『地形と歴史から探る福岡』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

金曜は午後から太宰府図書館行き。読みかけて締め切り時間切れになった1冊と、気軽に読めそうな新たな2冊を入手。


地元の図書館からは2冊借りていて合計5冊だが、1冊は既に読み終わり1冊は半分くらい読み終わった。前回は読みやすい本ばかり借りて来て、ちょっと物足りない感じだったのて今回くらいがいいかな?


ま、実際に読んでみないと分からないのではあるが。




『地形と歴史から探る福岡』

石村智著、MdN新書012、2020年。


珍しい名前の出版社。調べてみたら、情報技術分野の親会社を持つとか。


福岡は大陸と近く、肥沃な平野を持ち、古代は二重にラグーン遠持つ理想的な港を提供する土地。p3  p32


これまでの定説は渡来人である稲作農耕弥生人が在住の縄文人を征服したとするが、考古学的証拠では渡来人は僅かで婚姻を通じて交ざり合ったとする。p6


こうしたことは最近(2020年以降)の古代人の遺伝子研究からも支持されているが、それが著者が言うような「受け入れられた」のか?   支配・征服ではなかったと言い切ることは出来ないと思う。新大陸をスペインが支配した場合と同じだった可能性はある。


いずれにしろ、当時は丸木舟の様なもので渡海したわけで、人数が僅かだったことは確実。構造船が出現するのは古墳時代以降だから。だから例え船団を組んだとしても、数の上で少数派だった事は間違いない。


また、著者は旧石器時代に列島への渡海の理由を列島の豊富な食料、特にナウマンゾウを挙げるが、p24  p26


論理学的にちょっとおかしな話。渡海しなければ、象がいるかどうかは、わからない情報で、大陸の彼方から見えたわけではない。


個人的には渡海した人達は元々、海洋人で海の幸を食料源とした人達だと思う。また、海進期で海が広がったことにも適応しなければならなかったからだろう。


縄文前期は「海進期」で今より2〜3m海水面は高く、海岸線はかなり内陸迄入り込んでいた。p25


その想定図が27頁にある。これを見ると博多湾と有明海は繋がっている。


この事は、別の本でも指摘されていたが、まだキチンとした証拠を知らない。


いずれにしろ、この時期(8,000年前)に九州と半島との交流が活発になった事が曽畑式(そばた)縄文土器から言えるとか。 これは櫛の歯の様な道具を用いて表面に文様を施した土器。p26