ハロウィン & 『神功皇后伝承を歩く』下3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

昨夜はハロウィンパーティー


別に仮装するわけでもなく、普通にsalsonとして参加。半分くらい仮装してたのでちょっとウキ気味キョロキョロキョロキョロ


街は去年の渋谷での混乱や、韓国の事故のせいか規制が敷かれていた。

なかなかの混みよう


ナビにもこの時間にしてはラッシュの表示。幸い激安パーキングは最後のスペースにセーフ。


パーティーでの様々な出し物 


まずちびっ子仮装行列


歌に

モダンダンス? ドイツから来日中とか。


オリエンテの演奏


仮装大賞受賞者。左端は連続優勝したシニアダンサー。目標とする人。


そんな、こんなで3時間以上。ショーが多かったので、それほど疲れず。




『神功皇后伝承を歩く』下3

最後の章はいよいよ三韓遠征後の騒動の話。


記紀では瀬戸内海の行橋市に、今川を下って出た皇后の船は逆から、つまり北上して豊浦宮の前の海上を素通りして北九州の到津八幡に陣を構えたことになっている。遠回りしたわけだが、これは待ち伏せ攻撃のリスクを避けるためではないか?

 

ここまで船を用意してから帰国し北九州の豊山八幡に陣を構えるまで三年を経ていたとか。p143

 

半島での戦争の準備、すなわち味方集め(そのための裂田神社での用水路造成など、前報酬)船の造船など、考えれば納得できる。この本の中でもそれが指摘されている。p155

 

先に示したように中国の正史である『新唐書』『宋史』では15代神功天皇と記載している。p158

 

著者は最後に豊浦宮への新羅の襲撃は唐突なことではなく、古くからあったとの伝承をあげて、半島と北九州の深い関係を示唆しているとする。p164

 

これには納得だ、さらに神功皇后自身が半島の王権の継承権すら持っていたのではないかとすら個人的には感じている。

 

「あとがき」で著者は記紀に書かれなかった風土記や社史に正史があえて書かなかった歴史の真実があるという。166

 

それはそうかもと感じる。正史はいつの世も当時の権力者に都合よく書かれるもの。