『物流の世界史』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

昨夜はコロナ後初めて激安駐車場が満杯で入れなかった。ようやく人が戻ってきた?! Salsonの帰り、ワザワザ遠回りをして中洲経由で帰宅してみたら、遅い時間帯なのに凄い人出。良きこと良きこと♪ 何時までもコロナなんかに負けないゾ!!

 

Salsonでは張り切って沢山踊る。8時スタートの状態では人が少なかったが、9時過ぎると急に人が増えた。写真は8時台で人が少ないので女性のサルサの先生が男性役に回っている。右端も先生がフロアーに。



 

初めての人数名、内二人は全くの初心者。女性はいいよね、初めてでも踊れる。男性はフロアーに出るには少なくとも1年以上の鍛錬が必要。自分のステップ、振り付けだけでなく、リードがありますから。

 

Salsonでしか踊ったことがない人が「足はもう大丈夫ですか?」と質問された。噂を聞きつけてのこととか。恐縮至極、色々な人に心配をおかけしました。とりえずほぼ回復。癖にならないよう用心が必要。

 

 

 

 

『物流の世界史』3

第2のグローバル化は第二次世界大戦後、GATT誕生を持って著者は考えているようだ。ブレトンウッズ体制は国際貿易の促進と、もう1つ重要な目的があったという。即ち、第三次世界大戦を起こさないこと。最初の目的の貿易の促進は簡単ではなかった。理由は戦争で世界が疲弊していたから。そこで米国からの援助によるマーシャルプランがスタートした。p52

 

このプランの目的はそれだけではなかった。冷戦構造の中でソ連に対抗する同盟を築き自由市場を促進することだが、かつての敵味方の反目は続いていた。しかしヨーロッパはドイツの参加抜きにはこれが難しいことを理解し始めていた。そこでまず部分的な協力関係、特にエネルギーとしての石炭と、工業製品としての鉄鋼から最初の一歩を踏み出した。これが『欧州石炭鉄鋼共同体』だ。不公平な商習慣を撤廃し西欧全体に自由に販売できる体制作りだ。p53

 

しかし1960年代まで西欧以外の世界はまだ始動は弱かった。これに風穴を開けたのが、著者が有名になった、「コンテナ革命」だ。この始動は1956年だという。これは物流コストを劇的に低下させたという。p62

 

1950年代まではバラ積みで、貨物の積み込みだけで2週間と100人以上の港湾労働者が必要だったという。それゆえ大西洋航路の輸送に3ヶ月かかり、輸送費は商品価格の10〜20%を占めた。また盗難や損傷のリスクも高かった。p64

 

更に効率を上げるため、やがてコンテナを統一し、10, 20, 30, 40フィートのコンテナを組み合わせで40フィートの基準にしたらしい(1961年決定)。p69

 

やがてこれは太平洋航路にも導入されたが、最初は採算が取れないと考えられていたらしい。これが変わったのはベトナム戦争。大規模な兵站の必要が出てきた。p71

 

1965年最初の40フィート統一コンテナが1隻のコンテナ船でベトナムのカムラン湾の港に609個運ばれ、これは従来までの輸送船10隻分に相当したとか。p72