はカッコつけのお話でした。
僕がカッコつけの次に
取り組んだのが【笑い】でした。
僕の結婚式の友人代表スピーチで、
地元の親友の司が、
「僕たちは、共に甲子園を目指したわけでも無いし、国立を目指したわけでもありません。でもこうして今も集まって、こうして笑顔でいられることを思った時、僕たちの青春は決して間違ってはいなかったことを感じさせてくれます。」
と言ってくれた時、
僕は涙が止まりませんでした。
僕たちの青春は
笑いに包まれていました。
笑えることが大好きで、
年がら年中、仲間のバカな言動やネタに笑わされ、仲間の笑いを取ることしか考えてなくて、
周りの仲間連中も司を始め
面白いヤツらばかりだったので、
自分ももっと面白くなるために、
面白さを極めるために、毎日をバカみたいな笑いで彩っていました。
どんなことやっていたかと言うと、
高校の頃、仲間たちとそれぞれの家にあるイタいファッショングッズ(おじいちゃんの毛玉つきまくりのウールのパンツとか、かあちゃんのありえない色の帽子とか)を持ち寄って、ジャンケンで負けたやつがそれ全部身につけて吉野家で牛丼食べるとかしてました。
しかも「並」を注文させておいて、
食べ終わったら「おかわりください!」って言わせたりしていました。(特盛り頼めよ!特盛り!)
仲間でキャンプっていうか
ログハウスに泊まったときなんかは、
「俺、ケツで割り箸折れっかんね!」
って言い張ってみんなの前に立って、
パンツに割り箸をはさんで、
めっちゃ食い込ませてめっちゃ屈伸して、大股開いて、パンツに割り箸噛ませて、パンツTバック状態になって、くいっくいにフィットさせて、ふんふん助走つけてケツを上げ下げして、そこから全身全霊で一気にビーーーーン!って立ち上がったら、
割り箸ちっとも折れなくて、なんか僕だけビシーーーッて直立不動でたぶん自分で言うのもなんだけど、折れるしか無い動きだったんだと思う。割り箸割るのにこれ以上の動きは無いだろうっていう美しいモーションだったと思う。
あれだけ準備して、在り方も美しくて、迷いも無くて、フィジカルでも十分なアクションしたのに割り箸しーーーんってちっとも折れなくて、
それなのに僕は内村選手が着地を決めたときばりに、しばしビシーーーッと立っていた。E難度決めたときくらい誇らしく。
「おいしい!」っていう気持ちと
「やっちゃった!」っていう気持ちが両方あって、
なんせそれを見ていた10人以上の仲間が沈黙だったから「スベッたのか?!」
って思って恐る恐る振り返ったら、全員声も出ないくらい笑い転げてた。ヒィッ!ヒィッ!って言ってた。
あれは幸せだった…。
…ちょっと文章じゃ伝わらないかな…照
まぁ、なんせ笑いに生きていたんです。
それと、カッコつけの進化系でナンパに明け暮れていました。
しょーーもない遊びとナンパの毎日。
つくばの田舎だったから繁華街とか無くて、夜中になると町で唯一光っていたコンビニを巡ってナンパしてたくらい。
あとは海の帰りに国道6号が渋滞していて全然車進まなくて、退屈だなーってふと後ろの車見たら女子2人組で、早速こっちの車の後部座席の2人が「後ろの子を笑わせる!」って言いだして後ろに向かって人形劇したり、半ケツ出したり、バントのサイン出したり、歩道まで出ていって
キャッチャーのマネ
したりして、それでもちっとも笑ってくれなくて、どんどんエキサイトしていって、誰が最初に笑わせるかみたいになって、運転も交代して、かわるがわる面白いことやってもピクリも笑ってくれなくて、めげそうになったけど後にはひけないってムキになってネタを披露していたら、
途中で気づいて爆笑してくれて、そこから爆笑の連続で、結局その子たちと仲良くなったり笑
本当に気付いてなかっただけだったことが分かって、自尊心が保たれたみたいな経験もあります。
自分の青春を、
あえて一言で言うなら
【笑い】だったと思います。
そんな僕の初めての挫折は、
アメリカでした。
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