盛岡大仏から岩手町の彫刻公園を経て、一戸町の御所野縄文公園を巡ってきました。
そして新幹線駅のある二戸市へと入り、金田一温泉にある緑風荘へとやってきました。
ここは座敷わらしの出没する宿として有名で、日帰り入浴も出来る施設です。
座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と呼ばれ、先祖の守り神と言われています。
館内の「槐の間」に泊まり、座敷わらしに出会えると幸運に恵まれるとのことです。
同施設内に亀麿神社(わらし神社)をつくり祀っているので、お参りしてきました。
2009年に起きた火災で、座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社以外が全焼しました。
従業員・宿泊客は全員無事でしたが、しばらくの間、営業停止状態となります。
その後2016年に新しい本館が建設されて、無事に営業を再開したそうです。
座敷童の里を訪問した後は、引き続きR4を北上して、三戸城山公園へ移動します。
戦国時代、この地方を治めていた南部氏が、この高台へ城を移して三戸城としました。
その後南部氏の居城は盛岡城へ移りますが、三戸城は城代や代官が置かれます。
今日でも石垣や堀跡など、往時を偲ばせる遺構が多く見られ、多くの人が訪れます。
この時期は様々なサクラが咲き誇る青森県南随一のサクラの名所としても有名です。
公園内には、南部氏の歴史資料を展示している天守閣風の三戸城温故館があります。
公園内には、南部氏の功績を刻む拠り所として創建された「糠部神社」もありました。
ここは学問武芸、家内安全、勝負運、五穀豊穣、商売繁盛などのご利益があります。
もちろん、こちらにもお参りして、この旅の無事をお祈りしておきました。
城山公園を出て、R4からK233へとルートを変え、次は五戸町へとやってきました。
ここでは旧豊間内小学校を活用した入館無料の「ごのへ郷土館」へと立ち寄ります。
五戸町の歴史・民俗・産業・文化を知る資料館として2018年にオープンしました。
ここでは五戸町の埋蔵文化財(土器、石器等)、民俗文化財(農具等)、古文書、
ジオラマ模型などをはじめとした南部鉄道資料などが展示されています。
まさに学校の教室で、町の懐かしい風景も臨場感たっぷりの映像で見られます。
ちなみに青森県南東部から岩手県北部には、「戸」のつく地名がたくさんあります。
一戸、二戸、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸があり、四戸だけありません。
この地名は昔はあったのですが、江戸時代の行政区分変更でなくなったとのことです。
この他、目を惹いた展示は、五戸と八戸を結んでいた南部鉄道の説明パネルです。
実際に南部鉄道が走っていた場所の地図や、実際の発車時刻表などもありました。
当時の路線のジオラマも展示されていて、ボタンを押すと列車が走りだします。
館内の展示を見終わったら、校庭にある展示を見てみることにしましょう。
何とかつて南部鉄道で使われていたディーゼル機関車DC351が保存されていました。
南部鉄道は1929年から、十勝沖地震で被害を受ける1968年まで営業しています。
この車両は、地震の1年前に京都府の加悦鉄道に売り渡されたものということです。
加悦鉄道は1985年鉄道運行を終了し、その後は加悦SL広場にて展示されていました。
そして2022年に、この車両の故郷である五戸町に保存される運びとなったそうです。
見どころ満載の「ごのへ郷土館」を後にして、K15でおいらせ町へと向かいます。
そしてR338へと左折し、幸運橋で奥入瀬川を渡ればおいらせ町の市街へ入りました。
ここは隣接する八戸市、三沢市のベッドタウン化が進んでいる新しい町のようです。
※Part7へ続きます。
今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
ではおやすみなさい(^^)。
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