今年2016年は、日本とボスニアの国交樹立20周年なのだそうだ。
昨年任命された、第三代駐ボスニア日本大使の小川和也がKlix.baのインタヴューで20周年に触れつつ、日本からの投資拡大が自身の最重要任務であると答えている。
日本大使館により、今年は日本関連のイヴェントが多数行われている。
その内のひとつとして、ボスニア国立美術館で昨日5月31日まで開催されていたのが、「現代日本建築」。
展覧会が始まって大分過ぎた平日の昼間に出かけたので、誰も見学者がいなかった。
東京で生活していた時には、雑司ヶ谷に住んでいたのだが、全く用事がなかったので飯田橋の駅で降りることがなかった。その為、飯田橋の駅外観がこんな奇抜なものと、サライェヴォで初めて知ることになった。
ボスニアが国家として存在したのは、中世ボスニア王国を除けば1992年の独立宣言以降だけである。その為「外交関係」として見れば日本との関係は20年なのであろうが、20世紀初頭にはボスニアに日本人が姿を現している。
他方でボスニアから日本への関心も存在した。1912年1月20日にサライェヴォで商人組合主催により「長崎の夜 eine Nacht in Nagasaki」と題された仮装舞踏会が開催された。『ボスニア・ポスト』によれば、会場ホールは日本の旗、ランタン、傘や扇子が飾り付けられ、四隅には日本風藁小屋が設けられ、茶、コーヒー、お菓子やシャンパンが売られていた。これら以外にも吹き向けホールやアーケードに日本製品を売る市場や喫茶テントが設置され、「日本の服装をした女の子たちが売り子を務めていた。Fräuleins in japanischer Tracht fungierten als
Verkäuferinen.」
[Eine Nacht
in Nagasaki, Bosnische Post Jahrgang XXIX Nr. 17 (22. I. 1912), S. 3.]
この「日本の服装をした女の子」とは具体的にどのような服装なのだろうか? 残念ながら具体的な描写も絵もない為分からない。しかし『サライェヴォ日報』では、この二週間前「最新モード」という記事の中で「日本人女性コスチューム」を紹介している。これは上述した仮装舞踏会とは全く関係のない記事であるが、当時のボスニアにおける「日本人女性」の表象を知る手掛かりであろう。
[Die
neuesten Moden, Sarajevoer Tagblatt Jahrgang V Nr. 4 (6. I. 1912), S.
10.]
以前ブログで紹介したが、当時ボスニアを訪れた日本人女性はただ一人、「マダム・ハナコ」である。彼女は前年1911年2月22日・23日にサライェヴォで「おたけ」と「茶屋」を公演している。両演目を全く知らないので、その内容を詳しく調べた上で判断すべきであるが、この公演が上記の日本人女性コスチューム観に影響したのかもしれない。



