『古代中国の日常生活』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<本日は春分の日>

リタイヤ人に祭日もないが、そこはそこ。

 

アラームなしで何時もの時間に目覚めるが、布団の中でヌクヌクと過ごしました。さあ、今日は遊びたおすゾ!爆笑てへぺろ

 

 

 

素晴らしい❗️ これだけクラウドファンディングで集まるて凄くない?

 

 

 

 

 

 

<小麦の調理法>

小麦の中国への伝播に関して、調理法との関係を調べてみた。

https://www.syokubunka.or.jp/publication/gallery/ishige/archives/noodle/chapter2.html

上のリンクを読み、総合的に考えた結論が以下の通り。

 

古代小麦が最初に栽培され、食料として絶大な価値を獲得したメソポタミアでは最初から粉食=パンとして調理されていたみたいだ。

https://delsole-komugigohan.jp/komugigohan/wheat/culture.html

 

ところがシルクロードを通り、(インド経由との説もある)中国に小麦がもたらされた時代。中国では既に粉食から粒食に転換していたので、最初は粒食でこの新しい穀物は食された。つまりの形で。

 

これは先の著者によれば籾殻が大量に含まれ「不味い」食べ物だったのであまり普及しなかった。そのうち、本来の粉食、つまり突き臼ではなく、挽臼で細かく粉末状にされてパンの形で食されるようになって、人気が出て大量に生産されるようになったみたいだ。

 

つまりタイミングがズレた事が小麦の導入が遅れた理由?

 

 

 

 

昨日『古代中国の日常生活』を読み終えた。色々、批判的にここでは検討したが、結構楽しめる本。「お勧めの1冊」としてもいいかも?  もうしばらく紹介は続きます。

 

『古代中国の日常生活』3

著者はこの物語の舞台を前漢、後漢の間の「」に置いている。この新しい王朝の皇帝「王莽」は常に正当性に疑問を持たれていたので彼自身、儒家だったこともあり常に前王朝の歴代皇帝に対して敬意を払う儀式を執り行っていたらしい。p144

 

因みに前漢の哀帝の時代(BC27~BC1)年間3万7000回の祭儀が執り行われ膨大な国家財産が浪費されたらしい。こうしたことが帝国の弱体化を引き起こしたのだろう。p154

 

塩分の多い土地に植わっている白楊はこうした乾燥地帯での数少ない建築材料だったとか。p166

https://gkzplant.sakura.ne.jp/mokuhon/syousai/hagyou/ha/hakuyou.html

 

帝国の穀物都市、京師倉には沢山の倉庫があり100万担(一担=32kgとして、3200万kg=3万2千トン)の穀物を貯蔵していたとか。p167

 

この倉庫は通気性が重要で地面と床の間に80〜90cmの隙間を作り、壁にも網目状の穴と通気口が開けられていたとか。p171

 

つまり、ネズミの被害から守らないといけないので多分、猫が沢山飼われていただろう。

 

ここで重要なことが書かれていた。倉庫は敵から守らないといけないので防衛施設の背後に配置されていたとか。p174

 

成る程! これが大野城の倉庫の意味か!! まさに大野城は幾重にも防衛施設に守られた太宰府の背後