わたしはいちばん愛されたことを知っている。

 

 

小さい頃から、

わたしは一番目だなってよく思ってた。

 

2人姉妹の長女。

いとこたちの中でも年が一番上。

 

お兄ちゃんお姉ちゃんの存在がいない。

なぜか、「なんでだろう~??」と、

ずっと気になってた。

 

 

 

子どもの頃はわからなかったけど、

20代後半くらいのときに、

一番目が特別なことを知った。

 

赤ちゃんの頃のアルバムを振り返ったときに、

お母さんが成長記録みたいな手帳に、

わたしのことを細かく書き記してたのを発見した。

 

でも、妹の手帳にはなんにも書いてなかった。

白紙・・・。

 

 

 

きっと、そういうのを書く時間や余裕が

なくなったんだろうね。

子どもが2人になって。

 

わたしが生まれたときは

お父さんもお母さんも

子育てが初めてで、思考錯誤して、

いろいろ気を付けてたけれど、

妹のときには慣れて、

いい意味で適当になっていったんだろう。

 

だから、姉妹で一番上のわたしは、

いろんなことに気を遣われて育てられたんだと、

そういうことを想像してたら気付いた。

妹が生まれるまでは、親の愛を独占してた。

 

 

 

あと、いとこたちの中でも一番年上だから、

わたしは父方母方両家の

おじいちゃん、おばあちゃんにとって、

初めての孫キラキラ立ち上がるキラキラ

 

わたしは4人全員の初孫。

そんな事実に気付くだけで、

わたしは無条件で愛されてたんだな~

って、想像できる。

 

わたしが誕生したとき、

わたしは全員の愛情を独占した。

 

 

一番目はきっと、

誰かとのツーショット写真も多い。

一緒に写ってるアルバムを見ても、

みんなが嬉しかったんだな~って、

誰かに聞かなくてもわかる。

 

 

あとは、

血が繋がってるおじさんたちにとっても

わたしは初の姪っ子でもある。

 

 

わたしはとにかくみんなの一番目。

 

 

わたしは生まれたとき、みんなの愛を独占した。

 

 

 

だから、わたしは愛されたことを知っている。

 

記憶にはなくても、自覚がなくても、

愛されたことを絶対に知っている。

 

 

わたしの体はちゃんと覚えている。

愛された感覚を。

 

 

 

 

 

一番目は特別。

一番目に生まれる意味。

 

 

誰よりも”愛”を知っていること。

愛が何かはわからなくても。

 

 

7月5日の夜に、

おばあちゃんが亡くなった。

 

 

とうとう、

わたしのおじいちゃんおばあちゃんが

みんな天国に逝っちゃった。

 

 

先週はおばあちゃんとお別れしてた。

 

 

おばあちゃんは最後の5年くらいは、

認知症で、わたしのことは覚えてないし、

入院したり、施設に入ったりで、

ここ3年は会えてない。

このまま会えないのかもなと思ってた。

 

 

でも、生きてくれてるだけでもいいんだな~と思った。

わたしはおばあちゃんの近くにいないから

気楽なことを言うけど。

 

 

 

 

今までは、生きてて存在してくれてたから、

愛情を無意識でも感じられてたけど、

これからはみんながわたしに注いでくれた

愛で生きていかなきゃいけないんだと思った。

 

わたしの体はみんなの愛を覚えてる。

わたしは愛で生かされてる。

そんなことを考えながら、

いちばん愛されたことを思い出していた。

 

おばあちゃんとわたしのツーショット写真ドキドキ

 

 

おばあちゃんの学生の時や

結婚する前のアルバムも発見したキラキラ

 

実はわたしはこのおばあちゃんに

めちゃくちゃ似てた爆  笑

 

知らなかった。

 

若い頃のおばあちゃんとわたしは

同じ顔だった笑

 

 

 

昨日は子どもの頃の写真を

見る機会があって、

 

それで、

「ぉ、わたしってかわいかったんだドキドキ

って思った爆  笑

 

 

 

若い頃のおばちゃんは背が高くて、

上品な感じで、キレイなお嬢さんだった。

 

宝塚に憧れてたけど、

まわりに反対されたらしい。

 

今回、知らないおばあちゃんのことを

たくさん知った。

 

同時に自分のことも知れた。

おばあちゃんがキレイってことは

わたしもじゃん爆  笑笑

 

そう思ったら、

昔の写真のわたしのことがかわいく見えてきた。

そんな意識の変化もあった。

 

高野山に納骨も済ませてきた。

おじいちゃんのときはおばあちゃんと一緒に行ったけど、

あれが一緒に出かけるの最後だったんだね。

 

 

教えてもらってないことがいっぱいあるから、

わたしはおじいちゃんおばあちゃんの

何を繋いでいけるんだろう??

そんなことを考えてた。

 

でも、確実に何かしらを受け継いでいるし、

教えてもらって、

取り入れてることはあるから、

わたしはわたしを生きているだけで、

誰かに何かを伝えていってるんだろうなとも思う。

 

 

 

”愛”が何かは正直わからない。

けど、わたしは確実に知っていることはわかる。

 

今までは、おじいちゃんおばあちゃんを通して

愛を感じてた。

そして、その愛はわたしの中にもあるもの。

だから、これからはわたしの中にある

”愛”を感じて生きていく。

 

 

 

それに、わたしはこの”愛”を使って

何かしたいことがある、そんな気もする。

 

 

 

片山秀美