情や意図を含んだ生きたコミュニケーションへと昇華させる重要な役割を持っています。
ネイティブ級バイリンガルを育てる過程で、10年前、プロソディという単語自体を知らなかった私は、「音脈」という造語を生み出しました。文脈ではなく 音脈です。これが後に 英語ではプロソディと呼ばれるものであること そして プロソディは1980年代におおよそ言語習得理論で使われるようになったようなのです。
「音脈」これを英語に直訳すると「音のパルス」となるかもしれませんが、文脈を 文のパルスと訳すことはないでしょうね。実際には「音韻」という用語が正しいようです。
文法に依存しない 生きたコミュニケーションのちからの源です。 日本人は日本語では日本語 プロソディをもってるのでが 英語を学ぶという 話しの元ではかなぐり捨てるようなのです。
プロソディの学習サイトとみて
多くのプロソディ学習サイトを探索しましたが、実際のプロソディを見つけることはできませんでした。サイトには音源も含まれていたので、期待を込めて再生ボタンを押しましたが、やはりプロソディの痕跡を見つけることはできませんでした。いや痕跡はありました
一体どうしてでしょうか?
この疑問の答えは、演者の演技力にあります。ネイティブスピーカーは自然な感覚で、思いついたことをそのまま言葉にします。
そこには本物のプロソディが息づいています。
しかし、演技を学んでいない演者がプロソディを再現しようとすると、なかなか上手くいかないのです。
まるで昭和のドラマを見ているかのように、台本をただ暗記して繰り返すだけになってしまいます。
これが[古いプロソディ]
昭和初期のドラマの録画をみると「お嬢様がXXをなさっておられたのをあたしこの目でたしかに確認いたしまたのよ」
というようなセリフが いわゆるだいこん役者が演じてるためになのか監督が其の様にいうように命令したのかしりませんが
だいこんがだいほんを という イメージがただよいました。
ここにはプロソディは存在しません。 文脈も 文法も存在ているにもかかわらずにということになります。
です。
プロソディが重要だというサイトの言語サンプルにおもうようなプロソディが入っていないのです。がっかりすることのほうが圧倒的に多いですね。
では、YouTubeのようなプラットフォームで個人が自由に思いつきを共有している動画はどうでしょう?
ここでは、スクリプトに縛られた演技ではなく、真の感情や意図が込められた話し方がされています。これこそが、プロソディが文字通り再現される場所です。
感情表現はともかく 言葉の意味が伝わるリアルな発音が必要だ
演劇であってもリアルな言葉がほしい。
実際のユーチューバーが実際に心から楽しんでいる動画は プロソディが生きている。
曖昧母音一つとってみても
曖昧母音に関しても、多くの学習サイトでは固定された発音で教えられがちです。しかし、実際の会話では、/ə/ や /ɚ/ などの曖昧母音は、文脈や話し手の意図によって微妙に変化します。真のプロソディを理解するには、これらの微妙な音の変化を聞き取る能力が求められます。
結局のところ、プロソディは単なる音の高低やリズムを超えた、話し手の声に秘められた感情や自信を捉えるものです。このような深い理解に到達することが、バイリンガル教育の成功にとって決定的な要素となります。
YouTubeでの自由な意見表現が可能な動画は、プロソディを含む自然な会話の素晴らしい例を提供してくれます。これらの動画では、スクリプトに基づく演技ではなく、真実の感情や意図が話し方に反映されており、リアルなプロソディを耳にすることができるのです。
日本においての読み書きの弊害
多くの家庭で採用されているバイリンガル教育では、子どもたちへの早期からの読み書き指導が英才教育の一環と見なされています。しかし、この方法には見過ごされがちな弊害が潜んでいます。
親が読み書きと発話の習得を急ぐあまり、子どもたちは
プロソディの理解を深める前に、文字と音の対応を急かされることになります。
サイトワードやフォニックスの例外といった、視覚的な記憶に頼らざるを得ない発音ルールに苦労しながら、子どもたちはしばしばフォニックスの意義に疑問を抱きます。例外の多い英語学習は、理解を深めることよりも納得することの方が難しくなりがちです。
この忙しい学習環境の中では、多くの子どもたちがプロソディを適切に習得する機会を失い、
「英語脱落のボリュームゾーン」
に留まることになります。ネイティブのような発音を聞き取れる子どもは、残念ながら少数派となってしまいます。
日本では、ネイティブ環境の不在の中で、文字と音を迅速に結びつけるアジャイル学習法が一般的です。しかし、このアプローチはしばしばプロソディの重要性を軽視し、結果的に子どもたちは限られた母音を持つ不自然な英語を学ぶことになります。
実際には、多くの子どもが英語の母音を7つか8つしか使っていないかのように振る舞います。
日本語のアクセントや個性を重視することは否定しませんが、20以上ある英語の母音を半分以下でカバーしようとするアプローチは、あまりにも大雑把ではないでしょうか。何事もそうですが、少なくとも70%程度は網羅することが望ましいのではないでしょうか。
