セローで春のお散歩とちぎ旅 Part4 | 生涯旅人の徒然日記

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気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

季節風の影響が少ない栃木県南西部へ、せろおくんと一緒にお出かけしました。

 

そして下野市の薬師寺跡から真岡市の大前神社と、歴史的スポットを巡っています。

 

続いてはR294で、益子町にある「益子焼窯元共販センター」まで移動します。

 

 

巨大なタヌキは「益子ポン太」という名前で、益子のランドマーク的存在です。

 

ここは焼き物のデパートで、タヌキの置物をはじめ、種々の陶芸品があります。

 

目を惹くような立派な作品もあり、見ているだけでも楽しいので、おススメですよ。

 

 

共販センターを見たら、続いては益子陶芸美術館のほうへと歩いて移動します。

 

小高い山を登ると、左に美術館があり、右に「旧濱田庄司邸」がありました。

 

今回は入場料が無料の「旧濱田庄司邸」のほうを見学してみることにします。

 

 

旧濱田庄司邸は、実際に濱田庄司が住んでいた茅葺の邸宅を移築し公開しています。

 

濱田庄司氏は、昭和に活躍した日本の陶芸家で、民藝運動の中心的な活動家です。

 

おもに栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖となった人物だそうです。

 

 

この家は、江戸時代後期に市貝町で建築され、その後、茂木町に移築されたものです。

 

庄司が1930年に購入した最初の建造物で、土間は改造し初期の作陶の場となりました。

 

その後は母屋としてばかりでなく国内外の訪問者の交流の場としても使用されます。

 

 

敷地内では、移築復元した濱田庄司愛用の「登り窯」を見ることもできました。

 

この窯は,下から上へと伝わる余熱を利用するため、燃料が節約されます。

 

無料でこれらの貴重な展示物を見学出来て、なんか得した気分になれました。

 

 

次は、K230からK1を辿って、益子町北部にある「虎渓院 円通寺」へやってきました。

 

駐車場にバイクを停めて、表門から参道へと歩いて進むことにしましょう。

 

表門は室町時代に作られた国指定重要文化財で、門の脇から境内へ入ります。

 

 

参道の階段を登りきると、赤い屋根が大きくて立派な本堂が見えてきました。

 

1402年良栄の開山により創建されたと伝えられ、当初は学問寺だったそうです。

 

そして1541年に大伽藍の一部が焼失しますが、1574年には勅願所となっています。

 

 

本堂より左手のほうへ移動すると、宝物殿の近くに真っ赤な観音堂が現れました。

 

こちらも本堂と同じく、屋根が大きくて綺麗で、とても立派な作りですね。

 

ちなみに、観音堂の近くには、願掛け夢観音も祀られていました。

 

 

さらに階段を登っていくと、県指定重要文化財になっている一切経塔があります。

 

円通寺は金沢文庫や足利学校と並び、日本三大学府である大沢文庫があったお寺です。


それゆえ、貴重な書籍や経典がたくさんあって、38棟もの学生寮が存在しました。
 

 

その面影を伝える「一切経塔」は江戸時代1809年に再興された趣深い建物です。


建物の前には涅槃釈迦像がありますが、学びの場所なのに寝そべる姿が面白いです。

 

紅葉時には境内のライトアップが行われるそうなので、機会があれば見てみたいです。

 

 

円通寺を後にして、はが野グリーンコリドールという農道で東へと進みます。

 

やがて宮岡橋で鬼怒川を渡るのですが、近くに「冠水橋」があるので立ち寄ります。

 

橋へと向かう道は砂利道で、せろおくんで来たので、難なく先へと進めました。

 

 

橋の名前は「東蓼沼橋」で、渡るには重量制限があり、1トン以下の車両だけです。

 

バイクはもちろんOKですが、地元の軽トラックも普通にこの橋を渡っていました。

 

橋の途中2ヶ所にすれ違いのためのスペースがあるので、鉢合わせても大丈夫です。

 

 

対岸の土手の上には「川の一里塚」なる石標が建っていて、お地蔵さんがいました。

 

一里塚は江戸時代に、旅人が目的地へ到達するまでの目標として設置されました。

 

そんな一里塚を最後に、今回の旅は終わりとなります。この後無事に帰宅しました。

 


今回のレポートはここまでで終了です。
 

最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。
 

 

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