上から目線 & 『中国全史』下巻6 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=Kgha36EPdf0&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=2

HSK4~1 #12~#2 背了三十七分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=CkFBFdvTWEk&list=RDCMUCgv73JUFDUd_nIulI_VECKQ&index=12

中国まる見え情報局11~12 十八分钟。

 

https://www.youtube.com/watch?v=dxOhMZocigg&list=PLkry8pUG1m4tRSuIPM_R2Rs3Ysai1A3dp&index=4

Eko,0~16min。学了十六分钟汉语和英语。

 

https://www.youtube.com/watch?v=XDTfNAWoDAs

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,0~34min,听写一个小时句子。

 

https://www.youtube.com/watch?v=wzXAR8d4w-E

興梠一郎频道,看了十五分钟興梠频道。

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,1h51min~1h59min,0.75速度,x2,背了半小时单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=2lDsPpHEzt4&list=PLE591C0467F171909&index=9

中国語中級文法講座9,学了十五分钟汉语作文, 

 

https://www.youtube.com/watch?v=lU53VuArWBk

ミオのぶらり街歩き,二十四分钟。一共三个小时三十五分钟。

 

运动;爬山散步  1.9km, 2976步, 6楼。

 

 

 

 

<上から目線>

上から目線で世の中を批判し、問題点を指摘しつつ(それにより自分の高貴さ、正当性を誇る?)それでいて、何も社会の改善のための汗をかかない人。そんな人が私を苛つかせる。その人に言わせると「日本人の質が低下して、日本は衰退に向かっていて、取り戻しようもない」そうだ。『何様のつもりだ!」と言いたい。 万が一そうであるとしても、

 

『それで貴方は、そんな社会を変える為に何をしてきたの?』

 

と問いただしたくなる。口先だけの輩、自分だけ高級な人間のつもり、評論家面しやがって!といつも感じる。誰とは言わぬが、時々参考にしているblogの主に対し、昨日もそんな気分になった(汗)

 

評論家然と「偉そうに御託を並べる」暇があれば、知恵を出し行動せよ。

 

 

 

 

<元雄野良猫>

時々やってくる野良(右耳カットが印です)。これもコロコロ太って全然人見知りしないので確実に「家の子」。今朝も目の前でひっくり返って見せた。但し噛み癖があるのが困りもの。コラ!と叱ると地面に伏せるが逃げはしない。

 

 

 

 

 

 

<オンライン教育>

先日AK氏がクラス全員の作文の添削をやっていると聞いて、大変だなと思った。

 

 

私もレポートの添削をやっていたが100人分はとても無理。一部、2〜3人の分を添削例としてオンライン掲示板にあげていた。つまり、15年以上前から最近流行のオンライン教育を進めていたことになる。当時は一部の学生しか観ないという覚悟の元にスタートしたが、それがコロナで一般的になるとは!

 

最初の授業のオリエンテーションで掲示板の使い方を紹介。これは新しいバージョン。15年前はガラ携だったのでテキストのみ。その後、PCが一般的になり画像を入れるようになり、やがてスマホ対応に変えてきた。この図はスマホ対応の最終版。

 

最終講義での紹介2例。

 

YouTubeの動画は広く利用させてもらった。YouTubeに感謝です。センター試験(当時)を受けずAOや推薦で入ってきた学生。特に受験で化学や物理を取っていない学生に必要な高校レベルの内容から、アドバンスレベルの内容も加えた。でないと大学で学ぶ意味がない。スマホも使いよう。

 

但し、利用状況はいつも定期試験前に限られる。これは当時の状況では仕方ない。殆ど見ていない学生もいたよう。

 

コロナでのオンライン1本授業は大変だったと思う。でも、この経験を今後に生かさないといけない。いや、大学教育がこれを契機に変わらないといけない

 

 

 

 

 

『中国全史』下巻6

清朝の最盛期に康乾時代に人口が増えたことが、その後この王朝の足枷となる。これはどの時代にもあったことで、人口の減少が問題になっている現代日本では完全に忘れられていることでもある。人口減少が、少子化が大問題化されるが、地球には物理的限界がある事が忘れられている。

 

この時代に既に常州の洪亮吉(1746−1809年)という人物が1793年に『治平篇』という本の中で人口増加と地政学的危機を論じているらしい。これはあのマルサスより早い! 驚くべきことだ。勿論、これは目の前の危機として人口増加が顕著となり危険が目に見えてきたからだろう。p140

 

アヘン戦争前夜の世界の情勢を見渡すと、敵となるイギリスにはそれなりのお家の事情があったようだ。即ち、アメリカの植民地が独立し手から離れ、フランスとの衝突が現実味を帯び、南インドの支配が確立し、この国は本国、インド、そして中国との三角貿易を拡大する必要に駆られていた。

 

本国の繊維>インドのアヘン>中国からの銀の三角貿易である。p136

 

そうして、ある意味イギリスの仕掛けた戦争とも言えるアヘン戦争が始まる。

 

香港情勢に絡み、先日アヘン戦争から太平天国に至る陳舜臣著の小説風<大河ドラマ>?を読んだが、ここではその現実篇が語られる。

 

1787年時点で年間4000箱のアヘン取引が1833年には3万箱まで増えたらしい。この一箱には77Kgのアヘンが入っていたとか。また中毒者は沿海部を中心に1200万人に登るとも。p145

 

英国本土では禁じられていたアヘンが中国には激流のように流れ込んだことになる。その後の経過は先の小説、『阿片戦争』の通りだが、敗戦後の1843年の南京条約の直後、魏源という人物が近代中国において重要な指針となる『海国図志』なるものを出したとか。彼はこれまで中国の大陸国家的発想から海洋国家への変貌を主張したものらしいが。著者によれば現在の中国の南シナ海への進出イデオロギーの起源とする。p151

 

しかし彼は失意のうちに杭州の寺で世捨て人になり、太平天国の乱の際に命を落としたとか。p178