このように、多くの母音やワードバイワードの学習を子どもたちに強いるこの方法は、プロソディを無視しているため、非常に厳しいものです。
親の関与が必要なおうち英語教育は、通常の家庭では追随が難しく、理想よりも現実的な目標を設定することがより実用的です。結局のところ、親から子どもへのバイリンガルという贈り物を受け取る子どもがわずか3%程度であるというのは、非常に残念なことです。
彼の気だるさ漂う雰囲気のボソボソっとした発音これが
日本の多くの教材にあるようなネイティブのきれいな発音とはちがう。 日本にある教材をただしいとすると ハリソン・フォードは まさに間違った英語と話ていることになります。
どちらが正しいのでしょうか。 正しいという日本語の枠が崩壊するような話しですね。
こんなボソボソっとした 発音を
スピーカーはこれに限らないのだが 伝統的なスピーカーである程度きれいに再現したいものです。
これは2本購入したほうがいい
DACはシーラス・ロジックとか バーブラウンがおすすめ
本日のまとめ
プロソディの習得は挑戦的な取り組みですが、ネイティブスピーカーの会話に耳を傾け、様々な感情や状況下での会話を観察し、実際に自分で英語を使ってみることで、自然なプロソディを徐々に身につけることが可能です。
言語学習においては、読み書きのスキルも重要ですが、リスニングやスピーキング能力の同時向上が、全体的な言語習得には欠かせません。
子どもたちにとって、英語の公式試験を一時的に置いておき、ネイティブレベルの英語能力に焦点を当てて育てることはどうでしょうか。
日本語の基礎がしっかりしていれば、子どもたちは小学校高学年になってから英語の読み書きを始めても、英語での学習を早期から行ってきたライバルたちを追い越すことができるでしょう。
しかし、例外的なケースとして、全体の約3%の子どもたちは特に優れた進歩を見せるかもしれません。
私の子どもも流暢に英語を話すことができましたが、ジャパングリッシュで話す子どもたちに英語のテストで負けたことがあります。その時は、単にピリオドを忘れたという言い訳をしていました。
ハローワユーの カタカナ英語を 300円のスピーカーできかせても大抵はむりというものです。
ホタル光で勉強した時代とは一緒にしないでほしい
ネイティブ発音への挑戦的な態度
ネイティブ発音を目指すことに対して否定的な見方をする人々がいるのは事実です。特に日本のような非英語圏の国では、「なぜ外国の発音を真似る必要があるのか」という疑問や、それが「カッコつけている」と捉えられることがあります。これは、言語学習が単にコミュニケーションの手段を超え、アイデンティティや文化的な自己表現と深く結びついていることを示しています。
効率性と地域性の問題
ネイティブ発音を目指すことは、単に「カッコいいから」ではなく、実際のコミュニケーションにおける効率性を高めるためです。例えば、ハリウッド映画の英語やBBCニュースの英語は国際的に広く理解されており、これらの発音を身につけることは、世界中の人々とのコミュニケーションをスムーズにすることに繋がります。
一方で、地域性を無視することはできません。東京都渋谷区神南の訛り===NHKの英語講座の訛のことです。
NHK英語講座の訛りが悪いとはいいませんが 、スキットの英語は NHK英語 だいこん役者おおすぎるのです。そこまでわざとらしい発音をする 理由がこちらにはつたわりません。
その地域やコンテキストにおいては最適な発音かもしれません。しかし、グローバルなコミュニケーションを考えた場合、より広く理解される発音を身につけることが効率的です。
教育の目的と効率性
バイリンガル教育において、子どもたちにどのような発音を教えるかは重要な選択です。ネイティブ発音を身につけさせることは、単に「カッコよさ」を追求することではなく、将来的に彼らがより広い範囲でコミュニケーションを取るための基盤を築くことに他なりません。この選択は、子どもたちが将来どのような環境で生きるか、どのような人々と交流するかに大きく依存します。
結論
ネイティブ発音を目指すことは、単に模倣や「カッコつけ」の問題ではなく、効率的なグローバルコミュニケーションを実現するための戦略的な選択です。バイリンガル教育においては、子どもたちが将来世界のどこでどのように生きるかを見据え、彼らが最も効果的にコミュニケーションを取れるような言語能力を育むことが求められます。
新しいプロソディをやってみたらいいしょう
あなたのお子さんが ネイティブ音が効率がいいことを示してくれることでしょう!
論より証拠がいい感じですか?
こっちの方が効率が良いだけのようです🙆
多読も音読も読み聞かせも英語ワークブックもしていません、フォニックスもしていません
お家英語としてはこれがいいと思います。
あっ 日本語ではやってますね!
ネイティブのように話せるようになった途端に
英語文字列は一瞥で読み取りとるようになりました日本人が日本語読むのと同じです!