リスクヘッジ & 『コロナ後の世界』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

『コロナ後の世界』
内田樹著、文藝春秋、2021年初版。

コロナ下で「自粛警察」というのが流行った。これについて内田氏は『大義名分があり、何をしても処罰されない』と思った人たちは特別な心理状態になるという。p18 これを「普通の人の邪悪な衝動」という。

同じことが今、ウクライナでも起こっているに違いない。普通のお父さん、お兄さんが戦争という状況の中ではどんなに酷いことでもできる。それは別にロシア人に限らない、ウクライナ人も同様なはずだ。

コロナパンデミックで私たちのシステムの何処に脆弱性があるか可視化されたという。p23 その通りだが、それを批判しても仕方ない。重要なことはその《脆弱性を如何に直していくか》だが、私の見る限り日本政府は無視、気が付かないふりをしようとした。それが今でもPCR検査体制、感染者の治療体制が改善されていないことに現れている。

内田氏は安倍政権のどのように総括するかとの問いに対し、

『知性と論理性を著しく欠いた』とも、p36

『支持者と反対者を二分し、「反対者には何もやらない」ことで権力を畏怖し、服従する国民を創り出そうとしてきた』p41 という。

この点で、激しく同意する。

リスクヘッジとは「無駄になるかもしれないけれど、危機的状況の時になくてはならない物を備えておくことだ」という。p43

その通り、だから私も色々なことに常にバックアップを用意しようと努めた。現役を退いてもその癖が抜けず、スマホもPCも2台以上を常に使える状態にしているのもそれだが、少しやりすぎの感はあるが(汗)

しかし、《国家のリスクヘッジでは国民の財産と生命がかかっている》。そしてそのことで無駄が出ることに対し国民に理解を求める努力が必要だが、安倍政権ではそのような姿は見えなかった。それどころか 「Under the control」のもとに金権オリンピックも開催した。いや「金権」だからこそ開催せざるを得なかったというべき。

新型コロナのような新たな疫病は未知な部分が多い、だから途中で政策を変えてもOK。こうした補正する力をレジリエンス(resilience)という。どうも政府は最初に決めたことを変えたくない、こうした点で典型なのは中国だと思うが、日本政府も安倍から政権が変わっても似たようなものだ。一方で変えると「それ見たことか」と文句を言う野党も野党だが。