第7波でのコロナ陽性 その2 | ぱすてるの非公式ブログ

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発熱してから2.3日はほとんど水分以外受け付けなかったのですが
動けないのは食べてないからかも知れないと思い
常備してある冷凍うどんを食べようと思いました。
レンチンで温めて、いつもの粉だしをお湯で溶くだけなので何とか作れます。

食べてみると、うどんは何かの塊を食べている感じ。
全然美味しくない。
まあ風邪ひいた時など、食べ物を不味く感じる事はなくはないので
仕方ないかと思ったのですが、つゆを飲んだ時に強烈な違和感。
えっ!?
なんの味もせず、お湯を飲んでるとしか思えなかったのです。
いつもはとても美味しい出汁なのに。
はぁ~~~
益々気力がなくなります。

グループラインで姉妹に報告すると、梅干しやコーラ、トウガラシとか
もっと味の濃い物を試してみたらという返事。
次には豆腐に「わさび昆布」というロトっとした漬物?みたいなのを乗せて
食べてみたのですが、ピリピリした刺激はあるものの
全く味はしませんでした。
味覚障害確定です。

味がないというのは、食欲に大きな影響がありますね。
もともと食べられる物が限られている状態なのに
更に食べる気がなくなります。
それでも、薬も飲むし、何か体に入れないと回復しないと思い無理やり食べるしかないです。
その後徐々に回復したようで、4.5日で元に戻りました。

相変わらず、発熱しては解熱剤で小康状態になるという繰り返しでしたが
5.6日目にはだんだんその間隔が長くなってきました。
毎日送ってくるハーシスに、体温やパルスオキシメーターで計った数値などを
入力して送り返します。
オキシメーターは都から貸与されるそうですが、うちは以前に手に入れていたので
それで間に合いました。
肩で息をするくらいハアハア言ってる時でも、オキシメーターで計ると97くらいでした。
95を切ると要注意、90を切ったら救急車を呼ぶレベルだそうです。
コロナ以前に相方君が入院した時は87だったので、息が出来ず死ぬかと思った
と言っていたのがよく判ります。

一方、入院した相方くんからは一日に一回程度メールが来て、落ち着いているとの事。
入院できてなかったら、自宅で二人どうなっていた事かと思うとゾッとします。
その時点では、自宅療養は基本的に10日間でしたので、
発症日の8日から10日経った18日が解除の日になっていました。
10日経てば他人に感染させるリスクがなくなるという事でしたが
本人の病状が回復するという事とは別の話です。
10日経っても37.5℃以上の熱がある場合は延長療養になりますが、
ハーシスで自己申告するだけだし、平熱がいくら低くても37.5℃のラインを越えなければ
延長にはなりません。
もちろん検査もないので、陰性なのかどうかは不明のまま。

16日に病院から、熱も下がったので18日に退院を予定していますと連絡がありました。
入院する時はお迎えがありましたが、退院は自力です。
一人で退院して来るのはとても無理だと思うので、迎えに行くつもりでしたが
八王子の高尾にある病院で、もちろん行ったこともなく、どうやって行くのか調べなくては。
でもそれ以前に、果たして私が回復していて行けるのかどうか?
その時点では不安があったので、翌日まで返事を保留してもらいました。
高熱は出なくなっていましたが、咳やだるさは相変わらずです。
病院にも状況はお話したので、翌日多分大丈夫ですとお返事をしたものの、
当日の朝まで様子を見て無理な様なら退院は延期できますと
言っていただきました。

迎えに来れられるのか心配していた相方君から当日の朝メールが来ましたが
何とか行けると返事をして、乗り換え3回で病院に近い駅まで行けて、
そこからはバスかタクシー。
退院しても歩けなければ、タクシーで家まで帰って来る事もやむを得ない
と思っていましたが、思っていたより元気そうで、歩ける様子。
ただ、大きな病院なので出口までが遠く、途中で3回ベンチに座って休憩しながら
タクシー乗り場まで。
最寄りは高尾駅ですが、来るときにエレベーターの位置などを確認したら
避けられない階段もあり、改札からホームまでかなりの距離を
歩かなくてはならないのでとても無理そう。
一つ先の狭間という駅なら小さくて改札からホームまでが近いようなので
そこに行くことにしました。
そこから乗り換え乗り換えで、最後はまたタクシーで
何とか家に辿り着き、二人ともぐったりでした。

