食べ物に関しては、これを食べると体にいいよ、か、これは食べないほうがいいよ。
の、どっちか。
前者は足し算、後者は引き算、って感じかな。
断食は引き算に近いけど、引き算というよりは、ゼロにするやり方。
全てを断ってみる。食べ物だけじゃなくて、体の内外からの刺激を意識的に断つ。つまり捨てる。
ヨガや瞑想にも相通じる部分でもあるんだけど、この、捨てるっていう行為はとっても難しい。
目に見えるもの、これを捨てるのは、案外と難しくない。見なければ忘れる程度のものなら、捨てるのは簡単。
どんなにチャランポランに生きているように見える人間でも、誰もが、人生の分岐点で、どの道に行くかを考え、それが積極的な選択か消極的な選択かは別として、行く道を決める。
そうやって生きてきた自分の道、自分が正しいと信じる道があって、それが先に進むモチベーションなだけに、自分のチョイスになんらかの誤りがあったかも、などとは滅多に考えないし、あれ、もしかして、と思っても、すでに長い年月をその信念で生きてきていたら、それを検証しようすることもやはりない。
そして、そうやって積み重ねてきたものを、なんらかのきっかけで手放す時の喪失感は、実際、とても大きい。
私は、インドに5年半いて、ヨガを学んでいた。帰国したらヨガを主な仕事にするつもりで、後半の3年間は、教えるということを念頭に置いて毎日レッスンを受けていた。
そのインド滞在にしても、それまでの日本での生活を、大げさに言えば、捨てて決めた道だった。
まさか、ヨガを教える生活とは別の仕事に自分が進むとは思いもしておらず、それまで24時間体制でヨガに携わっていた生活を終え、ヨガから離れる決意をするのに、丸3年もかかってしまった。
私の中で、せっかく、あんなに頑張ったのに!っていう、過去の自分への思い入れと執着が強すぎて、なかなか断ち切れなかった。
そして、断ち切れていない間は、次の道もはっきり決まらず、なんだか中途半端な状態だった。
ヨガを教える生活でなくなる自分が想像つかなかったから、ふんぎれなかった。
こういうこと、これまでの人生でも何度もあったな~とため息ついてたこともあった。そういう、迷っている時の自分も嫌いではないと思えるところが、ヨガのおかげだと思うと、これまたやっぱりため息ついてって状態。
結果、一度断ち切ったヨガには、別の形で関わるツールを見つけ、そのツールは自分の今後の生き方にぴったりで、今は、技術習得に邁進中の毎日。
完全に断ち切らなかったら今の時間はない。去年、学校に通ったのも、今勉強に通っているのも、やっぱり断ち切ったから。
私のキャパが狭いからか、何か捨てないと新しいものが入ってこれない。スペースがないっていうのか、あれもこれもと追いかけると、結局、どれも習得できない。
そう、何かが自分の手から離れたってことは、その空いた場所に新しい、未知との出会いが用意されているってこと。
そう!
だから、今日、自転車を盗られたことを嘆いてはいけないのですね。
たまたま自分の自転車がパンクしたのかもしれない、そんな時すぐ隣に私の自転車があったとか。家に電話しようにも携帯電話もお金ももってなかったとか。ご家族に不幸があって急いでいたとか。
そういう困っている人に、結果として手を差し伸べられたのだから、幸せなのです。
これまでの人生、本当にあちこちでたくさんの人たちにお世話になり、有形・無形のものをもらってきた。だから、たまにはお返ししないとね。
それに、もしかしたら、明日、新品の自転車を誰かがプレゼントしてくれるかもしれないしっ!!
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ほんとか・・・・・・?
断食を日常的に取り入れるようになってかれこれ5年になり、ちょっと前に日本で流行った『断捨離』を無意識のうちにもやっていたはずが、今もって自転車盗られたぐらいで動揺する私です。ああ、人間小さいです、はい。
こんなので、断食ブログなんか立ち上げてしまって、この先、大丈夫かな・・・・・・。
