寒い週末の土曜日に、群馬県前橋市のスポットを巡るツーリングに出かけました。
歴史資料館から光巌寺、宝塔山古墳を経て、敷島公園のテクノばら園まで来ました。
テクノばら園を散策していると、敷地の片隅にレトロで綺麗な建物が現れます。
ここは、日本一の蚕糸の町として栄えた前橋の歴史を伝える前橋市蚕糸記念館です。
建物は、明治45年に建てられた国立原蠶種製造所の事務棟を移築したものだそうです。
擬洋風の素敵な建物ですが、残念ながら訪れた日は、内部公開されていませんでした。
続いては、同じく敷島公園内にある「前橋市水道資料館」へと移動してみます。
公園内の地下水を汲み上げ、前橋市民に水道を給水する敷島浄水場になっています。
事務所は資料館として再生されていますが、この日は公開日ではありませんでした。
次は、榛名山・浅間山・妙義山の山並みを臨める楽歩堂前橋公園にやってきました。
ここにある重要文化財「臨江閣」は、大河ドラマ花燃ゆのロケ地としても有名です。
3棟から成る美しい近代和風の木造建築で、内部を無料で見学することが出来ます。
本館と茶室は明治17年、当時の県知事・楫取素彦や地元有志によって建築されました。
そして明治43年に貴賓館として建築された別館は、書院風建築となっています。
平成30年に、本館・別館・茶室の3棟が国の重要文化財に指定されました。
本館は木造二階建ての数寄屋風建築で、明治天皇や皇太子なども滞在されました。
さらに1945年からは市の仮庁舎、1981年まで市の公民館として利用されました。
その後は2007年まで、公民館別館として利用されていました。
せっかくなので、入口で靴を脱いで、広い館内の見学もしていきましょう。
あいにくこの日は団体の利用があって、本館2階は立ち入れませんでした。
しかし、別館や本館1階にある前橋市政や要人にまつわる展示も見れました。
こちらは時期的にでしょうが、たくさんのひな人形の展示がなされていました。
前橋市民から寄付されたという、古くからのひな人形が数多く見ることが出来ます。
ひとつひとつチェックすると、とても珍しいお人形を発見することが出来ますよ。
別館は明治43年、一府十四県連合共進会の貴賓館として建築された威厳ある建物です。
書院風建築の建物1階には60畳の西洋間が1室、日本間が7室あります。
また2階にある180畳の大広間では、詩人の萩原朔太郎の結婚式も行われました。
「臨江閣」の見学も終えて、続いては「萩原朔太郎記念館」へ移動してみました。
萩原朔太郎は前橋市出身の詩人で、北原白秋に師事し「みちゆき」でデビューします。
この記念館には、朔太郎の生家の土蔵・書斎・離れ座敷が移築保存されています。
書斎は、生家の裏庭にあったもので、味噌蔵として使われていたものを改造してます。
離れ座敷は、来客の接待用で、北原白秋、若山牧水、室生犀星なども訪れました。
土蔵は、ノートや原稿、朔太郎あて書簡など数多くの資料が保管されていました。
次は近くにある「萩原朔太郎記念 前橋文学館」へ、500円を支払って入館します。
詩人萩原朔太郎は口語自由詩を確立し、近代詩史に大きな足跡を残しました。
ここでは、朔太郎や平井晩村、高橋元吉などの詩人たちの資料を展示しています。
朔太郎は、1917年の第一詩集「月に吠える」で、一躍全国に名を知らしめます。
その後も「青猫」「純情小曲集」「氷島」など次々に名作を発表し続けました。
日本近代詩に不滅の金字塔をうちたてた、まさに群馬県の有名人の一人です。
文学館の内部でまず目を惹いたのが、白い壁に書かれた大きな文字の誌です。
通常は原寸大の原稿などが展示されますが、これはデザイン的にも画期的ですね。
さて、他にもたくさんの工夫を凝らした展示があるみたいなので楽しみです。
1階の映像展示室では、「萩原朔太郎 詩と生涯」の映像資料が見れます。
萩原朔太郎の詩の世界をモチーフに作られたからくりボックスシアターもあります。
今回は、「アンダー・ザ・ウッズ」「アンダー・ザ・ムーンズ」が見れました。
2階の朔太郎展示室では前橋が生んだ近代詩の巨星・萩原朔太郎の生涯や業績、
趣味や友好関係などを、自筆原稿、書簡、著書、雑誌、写真により紹介しています。
また、「詩のステージ」では朔太郎詩の朗読が映像とともに楽しめます。
※Part3へ続きます。
今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
ではおやすみなさい(^^)。
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