その日は不思議と咳も治まっていて、もう大丈夫だと思ったのですが
翌日から以前よりも咳が激しくなり、倦怠感も増してしまいました。
高熱は出ないものの、微熱はずーっと続いて、少し動くと息切れして嫌な汗が出ます。
10分さえも立っていられず、食事の支度が出来なかったので
冷凍食品やネットスーパーでお弁当を買ったりする日が続きました。
相方君もずっと咳は続いています。
姉妹のグループラインを見ると、8月24日にも、まだ動くとゼイゼイして
咳き込むので、とても外に行ける状態ではないと書き込んでいます。

やっとのことで3日に1回くらいの洗濯はしましたが
毎日リビングのイスに座って、テレビをつけるか、
タブレットでジグソーパズルをするかくらいの事しかできません。

ただ毎日時間を潰すだけ。
自分でもなんでこんなことやってるんだろうと思うのですが、動けない。
時々7℃台の熱も出ますが、ジッとしていれば時々咳き込むくらいで済みます。
でも、立って何かしようとするのは無理で、いやんなります。

微熱もずっと続いていたのですが、平熱に近くなってきたと
書き込んでいるのが8月29日でした。
9月に入ってやっと、30分位は立っていられるようになり
休み休み食事の支度が出来るようになりました。
一日調子がいいと、次の日は動けなくなります。
療養期間が終わって2週間以上経ってもそんな状態が続いていました。
9月15日からは聖蹟桜ヶ丘の京王での出展が決まっていたのですが
それまでに体調を整えられるのか不安がありました。

7月下旬にお話を頂いていて、相方君も少し自分で身の回りの事が
出来るようになってきたしずっとイベントをお断りしていたのに、
呼んで頂けたので思い切って出るとお返事をしていました。
ただ、まだ少し相方君の心配もあったので、今回は生徒さんにお声をかけて
何日かお手伝いしていただく様に手配をしていました。
それが結果的に、相方君より自分の体調をフォローしてもらう事になりましたが
とても助かりました。

一番心配だった搬入日と初日を何とかこなして、ほっとしたのか
その日の夜中に具合が悪くなり、吐いてしまったのですが
翌日の午前中を乗り越えたら、少し良くなり
お手伝いの方やお隣の出展者の方に助けて頂きながら
何とか21日までの出展を終えました。
その時にはまだ咳き込んだりすることもあったので
お客様の前で止まらなくなったらどうしようか心配でしたよ。

今週に入りやっと、やっと・・・え!?大丈夫じゃん!って
キッチンの流しの前で、ずっと立っていられる自分がいてビックリしました。
普通に動けるし、動いても変な汗が出ません。
ご飯を作りたくないのは、怠けグセが付いてしまったのかと
自分を疑っていたのですが、体がついていかなかったという事なのですね。
今もほんの時々ですが、咳が出るので一日1回くらいは咳止めを飲んでいます。
完全に脱したとは言い切れない気もします。

人により症状は様々らしいのですが、コロナ甘く見ちゃダメです。
今までの発熱の経験で、それほど高くないと思うような体温でも
倦怠感がひどくて、動けません。
相方が陽性になった時、自分の感染も仕方ないと思いましたが
基礎疾患もないので、多分軽くて済むとたかをくくっていました。
コロナのくくりで言うと、人工呼吸器をつけることはなく
軽症という事になりますが、ここまで辛くて厄介な病気だという実証です。

相方君も、自分より重症だったね、と言ってました。
結果的に2か月弱、無駄な時間を費やすことになりました。

ふと気が付けば、昨日から庭の金木犀が香り初め、もうすぐ10月になりますね。
発症してからの時系列は、もちろん全部覚えていた訳ではなく、
姉妹のグループラインに書き込んでいる物を読み返して書いています。
その時はほとんど音声入力でした。
時々変な変換をするけど、それでも音声入力出来て助かりました。

ブレインフォグという、頭が働かない症状は治っていると思うのですが・・
もしかすると、もしかするかもね。

 

 

ドローンで撮った木曽川の鵜飼 とても素敵!